第39話 凍土に、炎が燃えた日
三日後。
スピィナーダの中央広場は、年に一度だけ民が集まる場所だった。
本来は絶対君主の演説を、民が黙って聞く行事だ。
声を出す者はいない。拍手さえ、義務としてしか行われない。
俺たちは広場の端に立った。
《LIVE開始:#異世界配信 #皇国 #国民集会》
《視聴者数:18,203人》
「今日は皇国・スピィナーダの国民集会です。年に一度、絶対君主が民に演説をする日です」
街の民が広場に集まってくる。
全員が無言で、目線が下向きのまま。
いつもの皇国の景色だ。
でも今日は、少し違う。
昨夜、路地で会った老婆が、広場の片隅に立っていた。
こちらを見て、小さくうなずいた。
十五年記録を続けている女も、人混みの中に見えた。
少年は、人込みの後ろに隠れるように立っていた。
彼らには昨日、今日の計画を伝えていた。
「声を出せなくていい。ただ、そこにいてくれ」
それだけを頼んだ。
絶対君主の演説が始まった。
内容はいつも通りだという。国の繁栄、民への感謝、次年度の方針。
型通りの言葉が、石造りの広場に響いた。
民は黙って聞いている。
拍手の合図があれば拍手をする。
それだけだ。
演説が終わった。
絶対君主が壇上から降りる前に、一瞬だけ俺に目を向けた。
妨害はしない。
その目が、約束を守ると言っていた。
俺は広場の中央へ歩いた。
配信ウィンドウを最大出力にした。
「皇国の皆さん、そして配信を見ている世界中の皆さんに、今日は一つお願いがあります」
広場の民が、俺を見た。
外来者が広場の中央に立っている。異様な光景だ。
「俺は記録する者です。連邦から始まって、共和国、帝国、そしてここ皇国まで来ました。どこへ行っても、声を持つ人がいました。声を出せない状況にある人も、声を持っていました」
誰も動かない。
衛兵がこちらを見ているが、動かない。絶対君主の約束通りだ。
「今日、一つだけ聞かせてください。この広場にいる誰でもいい。声を出せる人がいれば、何でも言ってほしい。怒りでも、悲しみでも、何でも」
静寂。
三十秒、一分。
誰も声を出さない。
《コメント:難しいよ……》
《コメント:怖いに決まってる》
《コメント:でも、待ってる》
俺も待った。
声が出たのは、広場の端だった。
老婆だった。
最初は小さかった。
ほとんど音にならないくらいの、細い声。
でも確かに、歌だった。
三十年間、夜中に路地で一人で歌い続けた歌。
広場に、その声が流れた。
誰かが息を呑む気配がした。
それから。
別の声が加わった。
一人ではない。
老婆の歌を知っている者が、広場のどこかにいた。
二人になり、三人になった。
若い女の声。老いた男の声。子どもの声。
全員が同じ旋律を歌っていた。
禁じられていた歌を、三十年ぶりに、昼間に、公の広場で。
《視聴者数:31,203人》
数字が跳ね上がった。
《コメント:……》
《コメント:みんな歌ってる》
《コメント:泣いてる、俺》
《コメント:これが、貫いた先にあるもの》
《スパチャ:20,000G 秀直、ありがとう》
《スパチャ:10,000G 届いた》
ティアナが、俺の隣で旋律を口ずさんでいた。
知らない言葉で、でも同じ旋律で。
孤児院で先生から聞いた、あの歌の流れで。
クリスティーナが「にゃあ……」と言いながら、折れ耳を伏せていた。泣きそうな顔をしていた。
ミリアムが赤縁メガネの奥で、目をまっすぐ前に向けていた。
シャルロッタが「……はしたないですが、今日は許しますわ」と言いながら、口元を押さえていた。
ソフィアが、俺の袖をそっと握っていた。
「……ご主人さまぁ」
「なんだ」
「燃えてますね。この国」
「そうだな」
「凍土でも、燃えるんですね」
歌は、三分ほど続いた。
それから自然に、収まっていった。
誰かが始めたわけでも、誰かが止めたわけでもない。
ただ、燃えるだけ燃えて、静かになった。
衛兵は動かなかった。
拘束する者はいなかった。
広場に、また静寂が戻った。
でも、さっきまでとは違う静寂だった。
重さが変わっていた。
声が出た後の静けさは、声が出る前の沈黙とは別物だった。
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広場を出るとき、少年が俺の前に立った。
「……父のことが、外に届きましたか」
「届いた」
少年がうなずいた。
「ありがとう」
それだけ言って、人混みの中に消えた。
《コメント:良かった》
《コメント:少年、頑張れ》
《コメント:父親が戻ってくるといい》
その願いが、どこまで届くかは分からない。
でも、声は外に出た。
「記録した。消えない形で」
俺は呟いた。
配信ウィンドウの数字を見た。
《視聴者数:31,203人》
《システム通知:感情共鳴モード・最高強度》
《「祈り」「喜び」「悲しみ」「怒り」が同時に加算されています》
《ステータス上昇率:+89%》
背中が熱い。
錫杖が、七環が、微かに鳴っていた。
何万人かの感情が、体を通り抜けていく。
「……一人じゃない」
──その夜。
遠い場所の何かが、初めて声に出して笑った。
ただし、それはまだ誰にも聞こえなかった。
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