第百八章:レイヴンの選択
静寂が支配する闇の空間にただ一本の小瓶が光を反射していた。
レイヴンの手の中、それは淡い青色の液体をたたえている。
即効性の致死毒——
それが何であるのか、ここにいる誰もが察していた。
「……馬鹿なことはよせ。」
ルシアスが静かに呟いた。
だが、レイヴンの手は微動だにせずゆっくりと瓶の蓋を開ける。
「貴様らには分かるまい。」
レイヴンは低く笑った。
「主に見捨てられた時点で俺の命はすでに尽きている。」
「だからって死ぬ必要はないだろう。」
エヴァンが冷静な声で言った。
「お前は使い捨てられた。だがそれならそれでまだやれることがあるはずだ。」
「……笑わせるな。」
レイヴンは自嘲するように笑った。
「見捨てられた俺には死あるのみ。生きていても組織が俺を許さない。」
店内の空気が張り詰める。
ルシアス、セレス、エヴァン、ミリア、店主——全員が一斉にレイヴンを見つめていた。
「お前にはまだ選択肢がある。」
店主が静かに言った。
「選択肢……?」
レイヴンの目が一瞬だけ揺れる。
「ヴァルムトの“夜影の商人”の支配から解放される道だ。」
店主は一歩前へ踏み出した。
「カイゼルに見捨てられた今、お前が忠誠を誓うべき相手はもういない。だが、お前の知っていることはこの王都を守るための重要な手掛かりになる。」
「俺に……協力しろと?」
レイヴンは苦笑した。
「協力というよりお前が生きる道を示してやると言っているんだ。」
ルシアスが淡々と言い放つ。
「死んで消えるか、生きて報復を考えるか……お前の選択次第だ。」
レイヴンはしばらく黙り込んだ。
その目には迷いが見えた。
彼はヴァルムトに忠誠を誓ってきた。
いや、誓わされてきた。
影の世界に生まれ、影の世界で教育を受けて育ち、逃げ道など最初からなかった。
***
レイヴンは生まれた時から「影の世界」にいた。
陽の当たる場所を知らず、名もなき孤児としてヴァルムトの闇商人たちに拾われ彼らの手足として育てられた。
少年期、彼は徹底的な訓練を受けた。
情報収集、暗殺、詐術——生き残るために必要なすべてを叩き込まれた。
「忠誠こそが生存の条件」——それが影の世界の掟だった。
カイゼルに見出されて彼の側近として働くようになった時、レイヴンは初めて“希望”を抱いた。
だがそれは幻想だった。
彼に与えられたのは“信用”ではなく“利用”だった。
失敗すれば切り捨てられる。成功しても道具として扱われる。
そして今日、彼は捨てられた——
影の世界に生まれた自分が影そのものに見限られる日が来たのだ。
***
「……フッ。」
レイヴンは手元の瓶をじっと見つめた。
そして意を決したように手を離し——
カラン——
小瓶が地面に落ちて転がり、割れはしなかったものの毒の液体はほとんどがこぼれていた。
「……俺は死ぬほど愚かではないらしい。」
レイヴンはゆっくりと苦笑する。
「ほう……。」
ルシアスが目を細めた。
「俺たちに協力する気になったか?」
「……協力ではない。俺は俺のために動くだけだ。」
レイヴンは自嘲気味に微笑んだ。
「カイゼルが俺を切り捨てたならば俺は俺の道を探すまで。」
憎しみを胸に彼は初めて“自分の意思”で動こうとしている。
「それでいい。」
エヴァンが頷く。
「俺たちもお前を信用はしないがお前の情報は使わせてもらう。」
「……お前達を利用できるなら俺にとっても都合がいい。俺の知っていることを話そう。」
レイヴンゆっくりと立ち上がった。
「お前たちにとって俺は“夜影の商人”の一員だった男。どこまで信用するかはお前たちが判断しろ。」
「わかった。早速だが教えてくれ。」
店主が腕を組む。
「カイゼルの狙いは本当に王都の商業支配だけなのか?」
「……」
レイヴンはしばらく口を閉ざしたがやがてゆっくりと口を開いた。
「……いや、あれはただの手段に過ぎない。」
レイヴンの言葉に全員が耳を傾ける。
「ヴァルムト王の本当の狙いは王都の中枢そのものを掌握することだ。」
彼は目を細めながら言った。
「商業を牛耳ることで国の流れを操作して経済的に王家を孤立させる。それがカイゼルの役目だった。」
「王都を経済的に崩壊させる気か?」
セレスが険しい顔をする。
「いや、そこまでいく前に王家が彼らに頼るように仕向けるんだ。」
レイヴンは淡々と言った。
「そうなれば戦争をせずともヴァルムトはこの国を手に入れられる。戦争よりもはるかに効率的で確実な手法だ。」
「……なるほど。」
ルシアスが腕を組んで考え込む。
「確かに今の王都の政治は安定してきてはいるが経済はまだまだ不安定だ。そこに付け込めば王家が頼らざるを得なくなる。」
「しかし、それはあくまでカイゼルが計画していた段階だ。」
レイヴンは険しい顔をする。
「問題はカイゼルが自分たちの計画に気付かれたことを悟って逃げたこと。彼は何か新しい手を打つつもりだろう。」
「新しい手……?」
ミリアが不安げに尋ねる。
「そうだ。」
レイヴンは静かに言った。
「カイゼルは逃げはしたが決してこの計画を諦めないだろう。俺を捨ててでも次の段階へ進もうとしている。」
「なら……次に奴が動くとしたら?」
店主が問う。
レイヴンは一瞬、考え込む。
そして——
「おそらく王家への直接介入だろう。」
彼は低く呟いた。
「商業だけじゃなく王家に?」
セレスが驚く。
「そうだ。」
レイヴンはゆっくりと頷く。
「俺はもうカイゼルの意図を完全に読むことはできない。だが奴はこの王都を、そしてグランヘイム王国を手に入れるための策を用意しているはずだ。」
「……」
店主はしばらく沈黙した。
「そうか。では、奴を完全に止めるなら……」
ルシアスが静かに言う。
「カイゼルが動く前に俺たちが先に仕掛けるべきだな。」
全員が同時に頷いた。
ヴァルムトの計画はすでに王都の経済を蝕み始めている。そして王家にまで手を伸ばそうとしている。
それを止めるためにはこちらから先手を打つしかない。
「……よし。」
店主は静かに言った。
「こちらも計画を考えるとしよう。」
レイヴンはその言葉を聞いて、ふっと笑った。
「……まったく奇妙な連中だ。影の世界で育ってきた俺のような奴を不審に思わないのか?」
「そんなこと気にしてるの?カフェ・アルカディアは“元魔王”だって従業員にしちゃうくらい懐が広いのよ。」
セレスが微笑みながら答えた。
——その言葉を聞いてレイヴンは一瞬固まった。
「そうか。そうだったな……。カフェ・アルカディアはそういうところだったな。」
レイヴンは黒いローブを脱ぎ、顔の上半分を覆っていたマスクに手を掛けて外した。
「カイゼルへの復讐を果たすことができたら俺をカフェ・アルカディアに入れてくれないか?」
短髪の黒髪に灰色の瞳、端正な顔立ちの青年の姿となったレイヴンが店主に言った。




