第46話 北部共同救済
雨が弱まったのは、七日目の朝だった。
止んだわけではない。
屋根を打つ音が、激しい連続音から、間を置いた滴へ変わっただけだ。
雲はまだ低い。
ベルク川の水位も高いまま。
それでも、遠くの山の輪郭が少し見える。
視界が戻れば、人は動ける。
問題は、どこへ動かすかだった。
執務室の壁には、古い治水図が貼られていた。
その上へ、新しい紙を何枚も継ぎ足してある。
赤い線は通行不能。
黄は制限通行。
黒は確認済みの輸送路。
青い丸は中継地。
緑の印は、実数確認が終わった倉庫。
灰色は、まだ分からない場所。
地図の端には、ベルク川流域共同救済表が並んでいた。
王都。
各領。
現場。
教会。
軍。
ヴァルツェン。
決定欄は分かれている。
書き込む者も違う。
それでも、同じ紙の上にある。
「王都から第一返答です」
ユリスが封書を開いた。
夜通し走った伝令が、朝一番で届けたものだ。
「領境通行について、救済物資に限り、指定経路では事前許可不要」
「指定経路は」
「こちらが提出した三本です。南高地街道、ベルク支流北岸道、旧巡礼路」
「軍の護衛は」
「南高地街道へ二隊。北岸道は地形上、少人数のみ」
「王都備蓄は」
「食用五百袋、乾燥豆二百袋、塩百袋。南部から北上中」
「到着予定」
「最短で六日」
六日。
早くはない。
だが、来る。
「決定者名は」
「すべて入っています」
王都備蓄放出。
国王アルベルト。
軍護衛派遣。
北部救済軍務官ディートリヒ・ローデ。
領境通行特例。
国王アルベルト。
財源組替。
財務局長、国王裁可。
私は一つずつ確認した。
「王妃宮からも」
オルドが別の書状を差し出す。
教会宿泊所三箇所を、流域救護中継所へ転用。
施療院から薬師と看護人員を派遣。
発熱者用の隔離区画を設ける。
巡礼用の布類を寝具へ転用。
決定者、リリアナ妃殿下。
現場運用責任者、教会救護局長。
白百合の紋章が、文書の端に小さく押されている。
用途欄を邪魔していない。
「王都側は、動いていますね」
私が言うと、ユリスが頷いた。
「以前より、かなり早く」
「それでも足りないところはあります」
「はい」
王都の仕事を評価することと、問題が残っていることは両立する。
その二つを分けて考える。
「各領は」
「リーデン領から、食用備蓄と種籾の再分離が完了したと」
西部共同倉庫。
九百袋。
食用五百八十八。
種籾三百十二。
すでに放出した二百袋のうち、三十六袋に種籾が混入していた。
受取村から回収可能な分は二十一袋。
残り十五袋は、すでに食用へ回された可能性。
「十五袋」
「はい」
「責任者は」
「共同倉庫管理人。用途確認をせず出庫したことを認めています」
「それだけですか」
「領政官補佐ゲオルグ・ハイム氏も、総数を前提に放出量を決めたと」
「領主は」
「追認したと記録されています」
一人へ集まっていない。
管理人。
補佐。
領主。
それぞれの判断が残っている。
「罰は王都へ委ねます」
「よろしいのですか」
「今は、種籾の補填が先です」
「不足十五袋」
「ヴァルツェンからは出しません」
言葉にしてから、少しだけ胸が痛んだ。
出せる。
出そうと思えば。
でも、それをすれば、また全部を埋めることになる。
「リーデン領内の私有備蓄から、買い上げを」
「領主が決めるべき項目です」
「では、選択肢として送ります。私有備蓄買い上げ。近隣村からの貸与。秋収穫分での返済。どれを選ぶかは領主に」
「期限は」
「本日中」
ユリスが書く。
「決めなければ」
「王都へ報告」
「女伯様が代わりに決めることは」
「しません」
自分に言い聞かせるように答えた。
次はモラン領。
確認済み倉庫は五箇所へ増えた。
帳簿との差は二百十一袋。
破袋、鼠害、誤記。
そして、一部は領主家の私的備蓄へ移されていた。
「私的備蓄へ?」
「冬の宴会用として、二十六袋」
ユリスの声が冷たくなる。
「この状況で」
「移動は雨の前です」
「だから問題ではないとは言えません」
「はい」
「返還命令は」
「モラン領主が自ら出しています」
私は報告を読む。
私的備蓄へ移した分を、救済用へ戻す。
不足分の買い入れ費用は領主家負担。
実数未確認で提出した報告について、領政官と倉庫管理責任者の調査。
決定者、モラン領主。
「自分で戻した」
「はい」
「王都から命じられる前に」
「はい」
失敗はあった。
でも、自領で決めた。
「受け入れます」
「処分を求めず?」
「処分はモラン領と王都の仕事です。こちらは、戻る食料がいつ動かせるかだけ確認します」
役割を守る。
簡単ではない。
気になる。
もっと聞きたい。
正しい罰か。
再発防止は十分か。
でも、今の私たちの仕事は流域調整だ。
「ハルツ領は」
問いかけると、部屋の空気が少し変わった。
ユリスが最新報告を出す。
「三村すべてと接触しました」
胸が緩む。
「状況は」
「第一村。食料七日分。病人二名」
「前回と同じですね」
「はい。第二村。食料四日分。種籾は別保管。乳児三名。発熱者一名」
「第三村」
「食料二日分」
指先が冷える。
「人口は」
「八十六名」
「井戸」
「異常なし」
「種籾」
「保管済み。食用への転用なし」
「必要量」
「補助食五日分。塩。発熱者用薬草」
共同救済表を見る。
現地隊は、すでに判断していた。
第一村への食料配布なし。
第二村へ二日分。
第三村へ、持参分の大半を配布。
薬草は第二、第三村へ。
残存分は帰路のため確保。
「誰が決めましたか」
「現地隊長、ロルフ・アーデン」
その名は、私が選んだものではない。
巡回隊の上官が選んだ。
地形を知り、村との交渉経験がある者。
「判断理由は」
「第一村は七日分あるため、後続を待てる。第二村は乳児を優先。第三村は二日分しかないため、即時配布」
「良い判断です」
「はい」
「追加輸送は」
「第三村へ三日分。第二村へ乳児用の薄粥材料と薬草。第一村は後続便で塩のみ」
「経路は」
「北岸道。馬六頭。人足十二名」
「護衛は」
「二名」
「少ない」
「地形上、増やすと速度が落ちます」
迷う。
護衛を増やす。
その分、荷が減る。
少なくする。
襲撃や事故に弱い。
「現地隊長の意見は」
「二名で足りると」
「理由」
「村側から迎えを出せること。道が狭く、大人数では崩落箇所を越えにくいこと」
私は地図を見る。
現地の方が分かっている。
「その判断で」
任せる。
「決定者名はロルフ隊長。ヴァルツェンは物資量のみ決定」
「承知しました」
そこまで整理した時、扉が開いた。
セリアが入ってきた。
腕に薬草袋を抱えている。
「女伯様。第二便の薬草を確認しました」
「使えますか」
「半分は」
「半分だけ?」
「雨を吸っています。外側が乾いていても、中が熱を持ち始めています」
発酵。
腐敗。
薬として使えない。
「廃棄量は」
「二十七袋中、十二」
「そんなに」
「梱包が甘かった」
「ハルツ領側で?」
「いえ」
セリアは私を見る。
「こちらです」
執務室が静まる。
「ヴァルツェンの倉庫で、急いで詰め直した分です」
「担当は」
「薬草庫の若い者二人。私の確認も不十分でした」
セリアは言い逃れをしない。
「事故未満記録ではありません」
「実損ですね」
「はい」
「代替は」
「同じ薬草は不足します。ただし、症状別に別の薬草で組み直せます」
「量は」
「発熱者五名分なら」
「確認されているのは三名です」
「今後増える可能性を考え、五名分」
「お願いします」
「ただし、禁忌が違います」
「表をつけてください」
「すでに」
セリアが紙を出す。
使用対象。
禁忌。
用量。
保存条件。
受取担当者。
変更理由。
失った十二袋も記録されている。
「女伯様」
セリアが言った。
「処分は、戻ってから受けます」
「今はしません」
「ですが」
「理由確認はします。処分はその後です」
「私の確認不足です」
「それも記録します」
「はい」
「でも、今は代替薬を作ってください」
「承知しました」
セリアが退室する。
ヴァルツェンも失敗する。
他領の帳簿を見ている間に。
急いだから。
自分たちは分かっていると思ったから。
「領内点検をしておいてよかったですね」
ユリスが言う。
「十分ではありませんでした」
「はい」
「この件も、王都と各領へ共有します」
「ヴァルツェン側の失敗として?」
「はい」
隠さない。
ヴァルツェン式の名を守るために、失敗を隠すのではない。
失敗を書けることを守る。
「共同救済表の事故欄へ」
「記載します」
薬草損失。
梱包不良。
確認不足。
代替薬へ変更。
決定者名。
担当者。
監督者、セリア。
調整責任、ヴァルツェン女伯。
自分の名も残す。
昼過ぎ、王都から追加命令が届いた。
各領主が期限内に決定できない場合、救済に関する一時代行者を事前指定すること。
指定がない場合、国王が代理決定者を任命する。
領境通行の自動許可条件も明文化された。
食料、薬草、種籾。
通行経路。
護衛人数。
終了期限。
範囲を越える場合は、改めて王都裁可。
こちらが求めた通りだった。
「リーデン領の返答も」
ユリスが言う。
種籾不足十五袋。
領主家の私有備蓄から買い上げ。
代金は領主家負担。
秋の収穫後、領主備蓄へ補充。
決定者、リーデン領主。
「決めましたね」
「はい」
「それで進めてもらいます」
私たちは、答えを作らなかった。
選択肢を出した。
リーデン領主が決めた。
それで、動く。
夕刻には、共同救済表の第二版が完成した。
届いた数字。
未確認の数字。
途中で変わった道。
失われた薬草。
動かせる食料。
決定者。
遅れ。
理由。
地図の灰色は、少しずつ減っている。
完全に消えたわけではない。
でも、分からない場所が分かるようになった。
「女伯様」
オルドが窓の外を見る。
「雨が上がりました」
気づけば、音が消えていた。
雲の切れ間から、薄い光が落ちている。
中庭の水面が、静かになっていた。
誰もすぐには喜ばなかった。
雨が止んでも、川はまだ増える。
山から流れてくる水がある。
「警戒は継続します」
「はい」
「橋梁確認も」
「すでに出しております」
私は椅子へ深く座った。
身体が重い。
目の奥が痛い。
朝から何も食べていないことに、ようやく気づいた。
「女伯様」
オルドが冷たい声を出す。
「はい」
「昼食は」
「あとで」
「夕刻です」
「では、夕食を」
「昼食を食べていない者が、夕食まで働くことを許可した覚えはございません」
「オルドに許可権が?」
「ございます」
「いつから」
「先代より」
ユリスが書類から顔を上げないまま言った。
「私も支持します」
「共同決定ですか」
「はい」
逃げ道がない。
「分かりました」
簡単な食事を執務室へ運ばせる。
温かいスープと、固いパン。
一口目を飲んだ瞬間、自分がどれほど冷えていたか分かった。
食べながら、地図を見る。
頭が止まらない。
次の輸送。
川の水位。
橋。
薬草。
王都備蓄。
どこか見落としていないか。
「女伯様」
ユリスが言う。
「今は食べてください」
「見てるだけです」
「見ないでください」
「厳しいですね」
「女伯様が始めたことです」
私は諦めて、地図から目を逸らした。
その夜、報告が一度途切れた。
急ぎの伝令がない。
異常がないわけではない。
ただ、次の定時報告まで少し時間がある。
私は自室へ戻り、椅子へ座った。
疲れている。
それでも、眠れそうにない。
精神世界へ入る。
扉は、開いていた。
完全に。
寝室の中が見える。
王都にいた頃のエレノア様の部屋。
大きな寝台。
閉じたカーテン。
机の上に積まれた書類。
火の消えた暖炉。
そして、扉の前に立つエレノア様。
今日は、寝衣ではない。
ヴァルツェンで着ていた黒い執務服。
髪も整えている。
私は言葉を失った。
「エレノア様」
「はい」
「扉が」
「開いています」
「開けたんですか」
「閉じたままでは、仕事がしにくいので」
いつもの簡潔な言い方。
でも、声は少し震えていた。
エレノア様は敷居を見る。
一歩。
それだけで外へ出られる。
なのに、足は動かない。
「怖いですか」
私が尋ねる。
「はい」
隠さない。
「外に、何があるか分からない」
「ここ、精神世界ですよ」
「それでも」
「私がいます」
「知っています」
エレノア様が顔を上げる。
「だから、怖いのです」
「え」
「外へ出れば、あなたと並ぶことになります」
「はい」
「あなたへ仕事を任せたままではいられません」
「それは、ぜひ」
「失敗も、私のものになります」
「今までもそうでしたよ」
「違います」
エレノア様は首を振った。
「これまでは、扉の向こうから助言をしていました。決めたのは、あなたです」
「身体はエレノア様の」
「便利な時だけ使わないでください」
以前、私が言われた言葉だ。
思わず少し笑う。
「覚えてたんですね」
「ええ」
エレノア様も、ほんのわずかに口元を緩めた。
「玲奈」
「はい」
「今日、薬草を失いました」
「はい」
「リーデンでは、種籾を食べました」
「はい」
「現地隊長の判断が、今後誤ることもあります」
「はい」
「私たちの調整で、間に合わない村も出るかもしれない」
声が小さくなる。
「はい」
「それでも、外へ出るべきでしょうか」
その問いは、私に向けられている。
でも、本当はエレノア様自身が答えなければならない。
「出なきゃいけない、とは言いません」
私は言った。
「待てます」
「あなたは、ずっとそう言いますね」
「待つの得意なので」
「毎日扉を叩いていた人の言葉とは思えません」
「待ちながら叩いてたんです」
「迷惑ですね」
「推し活です」
「また、その言葉ですか」
「大事な言葉です」
少しだけ空気が軽くなる。
「でも」
私は続けた。
「外へ出たら、失敗が増えるわけじゃありません」
「はい」
「失敗を、一緒に見る人が増えるだけです」
エレノア様が黙る。
「今までだって、エレノア様は全部聞いてました」
「はい」
「扉の向こうで、ずっと一緒に考えてた」
「はい」
「なら、違うのは場所だけです」
「場所は、大切です」
「そうですね」
扉の中。
扉の外。
閉じこもる場所。
並ぶ場所。
同じではない。
「私は、エレノア様を引っ張り出しません」
「はい」
「手も、勝手には掴みません」
少し迷ってから、右手を差し出す。
「でも、ここに置いておきます」
扉から少し離れた場所。
届くか届かないかの距離。
「必要なら、使ってください」
エレノア様は、私の手を見る。
長い沈黙。
寝室の中は暗い。
廊下側には、淡い光がある。
どこから来る光かは分からない。
精神世界だから。
「玲奈」
「はい」
「あなたは疲れています」
「そうですね」
「顔色が悪い」
「精神世界でも分かります?」
「分かります」
「便利だ」
「休んでください」
「エレノア様が出てきたら」
「条件にしないでください」
「では、出てこなくても休みます」
「今すぐ」
「はい」
差し出した手を下ろそうとした。
その時。
エレノア様の足が動いた。
敷居の前。
靴先が、外へ出る。
一歩。
それだけ。
彼女の身体が、扉の外に出た。
私は息を止めた。
エレノア様も、呼吸を忘れたように立っている。
扉は背後で開いたまま。
閉じない。
「エレノア様」
「はい」
「出ました」
「出ましたね」
「大丈夫ですか」
「分かりません」
正直な答え。
身体は少し震えている。
私は手を差し出したまま、動かなかった。
エレノア様が、その手を見る。
そして、ゆっくり自分の手を重ねた。
冷たい。
でも、確かな重さがある。
「引っ張らないでください」
「引っ張りません」
「強く握らないで」
「はい」
「離さないでください」
一瞬、胸が詰まった。
「はい」
今度は、はっきり答える。
「離しません」
エレノア様は、もう一歩進んだ。
完全に扉の外へ出る。
寝室の扉が、彼女の背後にある。
私たちは廊下に並んで立っていた。
初めて。
扉越しではなく。
同じ場所で。
「どこへ行くのですか」
エレノア様が尋ねた。
「執務室があると思います」
「思います?」
「精神世界なので、たぶんあります」
「不確かですね」
「一緒に探しましょう」
「仕事のために?」
「まず休むために」
「執務室で?」
「ソファくらいあるはずです」
「なければ」
「作りましょう」
歩き出す。
手をつないだまま。
廊下の先に、見覚えのない扉があった。
でも、なぜか知っている。
私たちの執務室。
扉を開ける。
中には、大きな机が一つ。
椅子が二つ。
壁には、ベルク川流域図。
窓の外には、雪の残る山と、春の畑。
そして、壁際に長椅子。
「ありましたね」
エレノア様が言う。
「よかった」
「休んでください」
「エレノア様も」
「私は」
「共同決定です」
彼女は少しだけ眉を寄せた。
でも、拒まなかった。
二人で長椅子へ座る。
肩が触れない程度の距離。
手は、まだつながっている。
「玲奈」
「はい」
「あなた一人に任せるつもりはありません」
その言葉を聞いて、目を閉じた。
「それ、私がずっと言ってたやつです」
「知っています」
「やっと覚えてくれました?」
「あなたも、今日覚えたのでしょう」
「お互い様ですね」
「ええ」
少しだけ、手の力が強くなる。
「では」
エレノア様が言った。
「二人で」
「はい」
扉の外で交わした、最初の約束だった。
現実へ戻った時、机の上に新しい報告が届いていた。
王都備蓄、南高地街道へ進入。
モラン領から食用備蓄百五十袋、出発。
リーデン領、種籾補填を決定。
ハルツ領第三村、追加食料受領。
発熱者一名、症状安定。
ヴァルツェン薬草代替便、到着予定翌日。
すべて順調ではない。
遅れもある。
損失も。
それでも、動いている。
王都が。
各領が。
教会が。
軍が。
現地が。
ヴァルツェンが。
私は報告書の決定者欄を一つずつ確認した。
一人の名前ではない。
多くの名が並んでいる。
その中に、私たちの名もある。
その夜、私的業務記録を開いた。
王都備蓄放出および領境通行特例、実施。
リーデン領、種籾不足十五袋を領主家負担で補填。
モラン領、私有備蓄へ移した二十六袋を救済用へ返還。
ハルツ領三村への配布を現地隊長判断により開始。
ヴァルツェン薬草十二袋、梱包不良により使用不能。代替薬へ変更。
各決定者および変更理由を共同救済表へ記録。
ベルク川流域全体の輸送が、分担体制により継続中。
そこまで書き、最後に一行を加えた。
一人では届かなかった場所へ、多くの名で物資が届いた。
筆を置く。
窓の外では、雲の切れ間から月が見えていた。
川はまだ濁っている。
道も戻っていない。
橋も落ちたまま。
危機が終わったわけではない。
それでも、今夜は少し眠れる。
精神世界の寝室の扉は、開いたままだ。
その外には、新しい執務室がある。
椅子は二つ。
そしてエレノア様は、もう扉の向こうにはいなかった。




