第百二十四章:番狼
夜が更けて遺跡の奥では出産を終えたばかりのフェンリルが、穏やかな目で生まれたばかりの小さな子を舐めていた。
「……すごい……!」
ミリアは目を輝かせて神秘的な光景に見入っていた。
フェンリルの子はまだ生まれたばかりで、ふわふわの銀色の毛に包まれた小さな体をしていた。しかし、その瞳は既に神獣の威厳を秘めていた。
「これが……フェンリルの子供……。」
セレスも神妙な表情で呟く。
「今はまだ小さいが数年もすれば立派な神獣になるだろう。」
騎士が誇らしげに言った。
ミリアは静かにフェンリルの子に手を伸ばした。
「触っても……いいのかな?」
フェンリルの母親がじっとミリアを見つめる。その瞳には人の言葉を理解しているような知性があった。
そして——
「——構わない。」
ミリアは驚いて目を丸くした。
「喋った!?」
「フェンリルは神獣。ある程度の知恵があるのは当然だ。」
セレスが落ち着いた声で言った。
「私はこの子をお前たちに託したい。」
フェンリルは静かに語った。
「……え?」
ミリアはぽかんとする。
「どういうことだ?」
レイヴンが低い声で尋ねる。
「この子はまだ幼く強くなるには時間が必要だ。私は次の旅に出る。この子には見守る者が必要なんだ。」
「でも……私たちにそんな大役が……。」
セレスが戸惑いながら言う。
「私はお前たちにこの子を育ててもらいたい。」
フェンリルはゆっくりとミリアを見つめる。
「特に、お前——」
「……わたし?」
ミリアは驚いたように自分を指さす。
「お前は純粋な心を持っている。力もないのに仲間を連れてここまで助けにきてくれたこと。そしてこの子もお前のように自由に生きることで多くのことを学ぶだろう。」
フェンリルの子はまだ覚束ない足取りでミリアの方へ歩み寄った。
「えっ……? ちょ、ちょっと!」
ミリアが手を伸ばすと、フェンリルの子はその手をちょこんと鼻で突いた。
「えっ……もしかして、懐いてくれたの?」
「前々から思っていたが獣に懐かれやすいんだな。戦う力もないお前が実力者だらけのカフェ・アルカディアであんなにも馴染めるのはそういうところなんだろう。」
レイヴンが腕を組みながら言った。
「にしても、懐かれすぎじゃない?」
セレスも呆れたように笑う。
「……この子、私のこと“お母さん”だと思ってたりして?」
ミリアは親のフェンリルの前でとんでもないことを言い出す。
「流石にそれはないだろ……。」
レイヴンが呆れたように即座に否定した。
「まぁ、それでもお前を特別な存在だとは思っているだろうな。」
「ふふっ、それなら番犬ならぬ番狼ってことでカフェ・アルカディアに連れて帰ろうよ!」
ミリアは楽しそうにフェンリルの子を抱きしめた。
***
「では、私は行く。」
フェンリルの母は静かに立ち上がった。
「もう行っちゃうの……?」
ミリアが寂しそうに尋ねる。
「神獣に安住の地はない。私はこの大地を巡り、また30年後にここに戻ってくる。」
フェンリルはミリアの前で立ち止まるとその額を軽く鼻先で押した。
「その子を頼むぞ。」
「……うん! 絶対に大切にするから!」
フェンリルは満足げに頷くと月明かりの中へと姿を消していった。
***
「どうするんだ? この子。」
レイヴンがフェンリルの子を見下ろす。
「もちろんカフェ・アルカディアで育てたい!」
ミリアが即答する。
「ふむ……しかし、神獣をカフェの番狼にするとはな。」
セレスがくすっと笑う。
「でも、いいと思わない?カフェ・アルカディアの守り神みたいな感じでさ。あと、私みたいな力のない仲間もこれからきっと増えるだろうし!」
「たしかに。これほど心強い番犬……いや、番狼はいないな。」
レイヴンも納得したように頷いた。
「それじゃあ、この子の名前を決めなきゃ!」
「名前……か。」
ミリアはフェンリルの子を見つめる。
「うーん、どうしよう?」
「いっそ銀色の毛からシンプルに“シルヴァ”とかどうだ?」
レイヴンが提案する。
「うん、それっぽい!」
ミリアが目を輝かせる。
「じゃあ、“シルヴァ”に決定!」
「シルヴァ……いい名前ね。」
セレスが微笑んだ。
「よろしくね、シルヴァ!」
フェンリルの子——シルヴァは、ミリアの手を甘噛みしながら、満足げに鳴いた。
その夜、カフェ・アルカディアに戻ったミリアはレイヴンと一緒にシルヴァの寝床を作っていた。
「なんか……レイヴンと二人でこういうことするのって、ちょっと不思議な感じ。」
「……そうか?俺はこう見えて動物好きなんだ。恥ずかしいから誰にも言うなよ。」
「うん。なんていうかレイヴンっていつも一歩引いたところにいる感じだったけど……」
ミリアは少しだけ頬を染めながら言葉を続ける。
「今日、レイヴンが来てくれてすごく頼もしかったし、なんかその……」
「なんか?」
レイヴンがミリアの顔をじっと見つめる。
「……かっこよかった……。」
「……っ」
レイヴンの目がわずかに揺れて戸惑い、そして微笑む。
「な、なに笑ってるの!?」
「……カイゼルの下にいた時にはこんな気持ちになることなんてなかった。失望させないようにビクビクしていた俺に、今はそんな風に言ってくれる人ができるなんて思わなかったからな。」
「もうっ! そんかこと言われたら恥ずかしくなるじゃない!」
「誤解させたらすまない。俺はからかってはいない。」
レイヴンは静かに言った。
「……お前の言葉は、嬉しい。」
ミリアは何か言い返そうとしたが、そっとシルヴァを撫でながら心の中で新しい感情が芽生えていくのを感じた——。




