第24話:ナローア拠点接触
パラディアの東側は、西の豪奢な官庁街とはまるで別の顔をしていた。
石造りの建物が密集し、路地は狭く、昼間でも陽光が届きにくい。
剥げかけた壁に植物が侵食し、水はけの悪い石畳に雨後の水たまりが残っている。
旧市街と呼ばれるこのエリアは、共和府の「近代化」計画から取り残されたまま、静かに老い続けていた。
「……なんか、空気が違いますね」
シャルロッタが革鞄を胸に抱え、小声で言う。
アメジストの瞳が路地の奥を慎重にたどっていた。
「連邦の旧住宅街より、ずっと重たい感じがします。怒りみたいな、何か」
「人の生活が詰まってるからじゃないか」
俺はそう答えながら、配信画面の端を確認する。
《視聴者数:4,201人》
《コメント:秀直、東側に入ったの初めて?》
《コメント:このへんが旧市街か……》
《コメント:なんか怖い。気をつけて》
目印は「壊れた鐘楼」。
それがナローア組織から伝えられた接触ポイントだった。
昨日の情報は、宿の食堂で出会った老商人から得たものだ。
「東側に行くなら、鐘のない塔を探せ」と彼は茶を飲みながら告げた。
詳しいことは言わなかったが、目が真剣だった。
ソフィアが先を歩きながら、鼻をひくひくさせる。
「……ご主人さまぁ、あっちです。火を使ったあと、それから人がいっぱいいた匂い」
「ナレーションするな、配信中だ」
「ナレーション?」
《コメント:ソフィアが探偵みたいになってるw》
《コメント:犬耳の活躍》
ミリアムが後ろからぽつりと言った。
「……怖いもん、正直。でも、逃げないですよ。処女だもん……関係ないですけど」
「最後の一言が謎すぎる」
「なんとなく言いたかったんです……もん」
ティアナが隣でくすくすと笑う。
「お兄さん、ミリちゃんはいつもそうだよ。覚悟の前に口から出てくるタイプ」
「だぁりんって呼んだら怒りますよ……? ミリアムさん」
「ティアナさんのそれ、こわいんですよね……?」
鐘楼は、路地の突き当たりにあった。
かつては礼拝堂の一部だったらしく、石の基礎だけが往時の規模を伝えている。
鐘そのものはとっくに撤去されており、吹きさらしの鐘室に風が通り抜けるだけだ。
扉の前に立つと、中から「来い」という短い声がした。
内部は薄暗く、石のにおいと油ランプの暖かさが混ざっていた。
人が十人ほど、丸くなって床に座っている。
年齢はばらばらだ。
四十代の職人風の男、二十代の女、白髪の老婆、若い農民。
共通しているのは、全員の目が疲れていること。そして、消えていないこと。
立ち上がったのは三十代前半の男だった。
長身、短く整えた黒髪、官服の名残がある上着を着こなしている。
腕を組んで、こちらをまっすぐ見た。
「あんたが、外から来た配信者か」
断言だった。疑問符がなかった。
「そうだ」と俺は答えた。
「名前は」
「神酒秀直。Cランク冒険者、配信者」
男はゆっくりとうなずいた。
「俺はダリウス。元共和府の統計局、主任書記官補。……今は、ただの市民だ」
《コメント:元役人か……》
《コメント:なんかリアルっぽい空気になってきた》
《コメント:秀直、これ配信してていいの?》
俺は少し迷った。
配信を止めるべきか。いや、だからこそここに来たんじゃないか。
「配信は続ける。それも含めて聞いてくれ」
ダリウスは視線を動かさなかった。
「知ってる。お前の配信は、共和国の外まで届いている。連邦の亜人街で見た者がいる。公国の商人が話していた。……俺たちの声は、この壁の中から出られない。お前の配信ならば、外に届く」
静かな部屋に、その言葉が重く落ちた。
ダリウスが続ける。
「俺は四年間、統計局で数字を扱ってきた。共和府が公表する経済成長率、食料自給率、治安指数。全部、嘘だ。本当の数字は全部、俺の手の中にある。民の飢餓率、拘束者数、抵抗運動への弾圧件数。……記録した。記録するしかなかった。けど俺一人が持っていても、壁の内側で腐るだけだ」
「……だから、外の声が欲しい」
「そうだ。俺たちの代わりに、外へ出してくれ」
部屋の中が、しんと静まり返った。
ソフィアが俺の袖の端をそっと握っている。
シャルロッタは革鞄を膝に置いて、唇を一文字に結んでいた。
ミリアムが小さく「……もん」と息をこぼしたが、続きは言わなかった。
ティアナだけが、静かに油ランプの炎を見ていた。
俺は一度、配信画面を見た。
《視聴者数:5,890人》
《コメント:これ……》
《コメント:すごいな》
《コメント:秀直、頼む》
《スパチャ:3,000G 声を届けてください》
《システム通知:《インフィニット・ストリーム Lv.2》感情共鳴モード発動中》
《視聴者の「祈り」がステータスに加算されています》
画面の数字が、静かに揺れていた。
俺はダリウスを見た。
「分かった」
──一言だけ、答えた。
「記録する。それが俺の仕事だ」
ダリウスの目が、わずかに揺れた。
それだけだった。
四年間の疲労と、今日だけの安堵が、一瞬だけ混ざったような、そういう揺れ方だった。
「……助かる」
短く、それだけ言った。
老婆がかすれた声で「神様のようじゃ」とつぶやいた。
若い農民が袖で目元を拭った。
俺は神様じゃない。
社畜だった三十三歳の、ただの配信者だ。
でも今この部屋に、俺を見ている何千人かがいる。
その目が、今この声を、壁の外へ連れ出してくれる。
「資料はあるか」と俺は続けた。
「ある。数字だけじゃない。証言も、記録も、写しも。ただし複製には時間がかかる」
「俺はここにいる。急ぐな」
ダリウスが初めて、表情を動かした。
笑いとは言えないが、かたくなだった何かが少しだけ解けた顔だった。
話し合いは二時間に及んだ。
ナローアの組織規模、現在の活動域、共和府の弾圧がどこまで進んでいるか。
ダリウスは淡々と語り、俺は配信に乗せた。
シャルロッタが魔導書記術で要点を書き留め、ミリアムが地図の写しを描いた。
途中、ソフィアが外の気配を感知して無言で耳を立てたが、巡回は遠く離れていった。
ティアナは小さな子どもたちに歌を歌っていた。この場所に子どもも来ていたことを、俺はそこで初めて気づいた。
《コメント:これ普通に歴史の目撃者じゃん》
《コメント:チャンネル登録した。絶対続き見る》
《コメント:秀直の配信見てて初めて泣いた》
《視聴者数:9,344人》
《システム通知:登録者数 10,803 → 12,200(+1,397)》
《感情共鳴モード:ステータス上昇率 +34%》
数字が増えていく。
でもそれより、この部屋の空気が少しだけ軽くなっていくことの方が、今は大事だった。
別れ際、ダリウスが言った。
「ひとつ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は、怖くないのか。権力者の不正を外に出す。狙われるかもしれない。仲間も巻き込む」
俺は少し考えた。
「怖い。ちゃんと怖い」
「なら、なぜ」
「見てる人がいるからだ」
ダリウスが眉を上げた。
「……それは、逃げない理由になるのか」
「なる。俺はそういうスキル持ちなんだ」
《コメント:wwww》
《コメント:急にメタに戻ってきた》
《コメント:でもなんか泣けるんだが》
ダリウスが、今度は確かに笑った。
「……変わった奴だな、お前は」
「よく言われる」
鐘楼を出ると、夕暮れが始まっていた。
旧市街の路地に橙色の光が差し込み、昼間とは別の顔になっていた。
ソフィアが隣を歩きながら、静かに言った。
「ご主人さまぁ……今日の配信、すごかったです」
「そうか」
「うん。……ソフィア、記録ってすごいって思いました。消えそうなものが、消えなくなる」
俺は何も言わなかった。
でも、錫杖を握る手に、少しだけ力を込めた。
ミリアムがそっと声を出した。
「……せんぱい、私も、記録してもらった側なんです。第10話のとき、せんぱいが撮ってたじゃないですか、あの路地」
「覚えてるぞ」
「だから、消えなかったと思ってます。……処女だもん、って関係ないですけど」
「本当に毎回それを付け足すんだな」
「癖……もん」
ティアナがくすくすと笑い、シャルロッタが「もう少し品のある口癖を覚えなさいっ」とたしなめた。
四人の声が、旧市街の路地に溶けていく。
《LIVE終了:#異世界配信 #共和国 #ナローア接触》
《視聴者数ピーク:9,344人》
《登録者数:12,200人》
《本日の配信時間:4時間37分》
その夜。
パラディアの空に、星が静かに瞬いた。
――遠い場所で、何かがこの光景を見ていた。
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