第九十九章:未来への杯
「カフェ・アルカディア」の夜は昼の喧騒が嘘のように静かだった。
忙しかった一日を終え、店内には心地よい疲労感が漂っている。店主は厨房の片付けを終えて奥の書類整理に向かい、ミリアとエリオットはホールの掃除をしながら軽口を叩き合っていた。エヴァンはカウンターの端で帳簿を開きながら情報の整理に取り掛かっている。
そして、ルシアスとセレスはカウンターの隅に腰を下ろしていた。
二人の間には夜風を映したような琥珀色のワインが満たされたグラスが置かれている。ルシアスは片手でグラスを揺らしながら、カフェの奥で働く三人を見つめふっと微笑んだ。
「……ここまで店がにぎやかになるとはな。」
セレスも視線を向けて柔らかく微笑む。
「本当にね。最初は店主と私たちだけだったのに……今ではミリアもエヴァンもエリも加わってすっかり『チーム』になったわ。」
ルシアスはグラスを口元に運びながらゆっくりと頷く。
「それぞれ個性も事情あるやつらばかりだが……不思議とこの店に馴染んでるな。」
「ええ。」
セレスは軽くため息をついた。
「ミリアはホールのことなら何でも把握してるし、エヴァンはきっちりしてるし。エリは……まあ、気まぐれだけど厨房の腕は間違いなく本物だしね。」
「それにな……」
ルシアスはワインをひと口飲み口元をゆるめる。
「お前もずいぶん楽しそうにしている。」
セレスは驚いたようにルシアスを見た。
「……そんなことないわよ。」
「本当か?」
ルシアスは茶化すように笑う。
「最近は笑うことが増えたな。以前は笑ってることが珍しいくらいだったのに。」
セレスは反論しようとしたが思わず言葉に詰まる。
確かに最近は笑うことが多い。
戦いに明け暮れていた日々に比べて今のカフェでの生活は穏やかで、誰かと共に過ごす時間の心地よさを感じるようになっていた。
「……まあ、確かにね。」
セレスはグラスを軽く傾けた。
「でも、それはルシアスだって同じでしょ?」
「俺が?」
「ええ。」
セレスはルシアスをじっと見つめる。
「あなたもどこか肩の力が抜けたように見えるわ。」
ルシアスは目を細める。
「そうかもな。」
カフェ・アルカディアに集まる人々はみな何かしらの理由でここに辿り着いた。
彼自身もまたかつて魔王として戦った日々とは違う“役割”を見つけつつあるのかもしれない。
「ルシアス。」
セレスは少しだけ真剣な声になった。
「あなたは……これからもここにいるつもり?」
「さあな。」
ルシアスは少しだけ視線をそらした。
「俺は“気まぐれ”な性格だからな。」
セレスの胸が微かにざわつく。
——いつか、彼はどこかへ行ってしまうのだろうか。
そう考えた瞬間、自分の気持ちに戸惑う。
どうしてそんなことを考えたのか。
どうしてそんなことを気にしてしまったのか——。
「だが……」
ルシアスはグラスを持ち上げセレスをちらりと見た。
「少なくとも今はここにいる。」
その言葉にセレスはほっとしたように笑った。
「なら、今夜はそれでいいわ。」
ルシアスも微かに笑い、二人は静かにグラスを重ねた。
カフェ・アルカディアの未来はまだ見えない。
だが、この場所で育まれる縁が彼らにとって新たな運命の導きになるのかもしれない——。
夜風が窓を揺らし、静かな夜の祝福が二人を包んでいた。




