第百六章:レイヴン
王都の空には重たい雲が垂れ込めていた。
どこか不穏な空気が漂う中、カフェ・アルカディアでは静かに策が進行していた。
「……噂は順調に広まっているわ。」
ミリアがカウンター越しに報告する。
「ライナー・グレイブが“さらなる契約”を求めている」という情報は王都の商人たちの間で急速に広がっていた。
それに伴い“夜影の商人”の仲介人である“レイヴン”が何らかの動きを見せる可能性が高まっていた。
「問題はレイヴンがどんな手段で接触してくるか……だな。」
エヴァンが冷静に分析する。
「商談を装ってくるか、それとももっと直接的な方法を取るのか。」
「直接的な方法……って?」
ミリアが不安そうに尋ねる。
「暗殺、脅迫、あるいは……」
エヴァンが言いかけたその時——。
——コツ、コツ、コツ。
カフェの扉が静かに叩かれた。
通常の客ならば軽快なノックをするはずなのに、今の音は妙に規則正しく冷たい響きを持っていた。
店主は視線を交わしながらゆっくりと扉を開けた。
「……いらっしゃいませ。」
そこに立っていたのは一人の男だった。
黒のローブをまとい、顔の上半分を仮面で覆っている。
彼の周囲の空気は異様に冷たく、まるでそこだけ異世界のように感じられた。
「お招きに預かり光栄だ。」
低く響く声がカフェの静寂をより際立たせる。
「……レイヴン。」
ルシアスが名前を呼ぶと男は微かに口角を上げた。
「ご挨拶が遅れました。私は“夜影の商人”の代理人、レイヴン。」
彼はゆっくりとカウンターへ歩み寄り静かに腰を下ろす。
「ライナー・グレイブ。」
レイヴンは冷たい眼差しをライナーへと向けた。
「お前が……さらなる契約を求めていると聞いた。」
ライナーは表情を変えずゆっくりと頷いた。
「……ええ。そのためにもう一度お話を伺いたくて。」
「ほう……。」
レイヴンは指先でカウンターを軽く叩いた。
「お前はすでに我々と契約を交わしている。その恩恵は十分に受けているはずだ。それなのにさらなる契約を求めるとは……。」
「商人とは常に最善を求めるものです。」
ライナーは冷静に言った。
「貴方たちの契約は確かに魅力的だった。しかし、私はより強固な支援を求めています。」
レイヴンは微かに笑った。
「……ふむ。」
「新たな契約を結ぶことは可能ですか?」
カフェの空気が一気に張り詰める。
少しでも嘘を気付かれたら……。
「なるほど。お前は“魂の契約”を望んでいるのか。」
レイヴンの声がわずかに低くなった。
「……では。」
彼は袖の内から一枚の紙を取り出した。
それは漆黒の羊皮紙。
「この契約にサインをすればお前はさらなる繁栄を手に入れられる。ただし、“魂の契約”は名前のとおりお前の“魂”を保証として差し出してもらおう。」
***
店内の空気が凍りついた。
「魂を……?」
ミリアが小さく息を呑む。
「商売に命を賭けるのは理解できるが魂まで差し出せと?」
エヴァンが冷静に問う。
「それが“魂の契約”だ。」
レイヴンは淡々と答えた。
「一度契約を交わした者の繁栄はただの前金に過ぎない。“魂の契約”により更なる成功が得られる。しかしそれと引き換えに“夜影の商人”の支配を受けることになる。」
「……支配?」
「簡単な話だ。契約を結んだ者は我々の意志に従わねばならない。拒めば——。」
レイヴンは指を弾くとライナーの腕の“呪刻”が不気味に脈打ち始める。
「……っ!!」
ライナーが苦痛に顔を歪める。
「少しだけ“代償”の味を見せてやろう。」
彼が囁くとライナーの腕の紋様が焼けるように光を放ち苦しげな息が漏れる。
「やめろ……!」
セレスが腰の剣に手をかける。
「まあ待て。」
ルシアスが手を挙げて止めた。
「レイヴン……お前は俺たちのことを知っているか?」
「……?」
レイヴンが目を細める。
「元魔王ルシアス、元勇者セレス、そして管理者……。」
「なるほど、俺たちのことは知ってるんだな。店主が管理者ということまで知っているとはやるじゃないか。」
ルシアスはニヤリと笑う。
「それならば……」
レイヴンは静かにルシアスを見つめた。
「お前の飼い主に会わせろ。カフェ・アルカディアはお前たちの動きを好ましく思っていない。俺たちの知らないところで勝手なまねをしてもらっては困るんでな。」
「……!」
「お前たちのやっていることは大体わかった。真っ当なことをしているなら俺たちは口出しをする気はない。ただ、“魂の契約”とやらで商人の自由を奪っているなら見過ごせない。」
店主はじっとレイヴンを見据えながら静かに言葉を紡いだ。
「商人達を不当な存在から守ることもこのカフェの役割なんでな。」
「……ほう?」
レイヴンの口元が微かに歪む。
「……いいだろう。」
「お前たちがすごい力を持っていたとしても、すでに呪刻を刻まれた商人達は人質同然だと言うことを忘れないようにな。」




