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閑話 銀耳の少女は、配信の外で笑う

 ソフィアは、眠る前に耳を澄ませる癖がある。




 宿の壁の向こう。


 廊下を歩く足音。


 遠くで閉まる扉。


 厨房の片付けの音。




 それから、隣の部屋にいるご主人さまの気配。




「……」




 今夜のご主人さまは、いつもより静かだった。




 翠光の祠。


 三つの試練。


 守護獣。


 翠光章。




 たくさんのことがあった。




 ソフィアはベッドの上で、毛布を胸元まで引き上げる。


 今日もらった緑の勲章の光が、まだ目の奥に残っていた。




「俺たちが、すごいです」




 ご主人さまにそう言われた時、胸の奥がきゅっとなった。




 ソフィアは、誰かと「俺たち」になったことがなかった。




 昔は、商品だった。


 番号で呼ばれて、値段をつけられて、触られて、見られて、選ばれた。


 あの頃の「見られる」は、怖いものだった。




 でも、ご主人さまの配信で見られるのは、少し違う。




 もちろん、恥ずかしい時はある。


 耳がぴこぴこしていると言われる。


 尻尾が正直だと言われる。


 かわいい、と言われる。




 それは恥ずかしい。


 とても恥ずかしい。




 でも、怖くはない。




 ご主人さまは、ソフィアが嫌がる見せ方をしない。


 見られて困る時は、少し角度を変える。


 泣きそうな時は、別のものを映す。


 戦っている時は、ちゃんと「ソフィアがやった」と言ってくれる。




 だから、見られることが全部怖いわけではないのだと、少しずつ分かってきた。




「……ご主人さまぁ」




 小さく呼んでみる。




 当然、返事はない。


 隣の部屋だから聞こえない。




 けれど、耳はご主人さまの足音を覚えている。


 声の震えも、錫杖の七環の鳴り方も、疲れている時の呼吸も。




 今日の祠で、ご主人さまは何度もソフィアを見た。




 大丈夫か、と目で聞いてくれた。


 頼む、と声で言ってくれた。


 やれたな、と笑ってくれた。




 その全部が、ソフィアには嬉しかった。




「……俺たち」




 もう一度、言ってみる。




 俺たち。




 ご主人さまとソフィア。


 これからは、ミリアムさんも来るかもしれない。


 公国には、もっといろんな人がいるかもしれない。




 それでも、最初に「俺たち」と言ってもらえたことを、ソフィアは忘れないと思う。




 毛布の中で、尻尾が勝手に揺れた。




「……だめ」




 止めようとしたが、止まらない。




 嬉しい時の尻尾は、ソフィアの言うことをあまり聞いてくれない。




 配信中でなくてよかった。




 もし今映っていたら、コメント欄が大変なことになっていたはずだ。




 《コメント:尻尾かわいい》


 《コメント:ソフィアちゃん嬉しそう》


 《コメント:ご主人さま呼びたすかる》




 そんな声が頭の中に浮かんで、ソフィアは布団の中で小さく笑った。




 昔なら、誰かに見られる想像だけで体が固まった。




 今は、少しだけ笑える。




 それはたぶん、ご主人さまがソフィアを「守るもの」としてだけ見ていないからだ。


 戦う仲間として見てくれる。


 一緒に歩く相手として見てくれる。


 できたことを、ちゃんとソフィアのものにしてくれる。




「……ソフィアも、強くなります」




 隣の部屋には届かない声で言った。




 ご主人さまが配信を続けるなら、ソフィアも隣で歩く。


 危ない場所へ行くなら、先に匂いを嗅ぐ。


 怖い敵が来るなら、双剣を抜く。




 そして、楽しいことは先に考える。




 ご主人さまは、楽しいことより面倒なことを先に考えてしまう人だから。




「……見習うって、言いましたもんね」




 ソフィアはくすりと笑った。




 窓の外では、連邦の夜風が木々を揺らしている。


 明日は公国へ向かう準備が始まる。




 新しい街。


 新しい配信。


 新しい面倒事。




 でも、ソフィアは楽しいことを先に考える。




 ご主人さまと一緒に歩く公国の道。


 見たことのない食べ物。


 ミリアムさんとの旅。


 そして、またどこかで聞けるかもしれない「俺たち」という言葉。




 それだけで、眠る前の胸が少し温かくなった。




 ソフィアは目を閉じた。




 銀の耳が、安心したように少し伏せる。




 配信の外で、誰にも見られないまま。


 少女は小さく笑って、眠りについた。






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