第38話:支配者の孤独と、燃える声
絶対君主は、しばらく黙っていた。
俺も黙っていた。
会議室の石の壁に、二人分の呼吸の音だけがあった。
ソフィアが、気配を消すように静かに立っている。
「……昨夜の配信で何を感じたか、か」
絶対君主がゆっくりと繰り返した。
「答える義務はないが、答える」
「どうぞ」
「……あの歌を、最後に聞いたのは三十年前だ」
俺は何も言わなかった。
「即位したとき、俺は発言統制令を出した。体制の安定のために必要だと判断した。歌の禁止もその一つだ。先代を称える歌は、反体制の象徴になりうる。だから禁じた」
「……それで、安定したのか」
「した。この国は今、三十年前より豊かだ。他国への侵略も、以前より少ない。数字の上では、成果がある」
「数字の上では」
絶対君主が俺を見た。
「……お前は数字の裏を読む男らしいな」
「記録する仕事だから」
「では聞くが、昨夜の女が言っていた。十五年間、石版に記録を続けていると。それを俺が聞いて、何を思うと思う」
「……怖い、と思った」
絶対君主の目が、かすかに細くなった。
「正解だ」
《コメント:絶対君主、本音が出てきた》
《コメント:この人、孤独だ》
《コメント:怖いのは記録じゃなくて……》
「俺が怖いのは、その女が存在することじゃない」
絶対君主が立ち上がり、窓へ向かった。
皇城の窓から、スピィナーダの街が見える。
「俺が怖いのは、三十年間誰も教えてくれなかったということだ。俺の周囲には報告が集まる。だが、石版に刻まれた記録は、誰も俺に持ってこなかった。……俺の知らない場所で、この国の本当のことが記録され続けていた」
「……支配者の孤独だな」
絶対君主が振り向いた。
「何?」
「知っているつもりで、知らない。それが権力を持つ者の孤独だ。帝国の皇帝も同じことを言っていた」
「帝国の話を持ち出すか」
「あの男も、外の目を必要としていた。お前も同じだと思う」
絶対君主が、しばらく俺を見た。
「……帝国の若造と俺を同列に語るな」
「どこが違う」
「あいつは民を信頼している。俺は……信頼できなかった」
「三十年前の判断が、そうさせた」
「そうだ」
「今からでも変わるか」
絶対君主が、窓の外に目を戻した。
長い沈黙。
「……お前は、俺に何を求めている」
「何も求めていない。記録するだけだ」
「記録して、外に出す。それがどういう意味か分かっているか。この国の民が、外の声を聞けば……」
「声を上げるかもしれない」
「そうだ。それを俺は恐れている」
「……恐れているのに、俺を拘束しなかった。なぜだ」
絶対君主がまた沈黙した。
それから、答えた。
「……あの歌を、三十年ぶりに聞いた。昨夜の配信で。俺が禁じた歌を、老婆が歌っていた。……俺は、それを聞いて」
声が止まった。
「……何を感じた」
「懐かしいと思った」
窓の外の、静かな皇国の街。
「即位する前、子どもの頃に聞いた歌だった。母が歌っていた。それを禁じたのは俺だ。……三十年経って、配信で聞くことになるとは思わなかった」
《コメント:……》
《コメント:この人も、あの歌の中にいた》
《コメント:泣いてる》
《視聴者数:21,403人》
俺は立ち上がった。
「一つ、提案がある」
絶対君主が振り向いた。
「この国の民の前で、配信をさせてくれ。昼間に、公の場で。規定の制限の中でいい。ただ、声を持っている人間を映させてくれ」
「……それは」
「拘束するもしないも、その後でいい。でも一度だけ、民の前で、外の声を届けさせてくれ」
絶対君主がしばらく黙った。
「……なぜ俺がそれを許可しなければならない」
「許可しなくてもいい。ただ、妨害しないでくれ」
また沈黙。
今度は長かった。
「……三日後、広場で行事がある。年に一度の国民集会だ。俺が演説をする。……その前後の時間を使っていい。妨害はしない」
「ありがとう」
「礼は言うな。俺は何もしていない」
絶対君主は窓に背を向けて、元の椅子に座った。
「……神酒秀直。お前の配信は、この国が閉じている間も、外から届いていた。俺も密かに見ていた」
「知らなかった」
「知らなくていい。……ただ、燃えてるなと思っていた。この寒い国に届く配信が、どこか温かかった」
「燃えてますよ」と俺は言った。「ただ、誰も声を上げる方法を知らないだけで」
絶対君主が、初めて笑った。
「……お前が帝国の若造と話したなら、その話をしたか」
「似たようなことを言った」
「あいつも笑ったか」
「笑った」
「……そうか」
それだけだった。
──────
部屋を出て、廊下を歩きながら。
ソフィアが小声で「ご主人さまぁ、三日後が楽しみです」と言った。
「怖くないのか」
「怖いです。でも、絶対君主さん、悪い人じゃなかったです。ただ、三十年間間違え続けた人でした」
「鋭いな」
「ソフィア、人の耳が得意なので」
「耳?」
「声のトーンで分かります。あの人の声、最後は少しだけ温かくなってました」
《コメント:ソフィアすごい》
《コメント:声のトーンで読む犬耳》
《コメント:三日後が楽しみだ》
──遠い場所で、何かがこの言葉を聞き届けた。
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




