第25話 ブルーム平原の咆哮、そして誓い
ロラン共和国・南郊外。
パラディアの城壁を背に、街道が平原へと伸びている。
ブルーム平原、と呼ばれるその土地は、春には色とりどりの花が咲き乱れると聞く。
だが今は初夏の手前、草は青く背丈があり、風が吹くたびに波のようにうねった。
視界が広い。遮蔽物が少ない。戦場としては最悪の部類だ。
「……ご主人さまぁ、義勇兵の集合地点ってここで合ってますか?」
ソフィアが地図を広げて、耳をぴくりと動かす。
「合ってる。あと十分もしたら他の参加者も来るはずだ」
俺は配信ウィンドウを確認しながら答えた。
《視聴者数:6,203人》
《コメント:いよいよ試練か》
《コメント:共和国アーク最終戦?》
《コメント:ミリアムちゃん今日も来るの?》
「……来ます」
後ろから声がした。
振り向くと、赤縁の丸メガネをかけたくせ毛の少女が、剣を腰に提げて立っていた。
ミリアム=アークライト。
第23話で正式に合流した後輩戦士は、今日も眉間にしわを寄せながら、でも目だけは真剣に前を見ていた。
「……呼んでないのに聞こえるんですね、ソフィアさんのでかい声」
「耳がいいので!」
「……そうですね」
《コメント:ミリアムちゃんだ!!》
《コメント:今日の衣装かわいい》
《コメント:くせ毛ショートボブ好きすぎる》
義勇兵は全部で十二名。
共和国の外から来た冒険者と、ナローア組織から派遣された数名が混じっていた。
試練の内容は単純だ。
ブルーム平原の南東、「緑の爪」と呼ばれる盗賊団の残党が最後の拠点を構えている。
そこを制圧し、囚われている村人を解放する。
それが義勇の証を得るための条件だった。
指揮官を名乗った元軍人の男が、地形図を広げて説明する。
「敵の数はおよそ四十。囚われた村人は十五名。囮隊が正面を引きつける間、突入班が横から回り込む。秀直、お前の班は突入だ」
「了解」
「ミリアム。お前は後衛支援だ」
「……はい」
ミリアムが静かに答えた。
その声はいつもより少し低かった。
俺はそれに気づいたが、今は何も言わなかった。
作戦が始まった。
平原の草を踏み分けながら、俺たちは敵拠点の横腹へ回り込む。
ソフィアが先行して気配を探り、シャルロッタが後方で魔法の準備を整え、ティアナが低い声で強化の歌を口ずさんでいる。
ミリアムは最後尾で、剣の柄を握りしめていた。
拠点の外柵が見えてきたとき、正面から爆音が響いた。
囮隊が動いた合図だ。
「行くぞ!」
俺の声に、全員が走り出す。
外柵を越え、中庭へ突入した瞬間、敵が四方から現れた。
情報より多い。おそらく別の部隊が合流していたのだろう。
「囲まれてますわっ!!」
シャルロッタが叫びながら後方へ魔法陣を展開する。
ティアナが咄嗟に歌を変え、防御強化の音色を響かせる。
ソフィアが双剣を抜いて、一番近い敵へ飛び込んだ。
俺は錫杖を振り上げ、七環を鳴らす。
《スキル発動:音撃魔法・打音破陣》
衝撃波が扇状に広がり、中央の敵集団を吹き散らす。
だが数が多い。三方向から同時に押されている。
「ミリアム、右側!」
「……分かってます!」
彼女が剣を抜いた。
ミリアムは強い。
俺はそれをこの半年で十分に知っていた。
くせ毛と赤縁メガネの後輩戦士は、不幸体質で、よく転び、よく巻き込まれる。
だが剣を握った瞬間だけは、違う顔になる。
「はっ……!」
短い呼気と共に踏み込み、右から来た敵の剣を弾き、そのまま懐に入って鳩尾に柄を叩き込む。
倒れた敵を踏み越え、次へ。
動きに無駄がない。本人は「まだまだです」と言うが、今のミリアムは本物の戦士だ。
《コメント:ミリアムちゃん強くなった》
《コメント:剣筋が全然違う》
《コメント:かっこいい……》
ところが。
「……っ!?」
ミリアムの足が滑った。
平原の草が露に濡れていた。わずかな段差、それだけで彼女のバランスが崩れる。
体勢が崩れた一瞬。
そこに、後方から回り込んでいた敵が飛び込んだ。
刃ではない。体当たりだ。
ミリアムの体が横に吹き飛び、外柵の石壁に背中から叩きつけられる。
「ミリアム!」
俺が叫んだとき、彼女はすでに起き上がろうとしていた。
だが追撃が来る。今度は刃を持った敵が二人。
剣を構えるミリアムの体勢は、まだ整っていない。
左目上のヘアピンが、衝撃で外れかけていた。
───────
「退け」
俺の声は、自分でも思った以上に低かった。
錫杖を肩に担ぎ、二人の間に割り込む。
七環が鳴る。一人目の剣を杖で受け流し、石突きで足を払う。
倒れた隙に二人目の腕を掴んで壁へ投げる。
二秒で終わった。
ミリアムが石壁に背を預けたまま、俺を見上げていた。
「……また、来てくれた」
小さい声だった。
「当たり前だろ」
俺はそう言って、彼女に手を差し伸べた。
ミリアムは一瞬だけ躊躇して、それから素直に手を取った。
立ち上がりながら、彼女は視線を逸らした。
頬が赤い。
「……処女だもん……こんなとこで助けられても、喜ばないですからね……」
「喜んでくれとは言ってない」
「……む」
《コメント:ここ好きすぎる》
《コメント:デスティニーじゃん》
《コメント:ヘアピン落ちそう》
──俺の目にだけ、ミリアムの背に光る紋章が見えた。
《デスティニー観測:結合度 65% → 85%》
《紋章:金色から、深金へ》
《第四の鍵穴──解錠》
─────
戦闘が終わったのは、それから三十分後だった。
村人十五名、全員無事。
義勇兵の損害は軽傷数名。
「緑の爪」の残党は制圧され、拠点は壊滅した。
指揮官が各員の前に立ち、義勇の証明書にサインをしていく。
俺の番になったとき、彼は書類から目を上げた。
「お前の班が一番よく動いた。特にあの後衛の娘、見事だった」
ミリアムが気配を固めたのが分かった。
「……ありがとうございます」と彼女は答えた。声が少しだけ震えていた。
────
夕方。
ブルーム平原の草が橙色に染まる時間。
五人で、パラディアへ戻る街道を歩いていた。
ソフィアが「お腹すきましたぁ」と言い、シャルロッタが「はしたないですわっ」と窘め、ティアナが「だぁりん、ごはんごはん!」と袖を引っ張る。
いつもの風景だ。
俺はその少し後ろを歩くミリアムに、静かに並んだ。
しばらく無言で歩いた。
「……せんぱい」
ミリアムが口を開いた。
「……今日で、四回目ですよね。せんぱいに助けてもらったの」
「数えてたのか」
「……覚えてます。全部」
平原の風が、くせ毛を揺らした。
ヘアピンが今度はちゃんと、左目上に留まっている。
「第10話の廃坑。第11話の撤退戦。第16話の路地。……今日」
「俺が数えてたわけじゃない。お前がいる場所にたまたまいただけだ」
「……たまたまじゃないと思います」
ミリアムは足を止めた。
振り向いた彼女の目が、アンバーブラウンの瞳が、夕陽の色を受けて揺れていた。
「……せんぱいが、デスティニーって言葉を使うのを聞いたことがあります。配信で」
「……ああ」
「あれって、本当にあるんですか。運命とか、縁とか」
俺は少し考えた。
「俺のスキルが言ってるだけかもしれない」
「……でも、せんぱいは信じてるんですよね」
「……信じてる」
ミリアムが、一歩だけ近づいた。
メガネの奥の目が、ほんの少しだけ潤んでいた。
「……私も、信じます。……処女だもん、って関係ないですけど」
「なんで毎回それを言うんだ」
「……癖……もん」
それから彼女は、小さく息を吸った。
「……せんぱい。私、正式に、仲間にしてください。今度こそ逃げないですから」
───
《デスティニー観測:ミリアム=アークライト 結合度 85% 確定》
《第四紋章:深金・安定》
《デスティニールート 正式起動》
───
俺は答える代わりに、手を差し出した。
「来い」
ミリアムは一秒だけ固まって、それから赤い顔でその手を取った。
「……はい、せんぱい」
《コメント:きたーーーーーーーー!!!!》
《コメント:加入確定!!》
《コメント:ミリアムちゃんおめでとう》
《コメント:泣いてる俺泣いてる》
《スパチャ:5,000G おめでとうミリアム!!》
《視聴者数:11,244人》
《システム通知:《インフィニット・ストリーム Lv.2》感情共鳴モード発動》
《視聴者の「祝福」がステータスに加算されています》
背中の産毛が、ざわりと逆立つ。
体の中に、何千人かの体温が混ざってくる。
一人じゃない、って分かる感覚。
「……なんか、視聴者がうるさいな」
「え? せんぱい、今の見えてたんですか?」
「俺にしか見えない」
「……それって、ずっとこっちを見てるってことじゃないですか」
「そうだな」
「……変態だ」
「仕様だ」
《コメント:wwwwww》
《コメント:秀直さっぱりしすぎ》
夜、パラディアの宿に戻ってから、俺は配信を締めた。
《LIVE終了:#異世界配信 #共和国 #ブルーム平原》
《視聴者数ピーク:11,244人》
《登録者数:14,800人》
《本日の配信時間:5時間02分》
ベッドに横になりながら、天井を見た。
明日は義勇の証の受領手続き。
それが終われば、共和国アークは閉じる。
次は帝国だ。
でも今夜は、そんなことはどうでもよかった。
──どこか遠い場所で、何かがこの光景を見ていた。
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