第22話 ティアナ、旅に出る理由
孤児院の分院は、パラディアの南外れにあった。
「聖灯院」という名前の、ヴェリシアの聖月孤児院よりも小さい建物だ。
外壁がくすんでいて、窓枠の塗装が剥げている。
でも、庭には小さな花壇があった。誰かが手入れしている。
門の前でティアナが足を止めた。
「……久しぶりに来ました。三ヶ月ぶりくらい」
「遠いからか」
「ヴェリシアから歩いて三日かかるので。馬車賃が払えない時は歩いてきます」
「三日歩いて来てたのか」
「来る理由があれば歩けます」
ティアナがそう言ってから、俺を見た。
「……今日来た理由は、お兄さんが一緒だからです」
「それは来る理由か」
「ティアナの中では、理由です」
言い切って、門を開けた。
━━━
院長は庭にいた。
六十代後半くらいの女性で、ヴェリシアの院長とは姉妹のような関係だという。
白髪を後ろにまとめ、花壇の土を手で触りながら何かを確認していた。
ティアナが「セラ先生」と呼んだ。
院長が顔を上げた。
「ティアナ。来てくれたのね」
それから俺たちを見て「外から来た冒険者さんたちかしら」と言った。
「昨日、分院の前で借金取りと一悶着ありました。それで来た。支援金の件について話を聞かせてもらえますか」
院長がしばらく俺を見た。
それから「中へどうぞ」と言った。
━━━
院長室は狭かった。
机に書類が積み上がっている。
ほとんどが滞納通知と請求書だった。
院長が話してくれた内容は、想定よりひどかった。
「三年前まで、共和府から年に一度の支援金が出ていました。それが二年前から半額になり、昨年からゼロになりました。理由は『財政再建のための一時的な凍結』と書かれていましたが、もう十ヶ月です」
「他の収入は」
「寄付を募っていましたが、市民自身も苦しくて。あとはティアナが路上で集めてきてくれるものと、野菜を作って売るくらいです」
「それで二十人近い子供を養っている」
「……ぎりぎりです」
院長が手を膝の上に置いた。
「借金取りのことは知っています。彼らは共和府の腐敗役人と繋がっている高利貸しです。三ヶ月前に一度お金を借りてしまったことが、今の状況の原因です」
「なぜ借りた」
「子供の一人が病気になって。治療費が急に必要で……」
「わかった」
俺は少し考えてから言った。
「今回のスパチャの分を渡します。借金の返済に使ってください。足りない分は追って考える」
院長が「そんな」と言った。
「視聴者から孤児院向けに届いたものです。使い道は最初からここです」
「……ありがとうございます」
院長が目を細めた。
「でも、それは一度限りの話ですね」と院長は言った。
「そうです。根本は共和府に支援金を再開させることだ。それが俺たちの仕事になるかもしれない」
「……義勇兵として、この国で実績を作るんですか」
「そのつもりです」
院長がしばらく黙った。
それから「ティアナに、何か言ってあげてください」と言った。
「俺からですか」
「あなたからが、一番届く気がするので」
━━━
庭で、ティアナが子供たちと遊んでいた。
四人の子供が、ティアナの周りを走り回っている。
ティアナが両手を広げて「捕まえちゃうよ」と言うと、子供たちが笑いながら逃げる。
俺はその様子を、少し離れた庭の端から見ていた。
ソフィアが隣に来た。
「……ご主人さまぁ、院長先生が何を言ったんですか」
「ティアナに何か言ってやれ、と」
「……なんで院長先生がそれを」
「ティアナがここを離れることを、院長先生も望んでいるんだろう。でも自分では言えない」
「なんで言えないんですか」
「引き止めたいと思ってるからだ」
ソフィアが「……複雑ですね」と言った。
「複雑だ。でも、院長先生は言ってくれた。それだけで十分だ」
子供の一人がティアナの足元に転んだ。
ティアナが素早くしゃがんで「大丈夫?」と言いながら、砂を払ってあげていた。
その背中が、小さかった。
でも、迷いのない背中だった。
━━
昼過ぎ、院長が子供たちを昼食に呼んだ。
ティアナが手を洗いながら「……セラ先生と話しましたか」と聞いてきた。
「ああ」
「……何を話しましたか」
「支援金のことと、借金の返済のこと」
「それだけですか」
「それだけだ」
ティアナが手を拭きながら「……そうですか」と言った。
少し間があった。
「……お兄さん」
「なんだ」
「……ティアナ、ここを離れることが怖かったんです」
俺は黙って聞いた。
「孤児院で育って、ここが全部だったから。セラ先生がいて、子供たちがいて。ここを離れたら、自分が何者かわからなくなる気がして」
「それは今も怖いか」
ティアナが少し考えた。
「……昨日、路地で怖かったです。でも、お兄さんが来てくれた時、声が聞こえた気がしました」
「俺の声か」
「……違います。ティアナの中の声です。『もっと広いところで歌いたい』って、ずっと言ってた声です。封じてたやつ」
「封じてたのか」
「ここにいる理由があるから、出ていく理由がない、って思ってました。でも……本当は理由のどっちが重たいかなんて、自分でわかってたんだと思います」
俺は「そうか」と言った。
「……ティアナ、旅に出てもいいですか」
「昨日から来てる」
「……正式に、聞きたかったんです」
俺は少し考えてから「正式に聞く。来るか」と言った。
ティアナが深呼吸した。
「……はい。行きます」
声が、きちんとしていた。
昨日と違う。昨日はまだ怖かった。今日は、決まっている人の声だった。
━━━
出発前に、院長がティアナを呼んだ。
俺たちは少し離れて待っていた。
二人の声は聞こえなかった。
でも、しばらくして戻ってきたティアナの目が赤かった。
「……泣いてたか」
「……院長先生も泣いてました」
「何を言われた」
「……『あなたの歌は、この建物の中だけで鳴らすには惜しすぎる』って」
「そうだな」
「……あとは」
ティアナが袖で目元を拭いた。
「……『帰ってくる場所は、ここにある』って言ってくれました」
俺は何も言わなかった。
言わなくていい場面だったから。
ソフィアが「……よかったですね」と小さく言った。
ティアナが「……はい」と答えた。
━━
孤児院を出てパラディアへ戻る途中、街道の脇の林で魔物に遭遇した。
中型のスライム型が三体。
俺が「行くぞ」と言う前にティアナが前に出た。
「……歌います」
「戦闘で歌うのか」
「……試してみたいんです。さっき、院長先生に話してたら、なんか体の中が動いてる感じがして」
「わかった。やってみろ」
ティアナが目を閉じた。
息を吸った。
歌い始めた。
短いフレーズだった。
声量もそれほどない。
でも、歌い始めた瞬間に、空気が変わった。
ソフィアの耳がぴんと立った。
「……ご主人さまぁ、体が軽い。さっきより全然」
俺も感じた。
錫杖を握る手に、いつもより力が入っていた。
ティアナの歌が続く中、ミリアムが「……先輩、今の俺すごく動ける気がします」と言いながらスライムに飛び込んだ。
レイピアが一体を貫く。
続いてシャルロッタの氷魔法が二体を凍らせた。
俺の「打音・烈波」が仕上げに走る。
三体、十秒で片付いた。
ティアナが歌を止めた。
「……どうでしたか」
「十秒だ」
「早いですか」
「いつもの倍は速い」
ティアナがぽかんとした。
それから「……黒印魔術、本当にあったんですね」と言った。
「自覚したか」
「……今、歌いながら、体の中で何かが動く感覚がありました。押さえてたやつが、少しだけ出てきた感じ」
「それが魔術だ。ちゃんと制御を覚えれば、もっと使える」
ティアナが自分の手を見た。
「……すごい、です」
「すごい」
「……お兄ちゃん」
「なんだ」
「……一緒に旅しながら、もっと使えるようになりたいです。ティアナの歌で、みんなを強くできたら、それが一番嬉しいです」
「できる」
「……できますか」
「さっき証明した」
ティアナが笑った。
三位一体が全部出た、この旅で一番純粋な笑い方だった。
《SYSTEM》
【No.4 ティアナ・ラヴェリーナ パーティ正式加入】
魔法バッファー(黒印魔術・歌術)
黒印魔術:未覚醒→片鱗解放(制御訓練中)
「届けたい」フラグ:完全解放
━━
夕方、パラディアの宿に戻った。
五人になっていた。
「……なんか増えてる」とミリアムが言った。
「増えた」
「……先輩って、なんでいつもそうなるんですか」
「そうなるべき時に通り過ぎないからだ」
ミリアムが「……ばかですね」と言った。
「そうかもしれない」
「……でも、まあ」
ミリアムがくせ毛のショートボブを指でいじった。
「……嫌いじゃないです。そういうとこ」
「珍しいな」
「……一回しか言いませんからね」
「聞こえた」
「……もう終わりです!!」
《LIVE一部》
《コメント》
► 「五人になった!!」
► 「ティアナちゃん加入おめでとう」
► 「ミリアムのセリフで泣いた」
► 「このパーティ完璧すぎる」
► 「登録者数:10,441人↑」
「皆さん、五人になりました。ソフィア、シャルロッタ、ミリアム、ティアナ」
俺は配信に向けて言った。
「全員、それぞれの理由でここにいます。頼んだわけじゃない。全員、自分で選んだ」
「……そういうとこです」とミリアムが言った。
「どういうとこだ」
「……一人残らず、ちゃんと言葉で確認するとこです。先輩って、なんかそこだけは丁寧ですよね」
俺は答えなかった。
でも、それは正しかった。
三十三年間、誰にも言えなかった分を、この世界で言っているのかもしれない。
《配信終了》
本日の視聴者ピーク:3,801人
登録者数:10,441人(+329↑)
《編集メモ》
「タイトル候補:
『五人になった日』
……シンプルにそれでいい」
夜のパラディアに、五人分の足音が響いた。
――その音を、どこか遠い場所の何かが、静かに聞き届けた。
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