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断罪後の悪役令嬢も、私は推している  作者: Manabit
第五章 白い手紙と灰色の帳簿

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第34話 帳簿は写せない

 王都の実務官たちは、翌朝から帳簿室へ入った。


 前日に備蓄庫、薬草庫、厨房を見せたからだろう。


 彼らの顔には、昨日より少しだけ緊張があった。


 白い手袋は外されている。


 代わりに、王都から持ってきたらしい薄い作業用手袋をつけていた。


 昨日の泥が、多少は効いたのかもしれない。


 帳簿室の中央には、ユリスが用意した見本が並んでいた。


 灰麦粥用粉の配布台帳。


 備蓄庫の棚番号表。


 袋印一覧。


 受取責任者表。


 配布後報告の戻し先一覧。


 薬草庫の禁忌札写し。


 厨房用の水量札。


 そして、共同備蓄返済とは別にされた、薬草買い取りと指導料の支払い帳。


 うん。


 並べると、改めて思う。


 地味。


 ものすごく地味。


 でも、この地味さの中に、領地の命が詰まっている。


「本日は、王都側の標準配布台帳案を作成していただきます」


 ユリスが説明した。


「こちらの様式を写すのではありません。王都の救貧院、孤児院、施療院、教会倉庫で用いることを想定し、各担当で必要項目を組み直してください」


 クラウス・レーヴェン宮中男爵は、手元の資料を確認して頷いた。


「写すのではなく、組み直す」


「はい」


 ユリスは淡々と続けた。


「昨日、女伯様も申された通り、帳簿は棚と手に結びついていなければ動きません。王都の棚、王都の手、王都の配布先に合わせて作る必要があります」


 王都の実務官たちは、それぞれの担当ごとに分かれた。


 食料担当は、灰麦粥粉の札を見ている。


 会計担当は、買い取り分、寄付分、備蓄分をどう分けるかで眉を寄せている。


 教会倉庫担当は、保管場所と配布責任者の欄を増やすか悩んでいる。


 布類担当は、防寒布の大きさと用途を分ける欄を作っている。


 薬草担当のミラは、セリアの前で禁忌欄を書いていた。


 その姿勢だけで分かる。


 薬草担当だけ、すでに試験を受けている空気だ。


「禁忌欄が小さいです」


 セリアが言った。


 早い。


 開始から半刻も経っていない。


 ミラはすぐに書き直した。


「この大きさではどうでしょうか」


「まだ小さいです。白百合紋より大きく」


「紋章より、ですか」


「紋章で事故は止まりません」


 王都側の数名が顔を上げた。


 セリアは気にしない。


「幼児、産婦、衰弱者。施療院判断。家庭配布不可。ここは、読ませるための欄です。飾りの下に置いてはいけません」


 ミラは少し黙り、白百合紋を欄外へ移した。


 セリアはそれを見て、ようやく頷いた。


「ましです」


 褒めてはいない。


 でも、セリア基準ではかなり前進だと思う。


 私は部屋の端でそれを見ながら、心の中でミラを応援した。


 がんばれ。


 セリアの「ましです」は、たぶん王都の勲章より重い。


 食料担当の若い文官は、灰麦粥粉の札に苦戦していた。


「成人用、児童用、病人用で分けるのは理解しました。ただ、救貧院には病人も子供もおります。施設単位で分けるべきか、使用者単位で分けるべきか」


 ハンナが腕を組む。


「食べる人で分けてください」


「しかし、配布箱は施設ごとに届きます」


「なら、箱の中を分けてください」


「箱の中を」


「同じ箱に入れるなら、札を大きく分ける。袋の紐を変える。水量札も別にする。子供用の粉を大人用の鍋に入れたら、薄すぎます。大人用を子供用に入れたら、濃すぎます」


「……なるほど」


「なるほど、で終わらせないでください。鍋の前では、なるほどと言っている時間はありません」


 ハンナも、なかなか容赦がない。


 王都の文官は、慌てて水量札の絵を描き直した。


 鍋。


 水線。


 椀の数。


 塩入り、塩なし。


 字は綺麗なのに、絵は下手だった。


 いや、そこは仕方ない。


 ユリスの最初の煙三本も、なかなかひどかった。


 でも、下手でも伝わる絵はある。


 美しくなくていい。


 間違えなければいい。


 午前の終わりには、王都側の第一案が出そろった。


 クラウスが代表して、机の上にまとめる。


 王都慈善配布標準台帳案。


 その表題を見た瞬間、私は少しだけ嫌な予感がした。


 標準。


 便利な言葉だ。


 そして、危ない言葉でもある。


 ユリスも同じことを思ったらしい。


 表題を見て、眼鏡の奥の目が細くなった。


「標準台帳、ですか」


 クラウスは少し身構えた。


「王都側では、救貧院、孤児院、施療院、教会倉庫を横断して管理する必要があります。全て別様式にすると、集計が難しくなります」


「集計は楽になります」


 ユリスは言った。


「現場は混ざります」


 沈黙。


 静かな一撃だった。


 クラウスは表情を変えなかったが、食料担当の若い文官が少しだけ肩を揺らした。


 ユリスは第一案をめくる。


「食料、薬草、布類、寄付品が同じ台帳に入っています」


「施設ごとの受領を一括で見るためです」


「受領は見えます。ですが、使用時の危険度が違います。薬草は食料と同じ列に置くべきではありません」


 セリアが横から言った。


「薬草は別台帳です」


 クラウスはそちらを見た。


「しかし、教会倉庫では同じ日に受け取ります」


「受け取る日が同じでも、扱う手が違います」


 セリアは即答した。


「それを同じ列に置いた結果、王都では施療院用の薬草が一般配布棚に置かれました」


 誰も反論しなかった。


 できなかったのだと思う。


 会計担当の文官が、苦しそうに口を開いた。


「では、集計用と現場用を分けるべきでしょうか」


 ユリスの目が少しだけ和らいだ。


「はい」


 たぶん、そこが正解だった。


「集計用台帳は王妃宮用。現場用台帳は施設別、品目別。両者をつなぐ番号を置く。現場の札には、集計番号より用途と禁忌を大きく」


 クラウスが手帳に書き込む。


「王妃宮用、現場用、対応番号」


「さらに、改変履歴が必要です」


「改変履歴」


「王都で様式を変えるなら、誰が、いつ、どこを変えたか残してください。次の事故で、どこからずれたのか分からなくなります」


 クラウスは、少しだけ顔をしかめた。


「そこまで必要ですか」


 私は口を開いた。


「必要です」


 部屋の視線がこちらに集まる。


「善意の配布は、悪意のある失敗より原因が消えやすいのです。誰も悪くない。急いでいた。祝賀だった。寄付品が多かった。そう言っているうちに、どこを変えたせいで混ざったのか分からなくなります」


 クラウスは黙って聞いていた。


「改変履歴は、責任追及のためだけではありません。次に直す場所を残すためです」


「……承知しました」


 彼は素直に頷いた。


 完全に納得したかは分からない。


 でも、逃げなかった。


 それで十分だ。


 午後は、第一案の赤入れになった。


 赤入れというより、赤の海だった。


 食料と薬草を分ける。


 布類は大きさと用途を分ける。


 祝賀品と生活必需品を分ける。


 寄付受入と配布完了を分ける。


 受取責任者と配布責任者を分ける。


 不足と余剰を同じ欄にしない。


 苦情欄を「感想」にしない。


 戻し先を明記する。


 白百合紋は、用途印を隠さない位置にする。


 書けば書くほど、王都側の顔が険しくなった。


 分かる。


 私も見るだけで疲れる。


 でも、ここを省くと人が消える。


 ユリスが、教会倉庫担当の書記に説明していた。


「教会倉庫は、祈りの場であると同時に保管場所です。そこを混ぜないでください」


「どういう意味でしょうか」


「寄付品を受け取る時、感謝の祈りは必要でしょう。ですが、倉庫では、箱の番号、棚の位置、配布日、鍵の管理者が必要です。祈りの記録と保管の記録を同じ欄に置くと、どちらも読まれません」


 教会倉庫担当の書記は、少し顔を赤くした。


 怒ったのかと思ったが、違った。


 恥じたのだ。


「……王都の教会倉庫では、受領時の祈祷記録が最初に来ます」


「祈祷記録を消す必要はありません」


 ユリスは言った。


「ただ、棚番号より前に置かない方がいい」


 その言葉は、静かだった。


 だが、効いた。


 教会倉庫担当は深く頷き、台帳の順番を書き直した。


 夕方には、王都側の第一案は見る影もなくなっていた。


 紙は赤と黒でいっぱいになり、表題も変わった。


 王都慈善配布標準台帳案。


 その文字には線が引かれた。


 新しい表題は、まだ仮だった。


 王妃宮用集計台帳。


 施設別現場台帳。


 品目別札一覧。


 対応番号表。


 改変履歴。


 クラウスはそれを見て、小さく息を吐いた。


「増えましたね」


「増えました」


 私は頷いた。


「王都に持ち帰れば、嫌がられます」


「でしょうね」


「書類が増えたと」


「言われるでしょうね」


「しかし、今まで少なすぎたのですね」


 私はクラウスを見た。


 彼は赤だらけの紙を見ていた。


「少ないから、美しく見えた。少ないから、誰の手間が消えているか分からなかった」


 その言葉は、私に向けたものではなかったのかもしれない。


 クラウス自身が、自分に言い聞かせているように聞こえた。


 私は少しだけ頷いた。


「少ない帳簿は、楽です」


「はい」


「でも、楽な帳簿が、人を楽にするとは限りません」


 クラウスは、ゆっくり顔を上げた。


「ヴァルツェンでは、いつもこのように?」


「いいえ」


 私は即答した。


「いつも失敗します」


 王都側の数名が、驚いた顔をした。


 私は少しだけ苦笑しそうになった。


 エレノア様の顔では、たぶんあまり笑えていないけれど。


「最初から正しい帳簿などありません。村で破られかけた札もあります。厨房で使えないと言われた札もあります。薬草庫で書き直された札もあります」


 セリアが、静かに頷いた。


「大事なのは、失敗を戻せる形にしておくことです」


「戻せる形」


 クラウスが繰り返す。


「はい。誰がどこで困ったのか。どの札が読まれなかったのか。どの棚で混ざったのか。それが分かれば直せます。分からなければ、また美しい札を作って終わりです」


 室内は静かだった。


 だが、朝の静けさとは違う。


 疲れた静けさ。


 考えている静けさ。


 少なくとも、無礼を避けるために黙っているだけではない。


 その日の研修は、そこで終わった。


 王都側の実務官たちは、赤だらけの紙を抱えて部屋を出ていく。


 白い手袋は、ほとんど使われなくなっていた。


 クラウスは最後に残り、机の上の赤入れ済み台帳を見下ろした。


「女伯」


「はい」


「十日で持ち帰れるのは、失敗の見本だけかもしれません」


「それでも、何も持ち帰らないよりは良いでしょう」


「……厳しい」


「必要です」


 クラウスは小さく笑った。


 初めて、少しだけ表情が崩れた。


「王妃殿下に、延長を願う書状を書きます」


「ご自身で?」


「はい。私が十日と申し上げて来たのですから、私が誤りを認めるべきでしょう」


 私は、その答えをかなり気に入った。


 王都側の人間としては、悪くない。


「では、ユリスに書状用の紙を用意させます」


「ありがとうございます」


 クラウスは礼をした。


 深く、だが昨日ほど硬くはなかった。


 その夜、私は私的業務記録を開いた。


 王都実務官チーム、第一案作成。


 標準台帳案は不適。


 王妃宮用集計台帳、施設別現場台帳、品目別札一覧、対応番号表、改変履歴へ分割。


 薬草は別台帳。


 禁忌欄を白百合紋より大きく。


 教会倉庫は祈祷記録と保管記録を分ける。


 クラウス・レーヴェン、滞在延長を王妃宮へ願い出る予定。


 そこまで書いて、ペンを止める。


 最後に、一行だけ追記した。


 写せるものは形だけであり、動かすには失敗の戻し先が要る。


 書き終えた時、外は静かだった。


 王都の者たちは、赤だらけの紙を前に、今ごろ頭を抱えているかもしれない。


 それでいい。


 頭を抱えるところから始まる実務もある。


 美しい白い札ではなく。


 赤を入れられた灰色の帳簿から。


 王都は、ようやく写すことを諦め始めていた。


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