因果因縁 05 願い
寮の近くの曲がり角で、ミハエルは三つ揃えの上着を羽織り、寮の前まで、ミシェールをエスコートした。
一度ミハエルの手を控えめに握り、待って欲しいと伝え、ミシェールは寮内へと向かい、同級生と上級生とすれ違い様に軽く頭を下げ、部屋へと向かった。
部屋では、リルが柔軟体操をしていて、ミシェールを床から見上げてくる。
「お帰り。楽しかった?」
お帰りと言って貰える事に、高揚感を感じながら、ミシェールはリルの前で膝と腰を折って座る。話すようになる前までは、朝と夜の挨拶以外言葉を交わす事もなく、部屋に戻っても黙って頭を下げられるだけという、簡素な関係だったのだ。
「来て、欲しいの」
そっとリルの手を控えめに握り、いつもはじっと見つめてくる視線が伏せられている事に、リルは手を握り返して、柔軟体操を中止し、立ち上がる。
「来てだけで良いの。テスト勉強だとか、差し迫った必要な事をしている時じゃないんだから。で?どこに行けば?」
リルに引っ張られる形で立ち上がり、ミシェールは握られた手をチラリと見てから小さく頷く。
「勉強になるわ。リルと会いたいと、寮の門で、国の者が待ってるの」
「じゃあ、お待たせしてるんじゃない!」
ぐい!とミシェールを引っ張り、リルが走るので、ミシェールも合わせて走り、寮の門に凭れて待っていたミハエルの元へと辿り着いた。
ミシェールが軽食屋でリルの事をミハエルに伝えると、合わせて欲しいと言われ、ミシェールは迷う事無く頷いていたのだ。
「あ・・・えっと、」
存在感のあるミハエルを前にして、リルが言葉につまった。体格の差で、巨人に見下ろされているかのように感じるし、ミシェールの祖国の人ならば、言葉が通じない可能性があると、今更気付いたのだ。
「この方が、私の、友達の、リルです」
リルの手を握り、ミシェールがベネルオース語で言い、
「我らのお嬢様が大変お世話になっております。お名前をお教え願えますか?」
と向かい合うミハエルからベネルオース語で言われ、リルは慌てて頭を下げる。
「マクマナン子爵家が次女リル・マクマナンと申します。ミシェール様には大変お世話になっております」
「私の事はミルとお呼び下さい。お嬢様が異国の地でご不安に過ごされているのではと、心配しておりましたが、良い方に巡り会えた事に、喜びを感じております」
精悍な顔つきながら、柔らかい微笑みと共に、右手を差し出され、リルはそっと右手を出して握手を交わした。
大きくて優しい手だと、ミシェールを心配して異国の地まで来た男を嬉しく思い、リルはミハエルに笑顔を向ける。
「ミシェール様の為に、ミル様がこうして来て頂けた事に、私も嬉しく思います。ありがとうございます。て、失礼を言いました」
たかだか子爵家の次女が、他国の使者に向かって言う言葉ではなかったと気付き、リルが頭を下げようとすると、大きな手が顔の前に翳され、それを阻止された。
「それだけお嬢様を思って下さるのだと、リルお嬢様のお優しさに感謝致します。どうぞ、お嬢様をお願い致します」
ミハエルはミシェールにまた来る事を伝え、騎士と共に去って行き、リルは長く息を吐いた。
「エクレナールて大きい人が多いの?」
部屋に戻り、リルが柔軟体操を再開し、ミシェールを見上げる。
ミシェールはストンと床に腰を落とし、首を横に振る。
「ミル様は特別」
「養父母様のお二方が背が高いて、言ってたでしょ?やっぱり多いじゃない」
ミシェールの身内自慢で、義理の両親が揃って背が高くて恰好良いと言っていたのを、リルが覚えてくれていた事に、ミシェールは嬉しく思いながら首を振った。
「義理の叔父はミル様ほど無いの。だからたまたまよ」
「他の貴族はどうなの?」
「会った方は、そんなに大きくなかったわ。全ての貴族を知っているわけじゃないから、断言出来ないけど。陛下は養母くらいの背だから、殿方としては少し低い方じゃないかしら?」
「へい、か。会った事があるんだ」
床に広げた足の間に、上半身をペタリと倒し、リルが感心したように見上げると、ミシェールが小さく頷く。
「二度ほど」
きゅっとミシェールが手を拳に握ったのを見て、掘り下げては駄目なのだろうと悟り、リルは上半身を起こし、手を上へと伸ばす。
「さすが。私、皇族様にお目通りした事ないし、社交界デビューをするつもりないから、一生会えないのかも」
「社交界デビューをしない?」
「ドレスを用立てて貰うより、両親に使って欲しいんだ。貴族学園の費用を無駄にさせちゃったし、それくらいしか、返す方法ないから」
上半身をミシェールが居る左へと捻り、リルは晴れやかに笑顔を見せる。
「それに、見た目も冴えないから、良い人との縁なんてないだろうしね。まずは仕事先探しが優先!結婚は二の次!相手に幸せにして貰おうなんて思わないわ!自立する女性が目標なの!」
「養母も、自立した女性なの」
「うん。聞いた。で、憧れて、護りたくて、騎士を目指したんでしょ?」
リルを眩しく思いながらミシェールが溢せば、リルが笑いながら言った。
身内自慢の流れで、養母ヴィヴィアンナを守りたいから騎士を目指したのだと、ミシェールは言っていたのだ。
ミハエルの養子となると決めたとほぼ同時に、ミシェールはヴィヴィアンナを護る騎士になりたいと思っていた。
ミシェールとエルバルトに向かって、男が『悪魔の子』と叫んだ瞬間、ヴィヴィアンナはミシェールを傷付けまいと、ミシェールの耳を塞ぎ、頭を抱えてくれた。怒りに身体を震わせていた彼女を、今度は自分が護りたいと思う事は、ミシェールは当然だと思っている。
ミシェールのドレスを作りたがる彼女は、本心では望んでいなかっただろうが、騎士になりたいと言ったミシェールを、否定したりしなかった。
執務室で真剣な表情で、書類に目を通してるヴィヴィアンナを見る事が、ミシェールが大公城で初めて見つけた楽しみだった。
初めて執務室に行った時は、自身の本当の母親シェキーラは、どんな風に仕事をしていたのか見た事がなかったので、興味本位であった。
仕事風景を見て、母がなぜああなったのか、分かるのかも知れないと思ったのだ。
当然ながら、ヴィヴィアンナの仕事風景を見ても、シェキーラが何故ああなったのか分かる訳はなかった。
通う内に、きりりとした表情で視線が左右に動き、目が合うと柔らかく微笑んでくれたり、仕事の合間に一緒に本を読んだりする時間が、ミシェールは心地よく感じてるようになっていた。
だから、騎士になりたいと思った時、仕事であの場に居られるのだと気付き、譲れない願いになった。
あの特等席を、ミシェールは兄のデューでさえ譲りたくないと、思っている。




