第百十二章:偽り
カフェ・アルカディアの扉が静かに開いた。
冷たい夜風が入り込み店内の静寂を揺るがす。
レイヴンが足を踏み入れるとすでにルシアス、店主、エヴァン、ミリア、セレスが彼を待ち構えていた。
その視線は探るようであり警戒に満ちている。
彼の手には一通の書状——セドリック卿から託された“証拠”が握られていた。
レイヴンはそれを差し出した。
「……これを見てくれ。」
店主が無言で書状を受け取り封を開ける。
その横からエヴァンが覗き込み慎重に目を走らせた。
「……貴族の裏取引の証拠?」
ミリアが不安げに尋ねる。
「一見すると完璧な証拠だが……」
エヴァンが紙の端を指でなぞる。
「これ……本当に本物か?」
「……?」
店主が僅かに眉をひそめた。
「なぜそう思う?」
エヴァンは契約書の日付を指差す。
「この取引が行われたとされる日は、王宮で外交会談があった日だ。」
「つまり?」
「この貴族がこの日に密会していたはずがない。」
店内の空気が張り詰める。
「……それはつまり、この証拠は“偽物”ということか?」
ルシアスが冷静に言葉を継ぐ。
「だとすれば、俺たちが王にこの証拠を持ち込んだ瞬間、“カフェ・アルカディアが偽の証拠を用意して陥れようとした”ということになる。」
「ヴァルムトが仕掛けた罠……か。」
店主が静かに呟く。
「……」
レイヴンは何も言わなかった。
彼はこの証拠が偽物であるだろうと確信していた。だが、証拠を持ち帰る以外に選択肢はなかった。
レイヴンが少しでも書状に疑念を抱いていると悟られれば、その場で処分されていた可能性は高い。
「……お前は知っていたのか?」
エヴァンが静かに問いかける。
レイヴンは沈黙したままだ。
「お前がこの偽の証拠を俺たちに渡したのが意図的なものなら……」
ルシアスが刀の柄に指をかける。
「お前をここで斬る。」
ミリアが息を呑んだ。
「待て。」
店主が手を上げた。
ルシアスが不機嫌そうに動きを止める。
「レイヴン、お前はこの証拠が偽物だと知っていたのか?」
「……」
レイヴンは僅かに手を握りしめる。
そして——
「当然だ。」
店内の空気が一気に張り詰める。
「……」
「知っていたのにそれを持ち帰ってきたのか?」
エヴァンが冷静に尋ねる。
レイヴンはゆっくりと頷く。
「そうしなければ俺は生きてここに戻れなかった。そして、カイゼルの計画を潰したお前たちなら書状はすぐに偽物だと気付くとも思っていた。」
「……!」
ミリアが息を呑む。
「セドリックは俺を試していた。」
レイヴンは低く呟いた。
「もし俺がその偽の証拠をここまで運ばなければ、おそらく裏切り者として処分されていただろう。そしてセドリックを信用させるためにも必要なことだった。」
静寂が訪れた。
「お前は“セドリックに忠誠を誓っているフリ”をしながら、俺たちの元に戻るためにこの証拠を持ってきたってことか?」
店主がゆっくりと問いかける。
「そうだ。」
レイヴンは静かに目を閉じる。
「お前が嘘をついていないとしても、俺たちはお前を疑わざるを得ない状況に追い込もうとセドリックが仕掛けてきたということか。」
エヴァンは状況を理解した。
「もしも偽物の証拠を信じて王に渡していたら俺たちは陥れようとした罪を着せられ、証拠が偽物と見破られればレイヴンはカフェ・アルカディアを裏切ったとして切り捨てられる。」
「そうだ。どちらにしろ俺はお前たちに迷惑を掛ける駒としてセドリックの言うことを聞くしかなかった……。お前たちならすぐに見抜いて偽の証拠を王に渡すようなことはないと思っていたが、役に立てなかった俺はカフェ・アルカディアに相応しくなかったということだ。」
レイヴンは顔を下に向けた。
その時——
「ハッ。」
ルシアスが突然笑った。
「何が可笑しい?」
レイヴンが不機嫌そうに尋ねた。
「いや、お前さ……面白い奴だな。」
「……?」
ルシアスはゆっくりと歩み寄る。
「お前は“カフェ・アルカディアを裏切らない”ことを選んだってことだろ?」
「……」
レイヴンは何も言わなかった。
「お前はあえて自分から証拠は偽物だと言わずに俺たちが見破ることを信じたってことだろ?」
「お前の言葉を信じるなら、お前は “自分よりもカフェ・アルカディアに迷惑を掛けないことを選んだ” ということになる。」
レイヴンは静かに目を閉じた。
「……その通りだ。」
店内の空気が少しだけ変わる。
「お前が俺たちを裏切るつもりがないのなら……」
ルシアスは不敵に笑う。
「次にどう動くかはお前が決めろ。カイゼルへの復讐を果たせ。」
レイヴンはゆっくりと目を細める。
「……俺に次の策を考えろと?」
「そうだな。」
店主が穏やかに言う。
「ヴァルムトにお前が“利用価値がある”と思われるようにするんだ。この状況をどう使うかはお前次第だ。」
レイヴンは静かに微笑んだ。
「わかった。俺が“ヴァルムトのスパイ”だと奴らに信じさせて一泡吹かせてやる……。」
こうして、レイヴンの危険な二重スパイの役割が始まった——。




