第29話 どこにも属せない者の、答え
三日目。
グレゴールの地下室に通うのが日課になっていた。
資料を読む。数字を整理する。クリスティーナが説明する。俺が配信に乗せる内容を考える。その繰り返し。
シャルロッタが「魔導学院で習ったこととかなり違う数字ですわ」と呟きながら資料の分析を手伝い、ミリアムが地図に数字を書き込み、ティアナが複数の資料を同時に広げて「これとこれ、繋がってる気がする」と言い、ソフィアが「難しいですが、大事なことですよね」と静かに座っていた。
グレゴールは最初、こんなに賑やかになるとは思っていなかったらしく、初日は困惑した顔をしていた。
三日目には諦めたような顔になっていた。
「……お前のパーティは変わってるな」と彼が言った。
「よく言われる」
「でも、仕事はする。特にあの黒髪の娘は分析が速い」
シャルロッタが「あら、認めていただけましたの?」とすかさず反応した。
「褒めてはいない、事実を言っただけだ」
「……十分ですわ」
その日の昼過ぎ、クリスティーナが俺を呼び出した。
「一人で来てほしい場所があります」
「どこだ」
「……亜人街の、一番奥」
亜人居住区の奥は、静かだった。
人が少ない。声がない。
石造りの建物が密集していて、陽光が届きにくい。
ただ、不思議と荒れてはいなかった。
壁には絵が描かれていた。素朴な壁画だ。花、動物、顔。
誰かが、ここに生きていることの痕跡を残し続けているのだろう。
「ここに来るのは、月に一回くらいです」とクリスティーナが言った。
「何しに来るんだ」
「……記録、というより、確認に。まだここに人がいるということを」
奥の小さな広場で、子どもが二人遊んでいた。
エルフの血が入っているらしく、耳が少し長い。
こちらを見て、警戒した目で止まった。
クリスティーナが小さく手を振った。
子どもの一人が、少しだけ表情を緩めた。
「……知り合いか」
「顔見知りです。師匠と一緒に何度か来てたので」
子どもたちは、しばらく様子を見てから、また遊び始めた。
「……秀直さん」
クリスティーナが、前を向いたまま言った。
「私、帝国が嫌いじゃないんです。復興は本物だと思う。皇帝が本気で国を立て直そうとしているのも分かる。でも……この区画のことを、誰も見ていない。数字の外にある話を、誰も知らない」
「だから記録するんだろ」
「……でも、私じゃ届かない。クオーターで、どこにも属せなくて、師匠の助手で……影響力が、ない」
「それは俺も最初はそうだった」
クリスティーナが振り向いた。
「……え?」
「転生したばかりの頃、視聴者ゼロだった。声が届く気がしなかった。でも続けたら、届くようになった」
「それは……あなたが特別だったからじゃないですか」
「特別じゃなかった。ただ記録し続けた」
クリスティーナがしばらく黙った。
折れ耳が微かに動いている。
「……私も、続けていいですか」
「お前が決めることだ」
「でも……あなたと一緒なら、届く気がします」
直球だった。
《コメント:FLAG03来た》
《コメント:クリスティーナちゃん真剣な顔もいい》
《コメント:秀直、鈍感発動しないでくれ》
俺は少し考えてから答えた。
「今日から帝国の配信に、お前の師匠の記録を乗せる。お前の名前は出さない。でも、お前が集めた数字は全部使う」
クリスティーナの目が、大きくなった。
「……本当に?」
「嘘はつかない主義だ」
「にゃあ……っ」
猫耳がぴんと立った。
今度は伏せではなく、嬉しいときの立ち方だ。
「ありがとうございます……! 本当にありがとうございます……!!」
「泣くな、配信中だ」
「配信してたんですか!?」
「してた」
「にゃああああ!! 顔映ってますか!? 今の顔映ってますか!?」
「映ってる」
「もうっ!! 事前に言ってください!!」
《コメント:wwwww》
《コメント:さすししょ展開始まったじゃん》
《コメント:クリスティーナちゃん好きだわ》
夕方、グレゴールの地下室に戻ると、彼が珍しく立ったまま待っていた。
「……今日、皇城から連絡が来た」
「皇城から?」
「皇帝が、お前に会いたいと言っている」
部屋の空気が変わった。
ソフィアの耳がぴたりと止まる。
シャルロッタが書類から顔を上げる。
ミリアムが「もん……」と小さく息をこぼす。
「……なぜ」
「お前の配信を見ていたらしい。共和国での一件から、ずっと」
グレゴールが俺を見た。
「皇帝は、お前が帝国に来ることを予測していたかもしれない。……ダリウスの紹介状を経由して来ることも含めて」
「……読まれていたか」
「賢い人間だ。それが現皇帝という男だ」
クリスティーナが隣で「会ったことがあります、一度だけ」と言った。
「どんな人間だ」
「……怖い人、ではないです。でも、何を考えているか分からない目をしてます」
「答える気はあるのか、お前に」
「……私も行っていいですか?」
「なぜ」
「怖いから。一人では嫌です」
《コメント:素直すぎる》
《コメント:でもそれが正直でいい》
《コメント:皇帝登場フラグ》
「分かった。全員で行く」
グレゴールが「全員で?」と目を細めた。
「一人で行く理由がない」
「……ふっ。そういう男か」
グレゴールが初めて、笑ったような表情をした。
その夜。
宿の自室で、一人で天井を見ていた。
明日、皇帝に会う。
何を刻むことになるのか。
何を問われるのか。
「……帝国で何を刻むか、か」
呟いた言葉が、部屋の石壁に吸い込まれた。
示教国が鎖国しているという噂を、今日の配信後に視聴者から教えてもらった。
«コメント:秀直、知ってる? 示教国が最近完全に閉じたらしいよ»
«コメント:巡礼者も入れないって聞いた»
「……示教国」
俺はその言葉を、頭の中に収めた。
今はまだ、それだけでいい。
──遠い場所で、何かがこの夜を静かに見ていた。
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