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第20話 腐敗の都パラディア、灰色の入城

 ロラン共和国の首都パラディアが、地平線の向こうに見えてきたのは昼を回った頃だった。


 


 馬車の窓から、俺は最初にその色を受け取った。


 


 灰色だ。


 


 ヴェリシアは石畳でも橙と白が混ざる色をしていた。


 ゼルティアは緑と翡翠の都市だった。


 でもパラディアは――城壁から街並みから、全部が灰色をしていた。


 


 煤けたように見えた。


 


 空が曇っているわけじゃない。


 光は差している。


 でも、街全体が光を吸い込んで、返してこない感じがした。


 


「……ご主人さまぁ」


 


 ソフィアが俺の袖を引いた。


 


「なんだ」


 


「……なんか、においが違います」


 


「どう違う」


 


「……ヴェリシアはスパイスと石の匂いでした。ここは……石と、古い油と、人が多い匂いです。でも……なんか、怖い匂いが混ざってます」


 


「怖い匂いって?」


 


 ソフィアが少し考えてから「……血じゃないけど、緊張してる人が多い匂いです」と言った。


 


「……よくわかるな」


 


「犬だからです」


 


 シャルロッタが窓の外を見ながら「……魔導的にも、空気が重いですわ。抑圧された魔力が街全体に澱んでいる感じがします」と言った。


 


「抑圧された魔力?」


 


「……人が、長い間恐怖や不安を感じ続けると、放出できなかった魔力が空気に溜まるんですの。魔導理論では"感情残滓"と呼びますわ」


 


「三年分の腐敗が積もってる、ってことか」


 


「……そうかもしれませんわね」


 


 ミリアムが腕を組んで黙っていた。


 アンバーブラウンの瞳が、城壁をじっと見ていた。


 


「……ミリアム、何か見えるか」


 


「……城壁の上に、兵士が多すぎます。外敵を警戒してるんじゃなくて……内側を見てる感じがします」


 


「市民の監視か」


 


「……たぶん」


 


 俺は配信ウィンドウをONにした。


 


 《LIVE開始》


「パラディア入城します。共和国の首都です」


 #異世界配信 #共和国アーク #パラディア入城


 視聴者数:2,103人 登録者:9,441人


 


 《コメント》


 ► 「来た」


 ► 「なんか雰囲気やばそう」


 ► 「気をつけて」


 ► 「ソフィアの嗅覚信じろ」


 


「視聴者の皆さん、パラディアです。ファーストインプレッションは――重い。それだけです」


 


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 


 城門の検問は、予想以上に厳しかった。


 


 冒険者証と翠光章の両方を見せて、ギルドの依頼状を出して、それでも門番は四人全員の顔を一人ずつ確認した。


 


 ソフィアの犬耳を見た瞬間、門番の目が細くなった。


 


「亜人の入城は……一週間前から制限されている」


 


「制限?」


 


「共和議会の決定だ。亜人はパラディア市街への入城に許可証が必要になった」


 


 ソフィアが俺の後ろで耳を伏せた。


 


「……では、ソフィアは入れないんですか」とシャルロッタが言った。


 


「許可証があれば入れる。ギルドの発行したものか、共和府の印があるものが必要だ」


 


 俺はギルドの依頼状を再度差し出した。


 


「この依頼状に、パーティ全員の入城を認める旨の記載があります。ソフィアも含めて」


 


 門番が依頼状を確認した。


 しばらく見ていたが、「……通れ」と言った。


 


 城門をくぐった。


 


 ソフィアが俺の後ろをぴたりとついてきた。


 耳がまだ伏せたままだった。


 


「……大丈夫か」


 


「……はい。でも、ちょっと怖かったです」


 


「当然の反応だ」


 


「……あの人、ソフィアのこと、変な目で見ました」


 


「見てた」


 


「……なんで、ですか」


 


「この国は今、何かが壊れかけてる。壊れかけてる時、人は弱い方に向かう。亜人への制限が三年で始まった。つまりそういうことだ」


 


 ソフィアが少し黙った。


 


「……ご主人さまぁ、そばにいてくれますか」


 


「いる」


 


 ソフィアの耳が、少しだけ上がった。


 


 《コメント》


 ► 「亜人制限……」


 ► 「ソフィアちゃん……」


 ► 「腐敗がそういう形に出るんか」


 ► 「ご主人さまの答えが好き」


 


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 


 市街に入ると、パラディアの実態が見えてきた。


 


 かつては豊かだったはずだ。


 大通りの建物は石造りでしっかりしているが、看板が古く、色が抜けている。


 市場はある。露店もある。でも、売り子の声が小さい。


 通り過ぎる人間が、誰も彼も目線を落としている。


 


「……声が出てないですね」とミリアムが言った。


 


「ヴェリシアは賑やかだったのに」


 


「……活気と音って、連動してるんですね」


 


「安全じゃないと、声が出ない」


 


 シャルロッタが「……市場の価格表示を見ましたの。基本的な食料が、連邦の相場の倍以上の値がついていましたわ」と言った。


 


「税が重いか、流通が止まってるか」


 


「……あるいは両方ですわね。魔導物資も同様です。回復薬の値段が異常に高い」


 


「戦備か流通統制か」と俺は呟いた。


 


 《コメント》


 ► 「これリアルに腐敗国家の描写だ」


 ► 「物価と声量で全部わかる」


 ► 「シャルロッタの魔導知識が活きてる」


 


「今、配信で実況してます。視聴者の方が『物価と声量で全部わかる』と言ってます。そのとおりだと思います」


 


 ミリアムが「……へえ」と言って配信ウィンドウをちらりと見た。


 


「……何人見てるんですか」


 


「今二千人ちょっと」


 


「……この街のことを、二千人が見てるんですか」


 


「ああ」


 


 ミリアムが少し考えてから「……記録になりますね」と言った。


 


「そうだな。誰かが見てる、という事実が残る」


 


「……先輩らしいですね」


 


「どこが」


 


「……記録しようとするところが」


 


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 


 宿を探した。


 


 大通りから少し入った路地に、「旅人の燈台」という宿があった。


 看板が古いが、扉は清潔だった。


 


 宿主は六十代くらいの男で、目が鋭かった。


 


「冒険者証と翠光章、確認します」


 


 確認してから「二部屋、三日間でいいですか」と言った。


 


「はい。あと、一つ聞いていいですか」


 


「なんですか」


 


「義勇兵の募集の張り紙が、ヴェリシアの掲示板にありました。どっちの側の募集ですか」


 


 宿主がしばらく黙った。


 


 扉の方を確認してから、声を低くした。


 


「……外から来た人に言えることじゃないですが」


 


「結構です」


 


「……張り紙を出したのは、共和府の義勇兵事務局です。正式な政府機関ですよ。でも、今の共和府の中にいる人間は、全員が同じ方向を向いてるわけじゃない」


 


「内部分裂がある」


 


「……あると言えばある。ないと言えばない。外から来た人間が手を出す前に、情報を集めることをお勧めします。特に市民広場には近づかない方がいい」


 


「なぜですか」


 


「……昨日、また集会がありました。共和府の兵が解散させました。怪我人が出ています」


 


 宿主が帳面を閉じた。


 


「以上です。部屋は二階の奥から二つです」


 


 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 


 部屋に荷物を置いて、四人で小さな円卓を囲んだ。


 


「今日聞いた情報を整理する」


 


 俺は配信ウィンドウを極小にして、録画だけ維持した。


 


「亜人への入城制限が一週間前から始まった。市場の物価が異常に高い。市民の集会が共和府に解散させられていて、怪我人が出ている。義勇兵募集は政府側だが、政府内部も分裂している可能性がある」


 


「……情報収集からですね」とミリアムが言った。


 


「動く前に全体像を掴む。共和府の側につくのか、市民側に協力するのか、中立で情報だけ持ち帰るのか。それを決めるには、まだ何も見えていない」


 


「……わたくし、魔導的な解析ができますわ」とシャルロッタが言った。「空気の感情残滓の分布を調べれば、どのエリアに恐怖が集中しているかわかります」


 


「頼む。ただし目立つな」


 


「わかりましたわ」


 


「ソフィア、索敵を続けてくれ。嗅覚で人の緊張の密度を感じ取れるなら、どの方角が一番やばいか教えてくれ」


 


「はい、ご主人さまぁ」


 


「ミリアム、お前は街の聞き込みができるか。単独行動は禁止だ。俺か誰かと一緒に動け」


 


「……わかりました」


 


「俺は配信を続けながら街を歩く。配信カメラがある方が、逆に話しかけてくる人間もいる。情報源になる可能性がある」


 


 四人が頷いた。


 


「明日から動く。今日は情報の整理と休息だ。無理をするな」


 


 《コメント》


 ► 「作戦会議配信してる」


 ► 「四人の連携がちゃんとしてきた」


 ► 「シャルロッタの魔導解析いいな」


 ► 「ミリアムのポジションが地味に重要」


 ► 「登録者数:9,652人↑」


 


「九千六百人……」


 


 俺は数字を確認した。


 


 一万人まで、あと三百五十人だ。


 


(この街で、一万人に届くかもしれない)


 


 嬉しい、と思った。


 でも今夜のパラディアで喜ぶのは、少し後にした方がいい気がした。


 


 窓の外、灰色の夕暮れが街を染めている。


 


 どこかで鐘が鳴った。


 一回、二回、三回。


 


 それだけで、人の流れが一斉に足を速めた。


 夜間外出の制限があるのかもしれない。


 


 ソフィアが窓から離れて、俺の横に来た。


 


「……ご主人さまぁ」


 


「なんだ」


 


「……今日、一万人に届くかなと思ってたでしょう」


 


「なんでわかった」


 


「顔を見てたので」


 


「……そうだな。届くかもしれない」


 


「……この街で届いたら、どんな気持ちですか」


 


「複雑だな」


 


「どうして?」


 


「嬉しいのは本当だ。でも、この街の現実を映しながら届いた一万人は……俺がただ強くなっただけじゃなくて、この街の人たちの苦しさが届いた、ということでもある」


 


 ソフィアが「……そうですね」と言った。


 


「……ご主人さまぁは、そういうことをちゃんと考えますね」


 


「社畜だったから、仕事の意味を考えるのは得意だ」


 


「……異世界に来てよかったですか」


 


 俺はしばらく考えた。


 


「……いい質問だな」


 


「答えてもらえますか」


 


「よかった。お前がいるから」


 


 ソフィアの耳が、一度だけぴんと立った。


 


 それからすぐに伏せた。


 顔が赤いのは、夕暮れの光のせいだけではないだろう。


 


「……そ、そうですか」


 


「そうだ」


 


「……ありがとうございます、です」


 


 《配信終了》


 本日の視聴者ピーク:2,441人


 登録者数:9,652人(+549↑)


 


 《編集メモ》


「今日のタイトル候補:


『腐敗の都に入城してみた』


『異世界にも灰色の国があった』


 ……後者にしよう。前者は煽りすぎる」


 


 パラディアの夜が、静かに降りてきた。


 


 賑わいはない。


 人の声はない。


 ただ、石造りの街が闇の中にある。


 


 でも、ここに人が生きている。


 


 それだけが、今夜確かなことだった。


 


 ――街の片隅のどこかで、何かがこの四人を静かに見ていた。




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