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第9話:緑の牙の影、連邦の森にて

 公国を出てから、三日が経っていた。




 馬車賃は出せなかった。


 所持金はまだ心許なく、宿に泊まれる日と泊まれない日がある。


 泊まれない夜は、街道沿いの森の端で焚き火を囲んだ。




「……道、大丈夫ですか、ご主人さまぁ」




「平気だ。転生直後にこの森で野営してたから、勝手はわかってる」




「転生直後……ひとりで、ですか?」




「ひとりで」




 ソフィアが少し黙った。




「……今は、ひとりじゃないですね」




「そうだな」




 焚き火が小さく爆ぜた。




 ソフィアの銀髪が炎の色を受けてやわらかく揺れている。


 犬耳がふわりと弛み、しっぽが草の上でゆっくり左右に揺れている。


 警戒ではなく、安心の揺れ方だ。




 三日前まで路地の壁際で膝を抱えていた子が、今は焚き火の前で俺の隣に座っている。




 《LIVE継続中》


 #異世界配信 #野営配信 #帰路 #連邦の森


 視聴者数:934人




「今夜は野宿配信です。連邦の森に戻ってきました」




 《コメント》


 ► 「おかえり!」


 ► 「野営配信すき」


 ► 「ソフィアちゃんの耳がゆれてる」


 ► 「平和だ……」




「ありがとうございます。平和です、今のところ」




 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




 翌朝、連邦の首都ゼルティアに戻った。




 城門をくぐると、石畳の感触が足の裏に馴染んだ。


 最初にこの街に来た日から、まだ二ヶ月も経っていない。


 なのに、ずいぶん遠くまで来た気がした。




「ご主人さまぁ、この街、知ってるんですか?」




「俺が冒険者として最初に登録した街だ」




「……じゃあ、ここから始まったんですね」




「そういうことになる」




 ソフィアが城門の石造りをじっと見た。




「……わたしも、ここから始まるんですね」




 俺はその言葉を、うまく返せなかった。


 ただ「そうだな」と言った。




 ギルドに顔を出してついでに登録情報を更新しようとしたとき、掲示板の前に人だかりができているのに気づいた。




 いつもと空気が違う。




 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




 掲示板の中心に、赤枠で囲われた一枚の依頼票が貼られていた。




【緊急調査・救援依頼】


 Dランクパーティ「緑の牙」行方不明


 依頼主:連邦冒険者ギルド支部


 内容:盗賊団《フォルドの枝刃》討伐任務より帰還せず


 対象地:北西林道ルート、旧交易跡地周辺


 条件:生存者救出、または安否確認


 緊急度:最高




「……緑の牙」




 声が口からこぼれた。




 Dランク昇格したての小パーティだ。


 リーダーは片手剣と小盾を使う小柄な後輩で、無茶な突撃癖があるが仲間想いで根性がある。




(ミリアムか)




 最後に見たのは、ゼルティアのギルドで俺と目が合ってすぐそっぽを向いた、あの朝だ。




 そのとき、ギルドの入口が音を立てた。




「う……く……!」




 血まみれで、ぼろぼろになった若い男が、ふらふらと中に入ってきた。


 革鎧は引き裂かれ、顔に切り傷がある。


 足を引きずりながら、掲示板の前で膝をついた。




「こいつ……緑の牙の!」




 周囲の冒険者たちが駆け寄る。




 男は荒い息の中から、言葉を絞り出した。




「……た、頼む……助けてくれ……」




「盗賊団が、思ってたより……大人数で……返り打ちに……」




「ミリアムが……リーダーが……連れていかれた……」




 そのまま意識を失い、職員に抱えられて裏の医務室へ運ばれていった。




 ギルドの広間が、静まり返った。




 次の瞬間、ざわめきが広がった。




「行ける奴いるか」「Dランクじゃ戦力が」「救援要請出すなら今すぐだ」




 俺は掲示板の依頼票を見つめた。




 ソフィアが俺の袖をそっと握った。




「……ご主人さまぁ……」




「わかってる」




 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




 受付嬢に駆け寄った。




「緊急依頼、受けます。北西林道の《フォルドの枝刃》」




「……現在の情報では相手は中規模の盗賊団、十名以上と見られています。Dランク二名での対応は」




「難しいのはわかってます。でも行かないという選択肢がない」




 受付嬢が少し間を置いてから、「……わかりました」と依頼票を処理した。




「気をつけてください」




 初日に「頑張ってください」と言ってくれた人だ。


 今日は「気をつけて」に変わっていた。




 配信ウィンドウをONにした。




 《LIVE》


「連邦に戻ったら、こうなりました。


 知り合いが連れ去られたという情報が入りました。


 助けに行きます」




 《コメント》


 ► 「行くのか」


 ► 「気をつけて」


 ► 「ソフィアちゃんも一緒に?」


 ► 「……無事で帰ってきて」




「ソフィア」




「はい」




「怖かったら正直に言え。無理させるつもりはない」




 ソフィアは少し考えてから、まっすぐ俺を見た。




「……ご主人さまが行くなら、わたしも行きます」




「理由は?」




「ご主人さまが、前に言ってたから」




「何を」




「次は通り過ぎない、って」




 俺は黙った。




「……わたしも、そうしたいです」




 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




 北西林道への出発は、夕方になった。




 ゼルティアの城門を出ると、空が曇り始めていた。


 遠くに連邦の大森林が見え、その奥に「旧交易跡地」がある。




 ソフィアの犬耳が、真剣な角度で前を向いていた。




「……森の奥、煙の匂いがします。古い」




「焚き火の跡か」




「たぶん。それと……人の匂い。遠いけど、複数います」




「何人くらい?」




「……五人以上。もっとかもしれない」




 俺は錫杖を握り直した。




「行くぞ」




「はい、ご主人さまぁ」




 《コメント》


 ► 「行ってらっしゃい」


 ► 「ミリアムさん、待ってろ」


 ► 「視聴者として、信じてます」




 配信を続けたまま、俺たちは林道の奥へ踏み込んだ。




 木々の間から、夜が近づいてくる。




 ――決して大きくない二人の背中を、どこかで何かがじっと見ていた。




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