第百四章:黒魔術
カフェ・アルカディアの静かな空気が、ライナー・グレイブのグラスを持つ手の震えによって微妙に揺らいだ。
「……さて、食事も済んだことだしもう少し詳しい話を聞こうか。」
ルシアスが微笑みながらそう言った。
「詳しい話……とは?」
ライナーは努めて平静を装ったまま問い返した。
しかし、エヴァンの鋭い視線が彼の細かな動揺を逃さなかった。
「お前が最近、驚異的な成長を遂げたのは王都中の商人たちの間でも話題になっている。」
ルシアスはグラスを傾けながら言葉を続ける。
「だが……それが純粋な実力によるものなのか、それとも“特別な後ろ盾”があるのか、それを知りたくてな。」
ライナーの瞳が一瞬だけ揺らいだ。
「……ルシアス様。」
彼は静かに息を吐きながらグラスを置いた。
「確かに私の商会は最近急成長を遂げました。しかしそれは市場の流れを見極め、適切な投資を行った結果であり、特別な“後ろ盾”などありません。」
「ほう。」
ルシアスは小さく笑う。
「それなら、お前が最近王都の一部の商人たちに持ちかけられたという“契約”についても何も知らないわけだな?」
「……契約?」
ライナーは眉をひそめた。
「申し訳ありませんがどの契約のことを指しているのか……。」
「それじゃあ確認しようか。」
エヴァンが静かに口を開いた。
「お前は最近、妙に有利な条件を提示されて契約を結んだ商人を知っているな? そして、その商人たちの中には急激に成長した者もいれば、突然商売が立ち行かなくなった者もいる。」
ライナーの指がかすかにグラスの縁をなぞった。
「……そんな話が?」
彼はまだ惚けたふりをしている。
「お前の言葉を信用したいところだが……」
ルシアスが静かに言葉を続ける。
「エリオットの料理がお前の“本心”を炙り出してしまったようだな。」
「……!」
ライナーは明らかに息を詰まらせた。
「“決断の一皿”の効果はお前もすでに実感しているだろう。」
ルシアスは冷静に彼を見つめる。
「お前がこの料理を食べた瞬間、ほんの一瞬だけ『驚き』の表情を浮かべた。美味しさだけではない何か別の意味を感じ取ったんじゃないか?」
ライナーは沈黙する。
「そろそろ正直になったらどうだ?」
エヴァンが淡々と促す。
「……」
ライナーはしばらく視線を落としたまま考えていた。
やがて彼は静かに息をつき、ゆっくりと顔を上げる。
「……もし、私が“その契約”について何か知っているとして……」
ライナーの声が低く響いた。
「私にとって話すことにどんなメリットがあるのですか?」
店主、ルシアス、エヴァン、セレス、ミリア——全員が黙って彼を見つめた。
「……なるほどな。」
ルシアスはクスリと笑う。
「お前はただの駒じゃない。自分の立場を理解しリスクを最小限に抑えようとする……。」
「当然です。」
ライナーは冷静に言い放った。
「私は商人です。利益にならないことをするつもりはありません。」
「では、交渉としようか。」
ルシアスはワインを飲み干し微笑んだ。
「お前が知っていることを話せばお前の“安全”を保証しよう。」
「……安全?」
ライナーの目が細まる。
「そうだ。」
ルシアスは軽く肩をすくめる。
「お前も気づいているんじゃないのか? お前が関わっている“契約”は、単なる取引じゃない。何者かが商人たちの命運を握ろうとしている。そして、もしその『契約』の裏にある者がお前を“用済み”だと判断したら——どうなると思う?」
ライナーの表情が一瞬だけ強張る。
それはまさに彼が恐れていたことだった。
「俺たちはお前を利用しようとは思っていない。」
ルシアスが静かに言葉を続ける。
「だが、お前を“守る”ことはできる。もちろん対価は必要だがな。」
「……対価?」
ライナーが小さく息を吐く。
「そうだ。」
エヴァンが冷静に告げる。
「お前が知っている情報を渡せ。そうすれば俺たちはお前を守る。そしてお前がこれからも商売を続けられるよう手を貸してやる。」
ライナーはしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「……私の知る限り王都の商人の間に広がっている“契約”は単なる商取引ではありません。」
彼の声は低く慎重だった。
「それは——“黒魔術”が絡んでいる。」
店主たちの表情が一変する。
「黒魔術?」
セレスが眉をひそめる。
「そうです。」
ライナーは真剣な表情で続けた。
「私が契約を結ぶ際に目にしたのは奇妙な“刻印”でした。ある商人がその刻印を押された契約書にサインした途端、その商会は飛躍的に成長しました。しかし——」
彼は苦い顔で言葉を続ける。
「その後、契約を結んだ者の中には不審な死を遂げた者もいるのです。」
カフェの空気が一瞬にして張り詰めた。
「……それを取り仕切っているのは誰だ?」
エヴァンが鋭く尋ねる。
ライナーはゆっくりと顔を上げ重々しく答えた。
「“夜影の商人”——そう名乗る者がこの契約を広めています。」
「夜影の商人……?」
ルシアスが静かに呟く。
「詳細はわかりません。ただ、彼らは表に出ることはなく仲介人を通じて商人たちに契約を持ちかけている。私も最初は魅力的な話だと思いました。しかし、その契約に関わった者たちの末路を見て……私は手を引きました。」
「手を引いた?」
ミリアが問いかける。
「ええ。」
ライナーは苦々しく頷いた。
「しかし、私はすでに“彼ら”に目をつけられている。」
「……つまりお前は今、命を狙われているわけだ。」
ルシアスが冷静に言った。
「……はい。」
ライナーは小さく頷く。
店主は静かに息を吐き視線をルシアスへと向けた。
「……どうする?」
ルシアスは静かに微笑んだ。
「決まってるさ。」
彼はゆっくりと立ち上がりワインのグラスを置いた。
「“夜影の商人”とやらの正体を暴く——そしてこの王都の商業を俺たちの手で守る。」




