第6話:再会と契約――ご主人さまぁ♪
宿の一室。
薄明かりだけが、静かに部屋を包んでいた。
ベッドの端に、銀髪の少女が小さく座っている。
髪はまだ半分ほど湿っており、光を受けて淡く輝く。
犬耳はようやく垂れ下がり、警戒心よりも疲れが強い様子だ。
洗いたてのシャツは少し大きく、長すぎる袖が細い手首をすっぽり隠している。
昨夜、俺がシャツを貸した。
宿の水場を借りて体を拭いたのだろう、銀髪から泥の匂いが消えていた。
俺は手持ちの非常食――硬いパンをちぎり、皿に盛ってそっと差し出した。
「……腹は、減ってないか?」
少女は一瞬迷うように俺を見上げた。
やがて小さく首を縦に振り、遠慮がちにパンを受け取る。
指先が震えていた。
ゆっくりと、慎重に噛みしめる。
膝の上の手がぎゅっと力を込めている。
(……いつぶりの食事なんだろう)
俺は窓際に腰を下ろし、視界の隅の配信ウィンドウをそっとONにした。
《プライベートモード起動》
視聴者には部屋の全景のみ映示。
人物の顔・声は自動保護。
《コメント》
► 「どんな状況?」
► 「食事シーン……」
► 「こっちまで緊張してくる」
► 「ちゃんと守ってやって」
夜の静けさの中、外から馬車の音と酒場の歌声がかすかに届いてくる。
俺はゆっくりと話しかけた。
「痛いところとか、気になるところはあるか?」
少女はパンを両手で抱えながら、首を小さく横に振った。
犬耳が、少しだけピクリと揺れる。
「……名前は?」
長い沈黙。
やがて、か細い声が返ってきた。
「……ソフィア、です」
「ソフィア」
「……はい」
「そうか」
それだけ言って、俺は黙った。
急かすつもりはなかった。
この子が今、どれだけの信頼を俺に預けているか、まだ俺にはわからない。
ただ、ここにいることだけが今の俺の役割だと思っていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
しばらく経って、ソフィアが顔を上げた。
夜の湖のような瞳が、俺を見ていた。
「……わたし、本当に……ご主人さまのもの、でいいんですか」
声が震えていた。
「ずっと、売られて……捨てられて……怖くて……。でも、ご主人さまは違うんですか?」
「期待してはいけない」という本能が、その声の奥に滲んでいた。
何度も希望を持って、何度も裏切られてきた子の声だ。
俺は少し間を置いてから、静かに言った。
「俺が勝手に決めたんだ。だから、責任は俺が取る」
保護でも命令でもなかった。
約束だった。
その言葉を聞いた瞬間、ソフィアの瞳が揺れた。
長いまつげが濡れて光る。
唇が微かに動いて、息を吸い込んで――
絞り出すように。
「……はい、ご主人さまぁ……」
その言葉が落ちた瞬間。
視界に青いウィンドウが走った。
《SYSTEM》
《ユニークスキル【サーヴァントリンク】発動》
契約者:神酒秀直 / 契約対象:ソフィア
機能:視覚連動型バッファー/感情シンクロ
同期開始……
俺は一瞬、画面を見つめた。
(……スキルが、発動した)
ソフィアは画面の存在に気づいていない。
ただ静かに、俺の前でわずかに頭を垂れた。
膝の上で、彼女の指がほんのわずかに震えていた。
信じたい。でもまだ、「信じていい」と言い切る勇気が、彼女の中にはなかった。
俺はそっと、彼女の頭に手を置いた。
ソフィアが驚いたように瞬きする。
でも、抵抗はしなかった。
「……ソフィア、精一杯、ご主人さまに仕えます」
声はまだ震えていた。
でも、その目だけはまっすぐ俺を見ていた。
《コメント》
► 「契約演出……!」
► 「泣いてる(俺が)」
► 「ソフィアちゃん絶対幸せにしてやって」
► 「ご主人さまぁ……尊い」
► 「こんな温かい瞬間初めて見た」
► 「登録者数:1,892人↑」
俺は黙って、画面越しのコメントを受け取った。
こんなにまっすぐな信頼を向けられたのは、いつぶりだろう。
いや、そもそも、誰かに「大丈夫」と言えるくらい何かを守ったことが、俺にあっただろうか。
三十三年間、自分を守ることだけで精一杯だった。
「大丈夫。もう、お前はひとりじゃない」
声に出したのは、自分自身への確認でもあった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
夜が更けていく。
食事を終えたソフィアは、遠慮がちにベッドの端に横になった。
毛布の下で、しっぽがわずかに揺れている。
やがて小さな寝息が聞こえてきた。
俺は窓際に座ったまま、街の灯りを眺めた。
金貨八枚。
俺の今の手持ちのほぼ全部だ。
でも、後悔はなかった。
視界の端でスキルの「感情同期ゲージ」が微弱に点滅している。
まだ始まったばかりだが、何か新しいものが芽生え始めている気がした。
《配信終了》
本日の視聴者ピーク:3,204人
登録者数:1,892人(+451↑)
スパチャ累計:「ソフィアちゃんを幸せにしてください」多数
《編集メモ》
「今日の配信、サムネどうしよう。
……ソフィアの顔は出せないけど、
あの耳が少し上を向いた瞬間は映せるな」
「おやすみ、ソフィア」
返事はなかった。
でも、毛布の下のしっぽが、一度だけ小さく揺れた気がした。
――それを見ていた何かが、静かに記録を一行増やした。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




