第30話 皇帝の傷と、刻む者の誓い
皇城の謁見室は、想像より質素だった。
金箔や豪奢な装飾ではなく、磨かれた石の床と高い天井、長い木のテーブル。
復興途上の実用主義が、ここにも表れていた。
衛兵に案内されて通されたとき、部屋の奥に一人の男が立っていた。
三十代前半。
短く整えられた金髪、灰色の瞳。
軍服ではなく、簡素な上着に長衣を合わせている。
皇帝の衣装としては地味すぎるほどだ。
でもその背筋と目が、この男の正体を語っていた。
一切の余白のない立ち方。
部屋の全体を一瞬で把握している目。
「神酒秀直か」
声は低く、落ち着いていた。
「そうだ」
「……随行者が多いな」
「一人で来る理由がなかった」
皇帝は少しの間、俺のパーティ全員を眺めた。
犬耳のソフィア、黒髪のシャルロッタ、くせ毛のミリアム、ラベンダーのティアナ、そしてミントグリーンのクリスティーナ。
クリスティーナが、皇帝と目が合った瞬間、折れ耳をぺたんと伏せた。
「……クリスティーナ=ヘルツベリ。グレゴールの助手だな」
「は、はい……っ」
「グレゴールは元気か」
「……元気です。記録を続けています」
「そうか」
皇帝は短く頷いてから、俺に視線を戻した。
「座れ」
テーブルの前に椅子が並べられていた。
俺たちが座ると、皇帝も向かいに腰を下ろした。
侍従は部屋の外に出た。二人きり、ではないが、記録には残らない会話をする気らしい。
俺は配信ウィンドウを閉じた。
「……配信を止めたか」
「お前が止めてほしいと思うなら、そうする」
「……いや、続けてもいい。ただ、俺の顔と声は出すな」
「分かった」
配信ウィンドウを再起動した。映像は天井に向け、音声だけ拾う設定にした。
《視聴者数:11,302人》
《コメント:皇帝に会ってる?》
《コメント:映像ないの》
《コメント:音声だけでも聞きたい》
「お前の配信を、共和国のアーク初日から見ていた」と皇帝が言った。
「知っていたのか、俺が来ることを」
「予測していた。ダリウスが帝国に知り合いを持ち、外来者を紹介する経路はいくつかある。グレゴールへの紹介状は、その一つだ」
「……読まれていたわけか」
「情報を扱うのが皇帝の仕事だ。知らない方がおかしい」
皇帝は片手をテーブルに置いた。
「一つ聞く。お前は何のために記録する」
「好きなことで生きていくためだ」
皇帝の眉が、わずかに上がった。
「……もう少し詳しく」
「記録することが俺の好きなことだ。見たものを残す。聞いたことを届ける。それが俺のやり方だ。理由はそれだけだ」
皇帝はしばらく俺を見ていた。
「……帝国のためではないのか」
「帝国のためでも、共和国のためでもない。俺は俺のために記録する。結果として誰かの役に立つなら、それでいい」
「潔いな」
「正直なだけだ」
《コメント:秀直らしい答えだ》
《コメント:皇帝、どう反応するんだろ》
皇帝が、長く息をついた。
「……俺は、帝国を復興させた。十年かけて。それは本物だ」
「知っている。街の老職人も、民も、そう言っていた」
「だが、取り残されたものがある」
皇帝の声が、少し低くなった。
「亜人の問題だ。帝国の長い歴史の中で積み重ねられた差別の構造は、十年の復興では変わらない。俺は変えようとしている。だが議会が動かない。貴族が反対する。民の意識が変わらない」
「……グレゴールの記録は読んだか」
「読んでいる。彼が議会に提出した案も、俺は支持していた。潰したのは俺ではない」
「知っている」
皇帝が、初めて少し驚いた表情をした。
「……グレゴールから聞いたか」
「ダリウスから。あの頑固な書記官は、お前のことを信頼していた」
皇帝が苦いような笑みを浮かべた。
「あの男も頑固すぎて使いにくい」
「お前と同じ目をしている。記録する人間の目だ」
沈黙が流れた。
皇帝はテーブルの上で手を組み、俺を見た。
「神酒秀直。お前に頼みたいことがある」
「聞く」
「帝国の傷を、記録してくれるか。取り残された区画を。変わらない構造を。それでも変えようとしている人間を。全部、外に出してくれ」
俺は少し間を置いた。
「共和国でも同じことを言われた」
「知っている。だから頼む。お前は言われても、自分で判断して動く。それが俺が必要としている人間だ」
「……条件がある」
「言え」
「配信に乗せる内容は俺が決める。お前の都合のいい部分だけを映すつもりはない。取り残された区画も、帝国の復興の光の部分も、両方を記録する」
「構わない。むしろそれでいい」
「もう一つ。グレゴールとクリスティーナの安全を保証しろ。彼らの活動を、帝国として妨害するな」
皇帝がクリスティーナを見た。
クリスティーナは固まっていた。
「……保証する」と皇帝が言った。「グレゴールの記録は、本来帝国が持つべきものだった。遅すぎたが、俺が守る」
クリスティーナの折れ耳が、ゆっくりと立った。
《コメント:皇帝、思ってたより話わかる》
《コメント:クリスティーナちゃん良かった》
《コメント:この台詞、絶対後で効いてくる》
「では、一つ聞いていいか」
皇帝が言った。
「なんだ」
「お前は、この国の傷を刻んで、どこへ持っていく」
俺は少し考えた。
「次の国へ。そして最終的には、この世界中の誰かに届く場所へ」
皇帝が、初めて笑った。
笑い方も質素だった。ただ目元が少しだけ柔らかくなる、そういう笑い方だ。
「……面白い男だな」
「よく言われる」
「帝国を去るまで、自由に動いていい。烈光の証は、お前がここを去るときに渡す」
「まだもらえないのか」
「刻むという言葉は、動詞だ。行動した後に証が出る。それが帝国のやり方だ」
俺は少し笑った。
「……それは納得だ」
謁見室を出て、廊下を歩きながら。
クリスティーナが小声で言った。
「……秀直さん、すごかったです」
「何が」
「あの、皇帝に対してまっすぐ条件を言って……私、足が震えてました」
「俺も少し震えてた」
「にゃ……っ、そうなんですか!?」
「でも、震えながらでも言うしかない」
クリスティーナが考えてから、「……そうですね」と言った。
「私も、これから震えながら続けます」
「お前はその前にまた転ぶと思うが」
「にゃっ!? 転びません!! さすがに今日は転びません!!」
階段の段差に、クリスティーナの足が引っかかった。
「にゃあ――っ!!」
俺は反射的に腕を掴んだ。
「……言ったそばから」
「地面が悪いんです……!!」
《コメント:wwwwww》
《コメント:さすししょ!》
《コメント:帝国アーク好きすぎる》
《視聴者数:13,441人》
夜。
配信を締めてから、俺は外に出た。
皇城の外壁沿いの広場、石のベンチに腰を下ろす。
空を見上げると、帝国の星が見えた。
連邦の紫がかった夜空とも、共和国の暗い夜とも違う。
灰と金の帝国には、冷たく鋭い星空が似合う。
「……刻む、か」
皇帝の言葉を、もう一度口の中で転がした。
「動詞、か。そうだな」
連邦で助けた。
共和国で記録した。
帝国では刻む。
消えないように。
残るように。
錫杖の七環が、夜風に微かに鳴った。
──その音を、遠い場所の何かが聞き届けた。
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