第17話 石畳の歌姫と、千人の夜
ヴェリシアの夜は、昼より賑やかだ。
商人たちが店を閉め、代わりに酒場と露天の灯りが通りを染める。
石畳の上を行き交う人影が増え、どこからともなく笑い声と楽器の音が混ざり合ってくる。
「今日の依頼、三件全部片付けましたね」とソフィアが言った。
「ああ。報酬は銀貨七枚」
「夕食に少し奮発できますね♪」
「お前の中で奮発の基準が上がってきてる」
「上がりましたか?」
「最初は干し肉で満足してたのに」
「成長です」
ソフィアがしっぽを揺らした。
耳がぴこんと立っている。機嫌がいい証拠だ。
夕食を済ませて宿に戻る途中、俺たちはメインストリートから一本入った石畳の広場に差し掛かった。
人だかりがあった。
《LIVE継続中》
#異世界配信 #ヴェリシア夜散歩
視聴者数:1,041人
《コメント》
► 「なんか聞こえる」
► 「歌?」
► 「カメラ向けて!」
「ちょっと見てくる」
俺は人波の外側に立ち、配信ウィンドウを広角に切り替えた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
広場の中心に、一人の少女がいた。
ラベンダーパープルの髪が、燭光を受けてやわらかく輝いている。
桜色のドレスの裾が、夜風にふんわりと揺れていた。
髪には花と音符を模した飾りがついていて、歌うたびにかすかに揺れる。
少女は目を閉じていた。
そして――歌っていた。
歌詞はわからない。この国の言葉だ。
でも、それは関係なかった。
声が、聴衆の間を通り抜けていく。
高くも低くもない、透明な声だった。
細い体のどこにそれだけの声量があるのかわからないが、広場全体に満ちていた。
(……うまい)
俺はしばらく、それを聴いた。
三十三年間、好きなことを先送りにしてきた元社畜に言わせれば、「これが才能だ」というのはこういうことだ。
技術じゃない。ただそこにいて、ただ歌うだけで、その場の空気が変わる。
「……ご主人さまぁ」
ソフィアが俺の袖を引いた。
「なんだ」
「あの子の歌、なんか……空気が変わってます」
「気づいてたか」
「……犬の鼻でもわかります。空気が、あったかくなってる」
ソフィアの右目、氷緑の瞳が細くなっていた。
索敵系のスキルが何かを感知している目だ。
(……魔力か)
俺は配信ウィンドウに目をやった。
《コメント》
► 「なんか不思議な感じがする」
► 「眠くなってきた(いい意味で)」
► 「BGMにしてる」
► 「視聴者数:1,241人↑」
視聴者が増えている。
歌に引き寄せられているのか、配信に引き寄せられているのかわからないが、数字が静かに上がっていた。
少女が歌を一曲終えた。
広場から拍手が起きた。
少女がゆっくりと目を開けて、頭を下げた。
その仕草は慣れていた。路上ライブを何度もやってきた子の、自然な礼だ。
足元の小さな帽子に、銅貨がいくつか投げ込まれる。
俺は人だかりの端から、配信に向けて口を開いた。
「見てくれてる皆さん。今、ヴェリシアの広場で路上ライブを聴いてます。声だけで伝わりますかね……」
《コメント》
► 「伝わる。なんかすごい」
► 「声がきれい」
► 「配信越しでもわかる空気感」
► 「これ生で聴きたい」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
もう一曲が始まった。
今度はテンポが速い曲だった。
少女の声が跳ねて、広場に集まった人たちが自然と足拍子を踏み始めた。
ソフィアの耳が前後に動いた。
「……この曲、さっきより効果が強いです」
「効果?」
「体が、軽くなる感じがします。それと、なんか……元気が出てきました」
「……バフ効果か」
「バフ?」
「お前を強化してる魔法みたいなものだ」
ソフィアが少し考えてから「……それは、つまり」と言いかけた。
「あの子が黒印魔術を使ってる。たぶん本人は無自覚に」
黒印魔術。
歌や音楽に魔力を乗せ、聴いた者に影響を与える術式だ。
この国では珍しくないが、無自覚でそれをやっている、というのはほぼ聞いたことがない。
(……才能の話どころじゃないな)
俺は《レビュー能力》をそっと起動した。
《レビュー》
ティアナ・ラヴェリーナ
スキル:黒印魔術(未覚醒)/歌術(天性)
特性:魔術を歌に乗せる先天的な適性。本人は自覚していない。
潜在的な魔術力は相当なレベルだが、現時点では制御が不安定。
聴衆にかかっている効果:軽度の疲労回復/士気上昇
「……相当だな」
配信に向けて呟いた。
《コメント》
► 「何がですか」
► 「気になる」
► 「レビュー能力使ったの?」
「路上で歌ってる子が、無自覚に魔術をばら撒いてます。しかも効果は回復系です。この子、気づいてないんですよ。自分が何をしてるか」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
二曲目が終わった。
また拍手。
また銅貨がいくつか。
少女が頭を下げながら、顔を上げた。
その時、俺と目が合った。
少女がぱちりと瞬いた。
人だかりの中に、配信ウィンドウを起動したまま立っている男を見て、少し戸惑った顔をした。
俺はウィンドウを閉じた。
「……聴いてたぞ。うまかった」
少女がもう一度、瞬いた。
それから――はにかんだ。
ラベンダーの髪がふわりと揺れて、頬が桜色に染まった。
「……聴いてくれてたんですか」
声が、歌声より少し低かった。
でも同じくらい、透明だった。
「ああ。二曲とも」
「えと……ありがとうございます」
「一個聞いていいか」
「は、はい」
「さっきの歌、魔術を乗せてた?」
少女が目をぱちくりとさせた。
「……まほう、じゅつ?」
「自覚ないか」
「え……あの、ティアナは、ただ歌ってただけで」
「そうだと思った」
俺は少し考えてから「お前の歌に、魔力が混ざってる」と言った。
「まりょく……」
「周りの人間が疲れを回復してた。士気も上がってた。黒印魔術の一種だと思う」
少女――ティアナが、自分の手を見た。
「……わたし、ずっと歌ってたら、周りの人が元気になるなぁとは、思ってたんですけど」
「それが理由だ」
「……すごいんですか、それって」
「自覚なしにやってるなら、かなり」
ティアナがしばらく黙った。
それから、ふわっと顔を上げた。
「……お兄さん、魔術に詳しいんですか?」
「少しだけ。スキルがある」
「そうなんですね」
ティアナが頬に手を当てて、少し首を傾けた。
「……あの」
「なんだ」
「さっき、そのガラス板みたいなの、開けてましたよね」
「配信ウィンドウだ。見てる人がいる」
「……今も?」
「今は閉じてる」
「閉じてくれたんですね」
「気を遣われたくないだろうと思って」
ティアナが少しだけ目を細めた。
「……優しいんですね、お兄さん」
「そうでもない」
「でもティアナはそう思いました」
ソフィアが俺の横に来て、「ご主人さまぁ、この子と話してたんですか」と言った。
ティアナがソフィアを見て目を丸くした。
「わあっ……犬耳!」
「……はい。ソフィアです、です」
「すごい、本物だ……触っても、いいですか?」
ソフィアが俺を見た。
俺は「本人に聞いてる」と言った。
ソフィアが少し考えて「……やさしくなら」と言った。
ティアナが「わあ」と言いながら、ソフィアの銀髪をそっと撫でた。
ソフィアの耳がぴんと立った。
「……あったかい、です、ソフィアの耳」
「ふわふわですね……♪」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
三人で、広場の縁に座った。
ティアナが帽子の中の銅貨を数えていた。
「今日は少ないです……十四枚」
「毎日やってるのか」
「はい。孤児院の子たちのお小遣いに」
「孤児院?」
「ティアナが育ったところです。今も、そこで歌を教えたりしてます」
俺は少し黙った。
「……一人でやってるのか、資金集め」
「はい。でも全然足りなくて」
ティアナが帽子をぎゅっと持った。
「……もっと上手に歌えたら、もっと集められるかな、って思うんですけど」
「十分上手い」
「でも、お兄さんたち、さっきまで通り過ぎてましたよね?」
「足を止めたのは俺だけだ」と正直に言った。
「……そうですよね。みんな、通り過ぎていくんです。すごくうまくないと、足を止めてもらえなくて」
ティアナが笑った。
悲しくはない笑い方だった。でも、諦めが混じっていた。
「……お兄さんは、なんで足を止めたんですか?」
「うまかったから」
「ほんとうに?」
「嘘をついても俺に得がない」
ティアナが少し笑って「……変なお兄さんですね」と言った。
「よく言われる」
「でも……ありがとうございます。ちょっと、うれしかったです」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
俺は少し考えてから配信ウィンドウを開いた。
「一個提案がある」
「はい?」
「俺の配信に乗せていいか、お前の歌を。さっき視聴者が千人いた。その千人に聴かせたい」
ティアナが目を丸くした。
「せん、にん……?」
「今日だけで千人。配信者のスキルがある」
「……千人が、聴いてくれるんですか、ティアナの歌を」
「条件がある。本名と顔は出さない。配信のルールだ」
ティアナがしばらく黙った。
それから。
「……歌うだけで、いいですか」
「それだけでいい」
ティアナが帽子を膝の上に置いた。
ゆっくりと立ち上がって、広場の中心に戻った。
俺は配信ウィンドウをONにした。
《LIVE》
「皆さん、今から特別配信です」
視聴者数:887人(深夜帯のため減少中)
「……聴いてる人いますか。今から、路上で歌ってた子に、もう一曲歌ってもらいます」
《コメント》
► 「いる!」
► 「さっきの子!?」
► 「待ってました」
► 「視聴者増えてきた」
ティアナが目を閉じた。
息を吸った。
歌い始めた。
今度の曲は、静かだった。
テンポも音量も、さっきの二曲より落ちている。
でも、その分だけ、一音一音が澄んでいた。
石畳に、声が溶けていく。
夜の空気が、少しだけあたたかくなった気がした。
《コメント》
► 「……」
► 「すごい」
► 「なんだこれ」
► 「泣きそう(なんで?)」
► 「視聴者数:1,344人↑」
► 「1,511人↑」
► 「2,003人↑」
「……増えてる」
俺は静かに言った。
配信中に視聴者が二千人を超えたのは、初めてじゃない。
でも今夜のこれは、少し違った。
コメントが流れない時間があった。
誰も何も言えないまま、ただ聴いていた。
それが一番の反応だった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
歌が終わった。
ティアナが目を開けて、俺を見た。
「……どうでしたか」
「二千人が黙ってた」
「……黙ってた、のはよかったんですか?」
「いいことだ。言葉が出なかった、ってことだから」
ティアナが「そうなんですね」と言った。
それからぽつりと「……よかった」と言った。
ソフィアが俺の横で「……ご主人さまぁ、この子、すごいですね」と小声で言った。
「そうだな」
「なんで今まで誰も足を止めなかったんですか」
「みんな急いでたんだろ」
「……それはもったいないですね」
「ああ」
俺は配信に向けて言った。
「今夜の神回、ありがとうございました。……本人はたぶん聞いてないけど、皆さんの分まで伝えておきます」
《コメント》
► 「伝えて!!」
► 「またいつか聴きたい」
► 「もっと聞かせてほしい」
► 「この子、もしかして今後も出る?」
► 「登録者数:8,012人↑」
《SYSTEM》
登録者数:8,000人突破
特典アンロック:《視聴者干渉 Lv.1強化》
聴衆の感情が配信スキルのバフに変換される効率が上昇
「……来た」
俺は静かに画面を見た。
視聴者の感情がスキルに変換される。
今夜の二千人が黙っていた時間が、全部俺のステータスに乗っている。
(……これは、お前の歌のおかげだ)
ティアナはまだそこに立って、帽子を両手で持っていた。
「……あの、お兄さん」
「なんだ」
「ティアナ、また歌えますか。ここで」
「毎日ここで歌ってるんだろ」
「そうなんですけど……でも、今日みたいにちゃんと聴いてもらえたのは、初めてで」
ティアナが俯いた。
「……また、聴きに来てくれますか」
俺は少し黙ってから答えた。
「来る。ただし条件がある」
「はい」
「次は配信に乗せていいか。ちゃんと許可を取ってから」
「……千人、聴いてくれますか」
「さっきは二千人いた」
ティアナが目を丸くした。
それからふわっと笑った。
「……じゃあ、許可します」
「ありがとう」
「ふふっ……お兄さんって、変なんですけど、なんか、好きです」
「好意を受け取っておく」
「……チョロいですね」とティアナが言った。
「どこが」
「好意を受け取っておきます、って言い方、なんか照れてるみたいで」
「照れてない」
「顔まっかですよ」
「夜の灯りのせいだ」
「そうですね♪」
ティアナが笑った。
いたずらっぽい、小悪魔みたいな笑い方だった。
ソフィアが耳をぴんと立てて「……ご主人さまぁ、あの子、さっきと少し違う気がします」と言った。
「どう違う」
「……楽しそうです。さっきより、ずっと」
俺は広場に続く石畳の先を見た。
燭光が揺れて、ティアナのラベンダー色の髪が橙に染まっている。
「そうだな」
少しでも続きが気になったら、ブックマーク・評価・いいねで応援していただけると励みになります。




