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断罪後の悪役令嬢も、私は推している  作者: Manabit
第五章 白い手紙と灰色の帳簿

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第31話 戻らない返書

 王妃宮への返書は、翌日の午前から整えることになった。


 執務机の上には、三種類の紙が置かれている。


 王妃リリアナ妃殿下へ宛てる正式な返書。


 王妃宮の実務官へ渡す条件書。


 そして、王都側から派遣される者に提出させる事前報告の雛形。


 白い手紙への返事なのに、机の上はすでに灰色だった。


 飾り罫も、祝福文もない。


 あるのは、配布先、品目、責任者、保管場所、確認者、事故時の戻し先。


 うん。


 見慣れた景色になってきた。


「王妃殿下への返書は、こちらです」


 ユリスが草案を差し出した。


 文面は丁寧だった。


 丁寧すぎるくらいに。


 婚礼への祝意。


 王妃となったリリアナ妃殿下への敬意。


 灰麦粥用粉と使用札に目を留めていただいたことへの礼。


 慈善基金の混乱を憂慮する言葉。


 そして、王都短期滞在の辞退。


 私はその一文で、目を止めた。


『女伯エレノア・フォン・ヴァルツェンは、領内冬季管理および春前備蓄調整のため、王都への短期滞在は叶いません』


 正しい。


 嘘ではない。


 ヴァルツェンには、まだ冬の仕事が残っている。


 ラッケ草の備蓄も、春の返済案も、倉庫の調整もある。


 でも、この文面だけだと、少し違う。


 私はペンを取った。


「ユリス」


「はい」


「ここは、もう少しはっきり書きます」


「はっきり、でございますか」


「はい」


 私は該当箇所に線を引いた。


 そして、その下に書く。


『王都への参上はいたしません』


 ユリスが、わずかに息を止めた。


 オルドも、静かに視線を上げる。


 分かる。


 王妃宮への返書としては、かなり強い。


 けれど、ここはぼかしてはいけないと思った。


 領内管理のため行けません。


 冬季業務のため難しいです。


 それは、理由になる。


 けれど、線にはならない。


 理由がなくなれば、また呼ばれる。


 春になったら。


 備蓄が落ち着いたら。


 次の慈善配布の前に。


 そのたびに、エレノア様が揺れる。


 だから、今回は線を引く。


「王妃殿下への礼は崩しません。困っている現場も軽んじません。でも、戻らないことは曖昧にしません」


 ユリスは少し考えてから、頷いた。


「では、その後に支援方法を続けましょう」


「お願いします」


 ユリスは別の紙を引き寄せた。


 その動きが早い。


 この人、本当に頼りになる。


「王都への参上はいたしません。ただし、聖女慈善基金における配布管理の混乱については、看過すべきものではないと判断いたします」


「いいですね」


「続けて、王都側実務官の派遣を求める形で」


「はい」


 私たちは文面を整えていった。


 王都へは行かない。


 ただし、学ぶ者を拒みはしない。


 必要であれば、王妃宮より実務官をヴァルツェンへ派遣すること。


 代表者を一名置くこと。


 食料、薬草、布類、会計、教会倉庫、それぞれの担当者を分けること。


 短期視察ではなく、実務研修として扱うこと。


 到着前に、現在の配布先、品目、責任者、保管場所、事故または混乱の記録を提出すること。


 ユリスは書きながら、少しだけ眉を寄せた。


「かなり厳しい条件になります」


「厳しいですか」


「王都側から見れば」


「現場から見れば?」


「必要です」


「では、必要な厳しさです」


 ユリスは小さく頷いた。


 その表情に、少しだけ笑いそうになる。


 以前より、この人は私の返し方に慣れてきた気がする。


 いいことなのか悪いことなのかは、少し分からない。


 次に、条件書へ移った。


 これは王妃殿下への手紙とは違う。


 美しくなくていい。


 誤解なく、運用できることが大事だ。


 セリアは、薬草の項目に容赦なく赤を入れた。


「薬草担当者は、必ず施療院または薬務管理の実務経験者。王妃宮の侍従や儀礼官では不可」


「不可、と書きますか」


「書いてください」


「かなり強いですね」


「薬草は強い言葉で止めなければ事故になります」


 そう言われると、反論できない。


 私は素直に書き直した。


 薬草担当者は、施療院または薬務管理における実務経験を有する者に限る。


 儀礼担当者のみの派遣は不可。


 うん。


 怖い。


 でも必要。


 オルドは、滞在期間の欄を見ていた。


「最低一季、とございますが」


「短いですか」


「短いというより、王都側が理解しない可能性がございます」


「一季って、季節一つ分ですよね」


「はい。ですが、王都の者は十日も滞在すれば十分と考えるかもしれません」


 あり得る。


 とてもあり得る。


 私は条件書に追記した。


 見学のみを目的とする短期滞在は受け入れない。


 研修期間は最低一季。


 やむを得ず短縮する場合も、帰還後三度の報告書往復を必須とする。


 書いてから、私は少し遠い目をした。


 地味。


 ものすごく地味。


 でも、こういう地味な文言が、たぶん人を守る。


「王都側は、嫌がりますね」


 私が言うと、オルドが静かに答えた。


「それでも来るなら、本気ということでございましょう」


「来なければ?」


「王都の慈善は、王都が回すべきものです」


 その言葉に、私はペンを止めた。


 王都の慈善は、王都が回すべきもの。


 その通りだ。


 当たり前のことなのに、胸に落ちるまで時間がかかった。


 エレノア様は、王都の実務をよく知っている。


 だからこそ、必要とされれば行けてしまう。


 戻れてしまう。


 そして、また背負えてしまう。


 でも、それは正しさではない。


 便利さだ。


 王都にとっての。


 私は条件書の最後に、一文を加えた。


 派遣者は、王都帰還後、各施設における運用責任者として報告および改善に関与すること。


 ユリスがそれを読んで、頷いた。


「学んで終わりにしない、ということですね」


「はい。見て、感心して、帰って終わりでは困ります」


「では、代表者の責任も明記しましょう」


「お願いします」


 代表者。


 王都側は、おそらくそれなりの身分を持つ者を置くだろう。


 ただの下級文官では、王妃宮と教会と施療院を動かせない。


 かといって、高位貴族では実務を嫌がるかもしれない。


 中途半端に偉くて、十分に実務を知っていて、王都で報告を通せる者。


 そういう人物が来る必要がある。


 面倒だ。


 でも、面倒でなければ意味がない。


 昼を過ぎる頃には、返書草案と条件書はほぼ形になっていた。


 あとは、清書と封蝋。


 王妃宮宛ての正式な文面は、礼を尽くす。


 だが、別紙の条件書は逃がさない。


 白い手紙に、灰色の条件を添える。


 我ながら、実にこの章らしい。


 ……章?


 いや、何でもない。


 今のはたぶん玲奈の中の何かが変な言い方をした。


 忘れよう。


 夕方、私は一人で精神世界の扉の前に立った。


 扉の向こうに、エレノア様の気配がある。


「返書、形になりました」


「……はい」


「王妃殿下への礼は崩していません。でも、王都へは参上しないと書きました」


 少しだけ間があった。


「強い文面ですね」


「はい」


「リリアナ様を責める形には、していませんか」


「していません。王妃殿下の善意も、王都の混乱も、ちゃんと別に扱っています」


「そうですか」


 エレノア様の声が、少しだけ安堵したように聞こえた。


 やっぱり、気にしている。


 リリアナ妃殿下を悪者にしたいわけではない。


 でも、自分が戻るわけにもいかない。


 その間で、エレノア様はまだ揺れている。


「実務官を派遣するなら、最低一季。担当を分ける。薬草担当は実務経験者。見学ではなく研修。帰還後の報告も必須」


「かなり、面倒な条件です」


「はい」


「王都側は、嫌がるでしょう」


「嫌がるでしょうね」


「来ないかもしれません」


「それなら、それが王都の答えです」


 自分で言って、少し冷たいと思った。


 でも、撤回はしない。


「こちらは拒んでいません。学ぶ場は用意します。でも、王都が自分で覚えるつもりがないなら、エレノア様が代わりに背負う必要はありません」


 扉の向こうは静かだった。


 長い沈黙ではない。


 けれど、その短い間に、エレノア様が何かを飲み込んでいる気がした。


「私は」


 やがて、エレノア様が言った。


「呼ばれれば、行くものだと思っていました」


 胸の奥が痛んだ。


「必要とされるなら、断る理由はないと」


「……そうですね」


「特に、事故が起きると分かっているなら」


「はい」


「だから、これは不思議です」


「不思議?」


「行かないと決めたのに、見捨ててはいない」


 私は扉を見つめた。


「はい」


「そういう形が、あるのですね」


 その声は、とても静かだった。


 私はすぐには返せなかった。


 エレノア様にとって、必要とされることは、背負うこととほとんど同じだったのかもしれない。


 求められたら行く。


 困っているなら整える。


 嫌われても止める。


 感謝されなくても回す。


 それができるから、やってしまう。


 それができてしまうから、誰も止めなかった。


「あります」


 私は、ようやく答えた。


「助けることと、背負い直すことは違います」


「……はい」


「エレノア様は、王都を助けてもいい。でも、王都に戻らなくていい」


 扉の向こうで、小さく息を吐く音がした。


「まだ、慣れません」


「慣れましょう」


「簡単に言いますね」


「私は言う係なので」


「では、私は慣れる係ですか」


「はい。あと、時々休む係もお願いします」


「それは難しいです」


「知っています」


 私がそう言うと、扉の向こうの気配が少しだけ柔らかくなった。


 よかった。


 少しだけでも、笑ってくれたならいい。


 現実に戻ると、机の上には清書を待つ返書があった。


 白い紙。


 黒い文字。


 王妃宮への礼文。


 その下に添えられる、灰色の条件書。


 私は最後に、王妃への返書をもう一度読み直した。


 柔らかすぎない。


 冷たすぎない。


 礼を尽くし、線を引く。


 王都へは参上いたしません。


 必要であれば、実務官をヴァルツェンへお寄越しください。


 帳簿、倉庫、薬草庫、配布札、各運用を確認いただきます。


 王都で用いる慈善制度は、王都の責任において運用されるべきものと存じます。


 私はそこで目を止めた。


 王都の責任。


 エレノア様の責任ではない。


 少なくとも、全部ではない。


 そのことを、王都にも、エレノア様にも、きちんと知らせなければならない。


 私は私的業務記録を開いた。


 王妃宮への返書草案作成。


 王都短期滞在は辞退。


 実務官派遣を求める。


 最低一季。


 担当分離。


 薬草担当は実務経験者。


 帰還後報告必須。


 そこまで書いて、ペンを止めた。


 最後に、一行だけ追記する。


 必要とされることと、戻ることは同じではない。


 書き終えると、指先の震えはなかった。


 その代わり、胸の奥に小さな重さが残った。


 これは、たぶん正しい重さだ。


 誰かを拒むための重さではない。


 誰かを背負い直さないための重さ。


 王都は、白い手紙を送ってきた。


 こちらは、返書を送る。


 白さを拒むためではなく。


 その下にある灰色の実務を、王都自身に見せるために。


 封蝋を押す時、私は小さく息を吸った。


 ヴァルツェン女伯の印が、白い紙に沈む。


 戻らないための返書が、ここに形になった。


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