表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/56

第36話 夜の記録者たち

 男の名前は、聞かなかった。




 聞けば、向こうが危険になる。


 それが、この夜の暗黙のルールだった。




 路地の奥、火鉢を囲んで六人と四人が向き合った。


 老婆が仲介するように真ん中に座り、男と女と少年が、それぞれ少しずつ話し始めた。




 俺は配信ウィンドウを開いた。


 映像は路地の石畳と火鉢だけ。顔は映さない。声も少し変調をかける設定にした。




「……皇国では、三十年前から『発言統制令』が出ている」




 男の声は落ち着いていた。




「公の場での体制批判は即拘束。私的な会話であっても、密告があれば調査対象になる。だから民は話さない。話せない」




「密告が横行しているのか」




「密告者には報奨が出る。隣人を売れば、食料の配給が増える。だから……誰も信用できない。家族でさえ、完全には」




 《コメント:そんな国が……》


 《コメント:隣人を売る国》


 《コメント:聞いてるだけで息が詰まる》




 女が続けた。


 声は若い。二十代後半か、三十歳前後だろう。




「私は、記録をしています。発言統制令が出てから何人が拘束されたか。どんな理由で。その後どうなったか」




「どこに記録している」




 女は少し迷ってから、足元の床板に手をかけた。




「……少しだけなら」




 床板が外された。


 その下に、薄い石版が何枚も重ねられていた。




 日付。名前。拘束理由。戻ってきた者。戻らなかった者。




 文字は小さかった。


 でも、浅くはなかった。


 消されないように、深く、細く、何度も削って刻まれていた。




「紙は燃やされます。声は消されます。でも、石なら少しだけ長く残る」




 俺は何も言えなかった。




 記録する者は、俺だけじゃなかった。


 この国には、俺が来る前から、ずっと声を残そうとしていた人がいた。




 俺の配信は、その声を外へ運ぶための道でしかない。




「……何年分ある」




「十五年分。私が始めたのは十五歳のときです。今は三十歳です」




 十五歳から。




 《コメント:……》


 《コメント:十五年》


 《コメント:俺も何かしなければいけない気がしてきた》




 少年が、ずっと黙っていた。




 俺は無理に話させなかった。


 しばらく待った。




 少年がようやく口を開いたのは、女が石版を戻した後だった。




「……父が、去年、拘束されました」




 小さい声だった。




「理由は、市場で商人と話していたときに、食料の値段が高いと言ったからです。それを誰かが聞いていた」




「……今は」




「まだ、戻っていません」




 少年の声は震えていなかった。


 震えを、もう使い果たしたのかもしれない。




「……あなたの配信を見ました。共和国で、市民の声を外に出していた。だから……父のことも、外に出してほしいです」




「名前は出せない」




「分かっています。でも、こういうことが起きているということだけでも」




 俺はうなずいた。




「届ける」




 少年が、やっと顔を上げた。


 火鉢の赤い光が、その目に映っていた。




 《コメント:子どもが……》


 《コメント:父親がいなくなった》


 《コメント:秀直、頼む》


 《スパチャ:15,000G この子の声を届けてください》




 視聴者数が静かに増え続けていた。




 《視聴者数:18,403人》




 話が終わったのは、深夜だった。




 男、女、少年の三人は、来たときと同じように音もなく消えた。


 老婆だけが残って、また小さく火鉢の炭をつついた。




「……外に届くか」と老婆が聞いた。




「届ける」




「信じるよ。あんたの目が、ちゃんと見ている目をしているから」




「どんな目だ」




「逃げない目だ」




 老婆はそれだけ言って、また歌い始めた。


 さっきより少し大きく、それでも路地の外には漏れない音量で。




 ソフィアが俺の隣で、耳をそっと伏せながら聴いていた。


 ティアナが、目を閉じて旋律を覚えようとしている。


 クリスティーナが、折れ耳を立てて、じっと前を向いていた。




 ミリアムが小声で言った。




「……処女だもん、って関係ないですが……なんか、大事なものを見た気がします」




「何が大事だと思った」




「……声を持ち続けること、です。もん」




 シャルロッタが静かに頷いた。




「……そうですわね」




 珍しく、反論しなかった。




 宿に戻って、配信を締めた。




 《LIVE終了:#異世界配信 #皇国 #夜の記録者》


 《視聴者数ピーク:18,403人》


 《登録者数:22,100人》




 布団に横になりながら、天井を見た。




 十五年間、石版に刻み続けた女。


 父を失った少年。


 三十年、夜中にだけ歌い続けた老婆。




 記録する者は、どこにでもいた。


 俺が来る前から、すでにいた。




「……俺は、記録を届けるだけでいい」




 それが今夜分かったことだった。




 ──遠い場所で、何かがこの気づきを静かに見ていた。




少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ