第百三章:商談
翌日、カフェ・アルカディアはいつも以上に整えられていた。
店主は店内の雰囲気を確認しながら、スタッフたちと軽く打ち合わせを行った。
「ライナー・グレイブが来るのは昼過ぎだな。」
エヴァンが淡々と確認する。
「ええ。」
ミリアは頷きながらカウンターを拭いていた。
「父の話では彼はここ数日間は妙に忙しそうにしているらしいわ。だから、少し遅れる可能性もあるけど……。」
「それならむしろいいさ。」
ルシアスがワインを片手に微笑む。
「客を待たせる時間があるならその間に俺たちも戦略を練り直せる。」
「ライナーが来たら最初は単なる世間話を装うのよね?」
セレスが確認する。
「そうだ。」
エヴァンが頷く。
「いきなり核心を突けば警戒される。それに、奴がこのカフェをどう認識しているかも見極めたい。」
「俺の“決断の一皿”も用意できてるぜ。」
エリオットが厨房から顔を出し軽くフライパンを振る。
「どんな料理にしたんだ?」
店主が尋ねるとエリオットは意味深な笑みを浮かべた。
「それはライナーが口にしたときのお楽しみさ。」
店主は苦笑しながらも彼の料理が持つ“加護の力”を考えればそれも悪くない手段だと思った。
***
正午を過ぎたころ店の扉が静かに開いた。
「失礼する。」
入ってきたのはライナー・グレイブ——王都で急成長を遂げている商人だった。
端正な顔立ちに端整な髭を蓄え、目には鋭い知性が宿っている。
彼の衣服は一見質素に見えたがその布地の上質さが彼の財力を示していた。
「ようこそ、ライナー。」
ルシアスが軽く手を挙げる。
「お招きいただき光栄です、ルシアス様。」
ライナーは一礼しながら席に着いた。
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。」
ルシアスは軽く笑いながらワインを注いだ。
「ここではただの『店の客』として話せばいい。」
「……では、遠慮なく。」
ライナーもグラスを受け取るが彼の視線は慎重だった。
「最近、お前の商会が随分と繁盛しているそうじゃないか?」
ルシアスが軽く切り出す。
「おかげさまで。」
ライナーは微笑む。
「ただ、王都で商売をする以上は勢いがあるといっても油断はできません。」
「まあ、それはそうだな。」
ルシアスは適当に相槌を打ち、そこから軽く商業の話題を交わした。
店主とミリアは慎重にライナーの表情を観察しながら会話を聞いていた。
——ライナーは警戒している。
彼は決して動揺せずに話の流れを逸らさないように気を付けている。
「ところで商人にとって最も重要なものは何だと思う?」
ルシアスが少し違った話題を振った。
「それは……信用でしょう。」
ライナーは即答した。
「取引相手の信用がなければどんなに利益を上げても長続きしません。」
「信用か。」
ルシアスはワインを傾けながら少し意味ありげな笑みを浮かべた。
「例えば——『ありえないほど有利な契約』を提示された場合、それは信用に値するのか?」
ライナーの手が一瞬だけ止まった。
わずかな間だったがエヴァンと店主はそれを見逃さなかった。
「……何の話でしょうか?」
ライナーはすぐに表情を戻し問い返した。
「まあ、世間話さ。」
ルシアスは飄々と答えた。
「最近、王都の商人の間でそんな話が出ているらしくてな。」
「私はそのような話は聞いていませんが……。」
ライナーは微笑みながらグラスを回した。
「ならいいんだがな。」
ルシアスは話を続けず代わりに店主に目配せした。
「さて、せっかく来てもらったんだ。エリオットの特製料理を味わっていってくれ。」
店主は自然な流れで食事を進めた。
「エリオット?」
ライナーは厨房に目を向けた。
「気まぐれ料理人さ。エリって言う方がわかるかもしれないが。」
エリオットが軽く手を挙げながらトレーを持って現れた。
「本日の特別料理『決断の一皿』。楽しんでくれよ。」
ライナーの前に置かれたのは美しく盛り付けられた肉料理だった。
しかし、どこか不思議な香りが漂っていた。
「……これは?」
ライナーが慎重にナイフを入れる。
「まあ、食べてみればわかるさ。」
エリオットはにやりと笑った。
ライナーはゆっくりと一口運ぶ。
そして——彼の目が一瞬だけ見開かれた。
「……!」
その一瞬の表情を全員が見逃さなかった。
「どうした?」
ルシアスが穏やかに聞く。
「いや……驚いた。」
ライナーはすぐに表情を戻し微笑んだ。
「とても美味しい。」
だが、その笑顔の奥には確かに迷いがあった。
エヴァンは小さく頷き店主に目で合図を送った。
ライナー・グレイブ——彼は何かを知っている。
「……さて、食事も済んだことだしもう少し詳しい話を聞こうか。」
ルシアスは静かに言った。
ライナーのグラスを持つ手がわずかに震えていた。
ルシアスの目は誤魔化せない。彼はこの場から逃げられないことを悟ったのだ。




