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断罪後の悪役令嬢も、私は推している  作者: Manabit
第七章 彼女の名を、王国が呼ぶ

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第45話 一人で背負わないを編集

 王都からの返答は、雨が六日目に入った朝に届いた。


 伝令の馬は、城館へ着くなり膝を折った。


 馬体から湯気が上がり、騎手の外套は泥と雨で重く垂れている。


 封書は油布に包まれていた。


 王家の大印。


 緊急王命。


 私は執務室へ戻る前に、馬と騎手へ休息を与えるよう命じた。


 それから、ユリスとオルドを呼ぶ。


 封を切る。


 文面は長くなかった。


 ベルク川流域における複数街道の寸断、橋梁流失、備蓄記録の不一致および村落との連絡途絶について、王都は北部全域へ緊急救済令を発する。


 領境を越える物資輸送。


 馬、人足、倉庫および仮設中継地の使用。


 各領主への備蓄実数確認命令。


 種籾の食用転用禁止。


 現地判断者への限定権限付与。


 それらを国王の名で認める。


 そして、ベルク川流域に関する実務調整の中枢を、ヴァルツェンへ置く。


 そこまで読んで、私は息を止めた。


「女伯様」


 ユリスが私の表情を見る。


「続けます」


 紙を持つ指へ、少し力を入れた。


 王都は、ヴァルツェンへ各領の報告を集約する権限を与える。


 輸送経路の提案。


 備蓄配分案の作成。


 中継地の指定。


 各領間の調整。


 現地からの緊急変更報告の受領。


 ただし、各領内における備蓄放出および住民受入の最終決定は、各領主が負う。


 領境を越える軍、王都備蓄、王家直轄倉庫の使用は、国王が決定する。


 施療院、教会宿泊所および救護人員については、王妃宮と教会が責任を持つ。


 ヴァルツェン女伯は、流域全体の情報整理および調整案の作成を担う。


 最終責任の所在は、決定項目ごとに記録する。


 以前と違う。


 全部をエレノア様へ預ける文面ではない。


 国王。


 各領主。


 王妃宮。


 教会。


 軍。


 ヴァルツェン。


 役割が分かれている。


「陛下は、こちらの意図を理解されたようですね」


 ユリスが言った。


「はい」


「全体を女伯様へ委ねてはおりません」


「はい」


 それでも、胸の奥で何かが強く動いている。


 安堵だけではない。


 焦り。


 地図。


 切れた道。


 食用と混ざった種籾。


 孤立した村。


 雨。


 王命には、ヴァルツェンが調整案を作るとある。


 ならば、すべての数字をここへ集めなければならない。


 各領の報告を比較する。


 不足を見つける。


 輸送路を引き直す。


 誰に何を任せるか決める。


 間違えれば、人が死ぬ。


「王都側の担当者は」


 オルドが文書を覗き込む。


「クラウス・レーヴェン宮中男爵」


「王妃宮は」


「リリアナ妃殿下の名で、第二王都施療院長と教会救護局長」


「軍は」


「北部救済軍務官、ディートリヒ・ローデ」


「各領主名もあります」


 ユリスが別紙を見る。


 リーデン領主。


 ハルツ領主。


 モラン領主。


 すべて記載されている。


「決定者名の欄を、先に埋めてきた」


「そのようです」


 アルベルト陛下は、同じことを繰り返していない。


 その事実は認めなければならない。


「受諾の返書を」


 私は言った。


「すぐに」


 ユリスが筆を取る。


「条件はございますか」


「ありません」


 自分でも、少し早すぎると思った。


 ユリスも筆を止めた。


「女伯様」


「何ですか」


「本当に、ございませんか」


「王都は役割を分けています」


「はい」


「最終決定者も明記している」


「はい」


「ならば、問題ありません」


 言いながら、王命書を机へ置く。


 すぐに次の書類へ手を伸ばした。


「北部三領の最新報告は」


 ユリスが出す。


 リーデン領。


 西部共同倉庫の実数確認。


 食用として記録されていた九百袋のうち、三百十二袋が種籾。


 すでに放出された二百袋のうち、種籾が混入していた可能性。


 受取村で再確認中。


 モラン領。


 主要倉庫六箇所のうち三箇所で実数確認終了。


 帳簿との差、合計百八十七袋。


 内訳不明。


 荷車四十二台のうち、稼働可能二十五台。


 ハルツ領。


 中流三村との連絡は、まだ狼煙のみ。


 村側の合図は三種類に変化。


 こちらとの意味の共有はできていない。


「リーデンへ確認班を追加」


「誰を出しますか」


「ヴァルツェンから」


 ユリスの顔がわずかに強張る。


「女伯様」


「帳簿の混同は、こちらの様式を使った結果です」


「使い方を誤ったのは、リーデン領です」


「それでも、早く確認できます」


「人員が足りません」


「領内倉庫の再点検班から二人回します」


「こちらの点検が遅れます」


「後回しで構いません」


 言葉が次々に出る。


「モラン領の倉庫確認にも一人。ハルツ領三村へは、今朝出した隊へ追加で食料を」


「追加量は」


「最大まで」


「最大とは」


「人が運べる限りです」


「ヴァルツェンの最低残存量を割ります」


「今使わなければ意味がありません」


「ベルナ村の補填分も含みます」


 ユリスの声が低くなる。


「分かっています」


「分かっておられません」


 執務室が静まった。


 ユリスが私へ、はっきり反対した。


 珍しいことではない。


 だが、今の言葉は強かった。


「何がですか」


「女伯様は、ヴァルツェン領内の必要量まで、外へ回そうとしておられます」


「北部全体の危機です」


「ヴァルツェンも北部です」


「だからこそ」


「ヴァルツェンの備蓄が尽きれば、誰がここを支えるのです」


「尽きる前に次を動かします」


「どこから」


 答えが止まる。


 王都。


 モラン領。


 南部。


 どこも道が切れている。


「確認中です」


「確認中のものを前提に、今ある備蓄を最大まで出すのですか」


「人が足りない村があります」


「こちらにも、畑を沈めた農家がいます」


 アンナの顔が浮かぶ。


「忘れていません」


「では、なぜ後回しにできると」


「後回しではありません」


「同じです」


 ユリスの声は震えていない。


 怒っている。


 怖がっている。


 それでも、私から目を逸らさない。


「女伯様は、また全体の不足をヴァルツェンで埋めようとしている」


「誰かが埋めなければ」


「それを決めるのは、女伯様一人ではありません」


 胸の奥が強く締まった。


 エレノア様の反応。


 それとも、私自身のものか。


「王命で、調整権限を与えられました」


「調整です」


 ユリスが王命書を指す。


「供出命令ではありません」


「分かっています」


「分かっておられないから、最大まで出すと」


「ユリス」


 オルドが静かに名を呼んだ。


 止めるためではない。


 少し落ち着かせるための声だった。


 私は椅子から立った。


「現場を見ていないから、そんなことが言えるんです」


 言った瞬間、後悔した。


 ユリスは、ずっと現場を見ている。


 帳簿も。


 倉庫も。


 村も。


 雨の中で走る伝令も。


「失礼しました」


 彼は一歩下がった。


 顔から感情が消える。


 それが、余計に痛かった。


「ですが、意見は変わりません」


 私は何も言えなかった。


 王命書。


 地図。


 各領の報告。


 全部を前にして、頭の中が急いでいる。


 正しい答えを早く出さなければ。


 誰かが決めなければ。


 自分が決めなければ。


 身体の奥から、鋭い感覚が上がってくる。


 記憶。


 王太子府の会議室。


 誰も結論を出さない。


 教会と財務局が互いの事情を語る。


 商会が条件をつける。


 アルベルトは、全員が納得する方法を探している。


 時間だけが過ぎる。


 エレノア様が書類を取る。


 では、私が案をまとめます。


 反対は私へ。


 決定は後で殿下に。


 それが一番早い。


 同じだ。


 私は今、同じことをしようとしている。


「少し、席を外します」


 誰にも返事を求めず、執務室を出た。


 廊下を歩く。


 足が速くなる。


 自室へ入り、扉を閉める。


 すぐに精神世界へ入った。


 寝室の扉は開いている。


 昨日より、さらに広い。


 エレノア様は、扉の内側に立っていた。


 私を待っていたように。


「エレノア様」


「はい」


「王都から権限が来ました」


「聞いていました」


「各領の責任も、王都の責任も書いてあります」


「はい」


「ちゃんと分けてある」


「はい」


「なのに、間に合わないんです」


 声が強くなる。


「報告を待ってたら遅い。各領に任せたら、また数字が違う。道は切れてる。村と連絡も取れない。種籾まで食べられてるかもしれない」


「はい」


「私たちが見た方が早いです」


 エレノア様は答えない。


「ヴァルツェンで全部確認して、配分して、命令案を作って、各領主に署名だけさせれば」


 言葉が止まった。


 署名だけ。


 自分で言った。


「それが、最も早いでしょう」


 エレノア様が静かに言う。


「ですよね」


「はい」


「だったら」


「そして、最も危険です」


 私は扉の前で固まった。


「エレノア様まで、ユリスと同じことを言うんですか」


「ユリスの言葉は正しいと思います」


「人が死ぬかもしれないんですよ」


「はい」


「任せた人が間違えたら」


「はい」


「報告が遅れたら」


「はい」


「それでも、任せるんですか」


「玲奈」


「私は、エレノア様を守りたいんです」


 急に、そこへ行き着いた。


 自分でも驚いた。


「また全部押しつけられないように。今度こそ、ちゃんと分けるために。でも、分けた相手が失敗したら、結局エレノア様が責められる」


「なぜです」


「ヴァルツェン式だから」


 声が震える。


「流域調整の中枢がヴァルツェンだから。何か起きたら、冷血伯の制度が失敗したって言われる。だから、失敗できないんです」


 エレノア様が、私を見ている。


「全部、完璧にしないと」


「できません」


「できます」


「できません」


 簡潔な否定。


 容赦がない。


「私なら」


「あなたもできません」


「エレノア様と二人なら」


「二人でも」


 胸の奥が痛む。


「じゃあ、どうすればいいんですか」


「失敗する可能性を、分けます」


「そんなの」


「責任逃れではありません」


「でも」


「玲奈」


 エレノア様が一歩、前へ出た。


 扉の敷居のすぐ内側。


 これまでで最も近い。


「あなたは、私を一人にしないために、すべてを自分で背負おうとしています」


 何も言えなかった。


「それでは、私と同じです」


「違います」


「同じです」


「私はエレノア様のために」


「私も、王太子殿下のためだと思っていました」


 言葉が止まる。


「殿下の理想を実現するため。民を救うため。会議を早く終わらせるため。私が決めればよいと思いました」


「でも、エレノア様は実際にできた」


「できなかったから、今があります」


 静かな声だった。


「私は、決めました。処理しました。記録を整えました」


「はい」


「その結果、私がいなくなった後、誰も続けられなかった」


「それは周りが」


「周りへ仕事を返さなかった私にも、責任があります」


「エレノア様のせいじゃありません」


「すべてが私のせいだとは言っていません」


 エレノア様は、私から目を逸らさない。


「ですが、すべてが他人のせいでもありません」


 厳しい。


 エレノア様は、自分へも厳しい。


 だからこそ、今の言葉は逃げではない。


「玲奈」


「はい」


「あなたが私を守ろうとしていることは、分かっています」


「はい」


「嬉しく思います」


 その一言で、涙が出そうになる。


「でも、私を守るために、あなたが私と同じ傷を負うことは望みません」


「私は平気です」


「平気ではありません」


「まだ」


「ユリスへ言った言葉を覚えていますか」


 現場を見ていないから。


 思い出す。


 胸が縮む。


「……はい」


「あなたは焦ると、人を遠ざけます」


「エレノア様に言われたくないです」


「そうですね」


 少しだけ、エレノア様の表情が緩んだような声に聞こえる。


 冗談にするには、まだ痛い。


 でも、逃げずにそこにいる。


「どうしたらいいですか」


 私は尋ねた。


「王命の通りに」


「それだけ?」


「いいえ」


 エレノア様が扉の縁から手を離したようだ。


「王都には、王都の決定を返します」


「はい」


「各領主には、自領の備蓄を決めさせます」


「はい」


「現地隊には、限定された判断権を」


「はい」


「ヴァルツェンは、情報を整理し、矛盾を示し、選択肢を作る」


「決めない?」


「決めるべきところは決めます」


「どこですか」


「ヴァルツェン領内のこと。ヴァルツェンから出す物資。ヴァルツェンが担う中継。私たちへ与えられた調整範囲」


「それだけじゃ、遅いです」


「遅い部分を、王都へ返します」


「王都は遠い」


「期限を切ります」


「返事が来なければ」


「事前に緊急権限の範囲を決めさせます」


「各領主が決められなければ」


「決められないことを記録させ、国王へ上げます」


「その間の人は」


「現場権限で守ります」


 全部に答えがあるわけではない。


 でも、道筋がある。


「誰かが間違えたら」


「直します」


「死者が出たら」


 エレノア様の表情が止まった。


「責任を負います」


「誰が」


「決めた者が」


「一人で?」


「いいえ」


 答えは早かった。


「その判断へ資料を出した者。権限を与えた者。現場で決めた者。皆です」


「それで、誰も責任を取らないことになりませんか」


「役割を曖昧にすれば、そうなります」


「だから、欄を分ける」


「はい」


 エレノア様が、わずかに手を差し出した。


 扉の外へではない。


 でも、こちらへ向けて。


「玲奈」


「はい」


「一人で背負わないことは、一人で決めないことでもあります」


 私はその手を見る。


 触れられる距離ではない。


 あと一歩。


 扉の敷居がある。


「怖いです」


「私もです」


「任せた人が失敗するのが」


「はい」


「エレノア様の名前が傷つくのも」


「すでに十分、傷ついています」


「そういうこと言わないでください」


「事実です」


 また少しだけ、声が柔らかい。


「では、これ以上傷つかないように」


「違います」


 私は首を振った。


「傷ついても、私が一緒にいます」


 エレノア様の目が、少し見開かれた。


「全部防ぐのは無理でも。何か言われても。失敗しても」


「はい」


「だから、私が全部やるんじゃなくて」


 言葉を探す。


「みんなに、ちゃんと仕事を返します」


 エレノア様は、静かに頷いた。


「ええ」


「王には王の署名を」


「はい」


「領主には領主の判断を」


「はい」


「現場には現場の権限を」


「はい」


「私たちは」


「流域全体を見て、つなぎます」


 その答えを聞いて、少し呼吸が楽になった。


「ユリスに謝らないと」


「そうですね」


「嫌だな」


「必要です」


「エレノア様も一緒に謝ってください」


「なぜですか」


「身体はエレノア様のです」


「発言したのはあなたです」


「共同責任では」


「便利な時だけ使わないでください」


 思わず笑った。


 泣きそうだったのに。


 エレノア様の口元にも、ほんの少し笑みがある声音だ。


「行ってきます」


「はい」


「エレノア様」


「何ですか」


「扉、もう少し開けませんか」


 彼女は扉を見る。


「今は、これで」


「そうですか」


「ですが」


 一瞬、言葉を切る。


「遠くはありません」


 私は頷いた。


「待ってます」


「待たせすぎないようにします」


 現実へ戻り、自室を出た。


 執務室では、ユリスがまだ書類を整理していた。


 オルドもいる。


 二人とも、私を見る。


「ユリス」


「はい」


「先ほどは、申し訳ありませんでした」


 彼の目がわずかに動く。


「現場を見ていないという発言を撤回します」


「承知しました」


「それから、最大まで出す命令も撤回します」


「はい」


「ヴァルツェンの最低残存量とベルナ村の補填分は守ります。その上で出せる量を計算してください」


「承知しました」


「外へ出せない分については、王都と各領へ不足として返します」


「はい」


「リーデンとモランへ確認班は出しません」


 ユリスが少し驚く。


「各領に再確認させます。必要なら、帳簿の読み方だけ伝える担当を一人ずつ、遠隔で」


「伝令往復になります」


「期限を切ります。報告項目も絞る」


「承知しました」


「ハルツの現地隊は予定通り。追加物資は、最低限の緊急分のみ」


「量は」


「塩、薬草、三日分の補助食。村の実数確認後に追加を決めます」


 ユリスの筆が動く。


「王都へは、追加の権限要請を」


「何を求めますか」


「各領主が期限内に判断できない場合の代行命令者。領境通行の自動許可条件。王都備蓄を動かせる最低基準」


「明確にします」


「それから」


 私は王命書を見る。


「この流域調整に、ヴァルツェン一人の名を置きません」


「共同名義に?」


「王都担当。各領主。王妃宮。軍。ヴァルツェン。それぞれの決定欄を分けます」


「新しい様式が必要です」


「作りましょう」


 今度は、ヴァルツェン式ではない。


 誰か一人の制度でもない。


 流域全体で使う表。


「名称は」


 ユリスが尋ねた。


 私は地図を見る。


 太い川。


 そこへ集まる支流。


 領境を越える道。


「ベルク川流域共同救済表」


「そのままですね」


「分かりやすい方がいいです」


「異論はございません」


 ユリスの声は、少しだけ元へ戻っていた。


「さっきは、本当にすみません」


 もう一度言う。


「一度で十分です」


「怒ってますか」


「怒っております」


「ですよね」


「ですが、仕事はします」


「お願いします」


「女伯様も」


「はい」


 オルドが、静かに咳払いをした。


「仲直りがお済みでしたら、役割表を作成いたしましょう」


「仲直りというほどでは」


「仕事を進めます」


 ユリスが遮った。


 少しだけ、執務室の空気が軽くなった。


 それから、全員で新しい表を作った。


 最初の欄。


 現地状況。


 報告者。


 確認時刻。


 第二。


 必要量。


 食料。


 種籾。


 薬草。


 塩。


 飼料。


 第三。


 輸送経路。


 使用可能な道。


 通行条件。


 荷車。


 馬。


 人足。


 第四。


 現場判断。


 決定者。


 許可範囲。


 変更理由。


 第五。


 領主判断。


 備蓄放出量。


 受入上限。


 停止基準。


 第六。


 王都判断。


 領境通行。


 軍派遣。


 王都備蓄。


 財源。


 第七。


 ヴァルツェン調整。


 矛盾箇所。


 不足情報。


 代替案。


 優先順位。


 最後。


 結果。


 届いた量。


 届かなかった量。


 遅れ。


 事故。


 次に直すこと。


「多いですね」


 私が言うと、ユリスが答えた。


「女伯様が減らしますか」


「減らせません」


「では、このまま」


 分厚い。


 面倒だ。


 誰も喜ばないだろう。


 でも、誰が何を決めたかを一人へ集めないためには必要だ。


「最初は緊急項目だけ使います」


「詳細版は後で」


「はい」


 雨は、まだ降っている。


 それでも、昨日までとは違った。


 道が戻ったわけではない。


 橋も。


 村との連絡も。


 ただ、誰が何を見るかが決まった。


 私は王都へ、追加の緊急照会を送った。


 同時に、共同救済表の第一版を添付する。


 末尾には、こう書いた。


 ヴァルツェンは、流域全体の情報整理および調整案作成を担う。


 各決定は、定められた権限者が自らの名で行う。


 結果が不十分であった場合、その責任を一名へ集約しない。


 決定に関与した者は、それぞれの範囲について記録と改善を負う。


 公印を押す。


 今度は、手が震えなかった。


 夕刻、ハルツ領へ向かった現地隊から最初の報告が戻った。


 三村のうち、一村と接触。


 備蓄は帳簿上十日分。


 実数では七日分。


 種籾は別保管。


 病人二名。


 井戸に異常なし。


 他二村へは、翌朝向かう。


 現地隊長の判断で、持参した薬草の一部を配布。


 食料は、実数確認が終わるまで保留。


 理由も書かれている。


 すぐに食料を配れば安心させられる。


 だが、本当に不足している村へ残すため、一度止めた。


 現地で決めた。


 私の指示ではない。


「この判断を支持します」


 私は返書に書いた。


 追認ではない。


 支持。


 彼に与えた権限の範囲だった。


 現地隊長の名前を、記録のまま残す。


 その夜、私的業務記録を開いた。


 王都より、ベルク川流域実務調整権限を受領。


 国王、各領主、王妃宮、教会、軍、ヴァルツェンの責任範囲を明記。


 当初、ヴァルツェン備蓄の最大供出および他領への確認班派遣を検討。


 領内最低残存量および冠水補填を損なうため撤回。


 ベルク川流域共同救済表を作成。


 現地判断、領主判断、王都判断、ヴァルツェン調整を分離。


 ハルツ領一村と接触。


 現地隊長判断により薬草を一部配布。食料配布は保留。


 判断を支持。


 そこまで書いて、筆を止めた。


 最後に一行を加える。


 一人で背負わないとは、責任を捨てることではなく、仕事を正しい手へ返すことである。


 窓の外では、雨が少し弱くなっていた。


 まだ止んではいない。


 明日、また道が崩れるかもしれない。


 別の倉庫で数字が合わないかもしれない。


 任せた者が、判断を誤るかもしれない。


 私たちも。


 それでも、すべてを一つの机へ集めることはしない。


 王には王の署名を。


 領主には領主の判断を。


 現場には現場の権限を。


 そして私たちは、切れた道と道の間をつなぐ。


 エレノア様を一人にしないために。


 私もまた、一人で背負わないために。


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