第27話 薬草の値段
翌朝、メルカ婆の家ではなく、村長宅の広間に人が集められた。
村長。
メルカ婆。
リナ殿。
若い採取人が二人。
セリア。
ユリス。
ガルド。
そして、私。
囲炉裏の火は小さく、部屋の中は暖かいとは言えない。
けれど、昨日までのように、ただ冷えているだけではなかった。
机の上には、昨日山で試した採取札が置かれている。
端は濡れ、角は少し折れ、煙の絵には修正の線が加えられていた。
きれいな札ではない。
でも、山へ行って戻ってきた札だった。
「まず、昨日の確認結果です」
セリアが言った。
薬草庫の管理人らしく、声に余計な揺れはない。
「採取札は、おおむね使用可能。ただし、足跡の沈みは太く描き直す必要があります。止まる手の絵は、もっと大きく。小さな芽を残す指示が弱い」
「根を残す絵は通じた」
メルカ婆が補足した。
「若いのでも分かった。あれは使える」
若い採取人の一人が、気まずそうに視線をそらした。
たぶん、小さな芽を採ろうとした方だ。
「煙三本も?」
私が尋ねると、もう一人の採取人が頷いた。
「分かりました。五本だと多いって、婆様が山で怒鳴りましたから」
「怒鳴ってない」
「怒鳴りました」
「山では声を張るもんだ」
メルカ婆が杖を鳴らした。
広間の空気が、わずかに緩む。
笑い、というほどではない。
けれど、昨日までのように誰も息を殺しているわけではなかった。
私はその空気を壊さないように、ゆっくりと言った。
「では、採取札は修正の上、村側で再確認。薬草庫用の帳簿は別に作成。加工札は油練りの試作後に作る。ここまでは、よろしいですか」
村長が頷く。
メルカ婆は鼻を鳴らした。
リナ殿は黙っている。
反対ではない。
ただ、まだ見ている。
そういう沈黙だった。
「次に、ラッケ草の納入についてです」
その言葉を出した瞬間、空気が変わった。
やはり、ここだ。
避けては通れない。
ラッケ村のラッケ草は、薬草庫に必要だ。
冬の間に減った凍傷用の薬を補うには、採取量を確保しなければならない。
でも、ここで命じれば、これまでと同じになる。
草を禁じた城館が、今度は草を出せと言う。
それでは、また奪うことになる。
「先に申し上げます」
私は言った。
「ラッケ草の採取を、共同備蓄返済の強制労役にはしません」
村長が目を上げた。
ユリスも、少しだけ私を見た。
これは、昨日の時点では決めていなかったことだ。
けれど、リナ殿の話を聞いた後では、そうするしかないと思った。
「強制労役にはしない?」
村長が確認する。
「はい」
「では、返済は」
「別に協議します。薪割り、道普請、倉庫修繕など、他の労役で調整できます」
「薬草採取は、返済に入らないと?」
「少なくとも、今年のラッケ草については入れません」
メルカ婆が目を細めた。
「なぜだい」
「今年、城館が欲しいと言った瞬間に、村は断りにくくなります。三年前に禁じ、二年前に戻りきれず、今になって必要だから採れと言う。それを返済労役に組み込めば、村の知識も、ニナのことも、まとめて借りの返済にされてしまう」
私は、リナ殿を見ないようにして言った。
見れば、彼女に答えを求めているようになる。
これは私が決めるべきことだ。
「ラッケ草は、薬草庫が買い取ります」
ユリスの指が紙の上で止まった。
「買い取り、ですか」
「はい。城館の薬草庫に納める薬草として、対価を支払います」
「女伯様、予算が」
「分かっています」
分かっている。
分かっているが、ここをただの返済労役にしてはいけない。
薬草は草だけではない。
山へ入る足。
見分ける目。
乾かす手。
その全部に価値がある。
「薬草そのものの代金と、採取指導の対価を分けます」
私は言った。
「採取したラッケ草には買い取り代金を。村用札と薬草庫帳簿の整備に協力したメルカ殿および採取人には、指導料を支払います」
広間が静かになった。
メルカ婆が、私をじっと見る。
「わしに金を払うと?」
「はい」
「口止め料かい」
「違います」
「慰めかい」
「違います」
「なら何の金だい」
「技術への対価です」
メルカ婆の目が、さらに細くなった。
「ラッケ草をいつ採るか。どれを残すか。どう干すか。城館の薬草庫だけでは分からなかったことです。昨日、山で札を試したことも含めて、村の知識がなければ整えられませんでした」
私は言葉を切った。
「だから、対価を払います」
「山の知識に、値段をつけるのかい」
その声には、怒りだけではなく、戸惑いもあった。
「値段をつけきれるとは思っていません」
私は答えた。
「でも、無償で受け取れば、奪うことになります」
リナ殿が、初めて顔を上げた。
私は続ける。
「城館が必要としているのは、草だけではありません。見分け方、乾かし方、使い方。それを教えてもらうなら、労働として扱います」
「労働」
リナ殿が小さく繰り返した。
「はい」
「母が、今まで村でしてきたことも?」
「少なくとも、今後城館が使うものについては」
リナ殿は、黙った。
膝の上の手が、少しだけ動いた。
メルカ婆は、まだ私を見ている。
「女伯様」
村長が口を開いた。
「ありがたい話ではあります。ですが、城館の買い取りとなれば、他の村との釣り合いが」
「そこも整理します」
ユリスがすぐに紙を取った。
もう半分、仕事の顔になっている。
「ラッケ草については、今年は試験運用とします。数量を限定し、採取地を荒らさないことを条件にする。買い取りは薬草庫予算から。共同備蓄返済とは分ける」
「数量限定」
セリアが頷いた。
「必要です。採りすぎれば来年減ります」
「数量は」
私が尋ねると、セリアとメルカ婆が同時に口を開いた。
「薬草庫としては」
「山としては」
二人は互いを見た。
少しだけ、空気が止まる。
「先に言いな、薬草庫の女」
「では」
セリアは遠慮しなかった。
「薬草庫として最低限必要なのは、乾燥葉で中袋十。余裕を見れば十五。ただし品質が揃わなければ使えません」
「山としては、今年は十が限度だね」
メルカ婆が言った。
「十五採れば、来年薄くなる」
「では十で」
私は即座に言った。
セリアがわずかに眉を動かす。
足りない、と言いたいのだろう。
でも、言わなかった。
メルカ婆は私を見た。
「薬草庫は困るんじゃないのかい」
「困ります」
私は正直に言った。
「ですが、今年十五採って来年なくなれば、もっと困ります」
「ふん」
メルカ婆は鼻を鳴らした。
「少しは山の話を聞く耳があるようだね」
かなり大きな前進では。
いや、浮かれるな。
まだ油断してはいけない。
「不足分は、薬草庫で他の薬草との配合を見直します」
セリアが言った。
「凍傷用としての効きは落ちますが、使用箇所を分ければ対応できます」
「その場合、優先順位をつける必要がありますね」
ユリスが書き込む。
「巡回兵、木こり、猟師、子供のひび割れ」
「子供用は薄める必要がある」
メルカ婆が言った。
「強いのを塗るな」
「記録します」
セリアがすぐに答える。
さっきまで対立していた二人が、薬草の話になるときちんと噛み合う。
私は、そのやり取りを見ながら、少しだけ息を吐いた。
草を出せ。
命令に従え。
そう言うだけなら、ずっと簡単だった。
でも、それでは何も戻らない。
いや、戻らないどころか、また壊す。
だから、時間をかける。
数量を削る。
予算を組み直す。
面倒な表を増やす。
地味で、ややこしくて、派手さの欠片もない。
けれど、たぶん、これが統治なのだ。
「指導料については」
ユリスが恐る恐る言った。
「額をどうしますか」
来た。
そこが一番難しい。
高すぎれば他村との均衡が崩れる。
低すぎれば、ただの名目になる。
私は少し考えた。
「城館へ来て指導する場合の日当と、山へ入る危険手当を分けましょう」
「危険手当」
「山へ入る以上、危険があります。採取人にだけ負わせるべきではありません」
「なるほど」
ユリスは書き込む。
「日当は通常労役と同額。危険手当は山道巡回補助と同額。薬草そのものは品質別に買い取り」
「品質別?」
若い採取人が反応した。
「白毛が残っているもの、乾燥具合がよいもの、使えないものを分けます」
セリアが答える。
「使えないものは買い取りません」
「厳しいな」
「薬にできないものを買えば、次に人が困ります」
若い採取人は黙った。
メルカ婆は満足そうではないが、反対もしない。
「ただし」
私は言った。
「初回は、使えないものも記録します。なぜ使えないのかを確認するために。買い取りはしませんが、持ち込んだ者を罰することもしません」
若い採取人が、少しだけほっとした顔をした。
失敗したら罰。
そう思えば、若い者は隠す。
隠せば、また危険が残る。
なら、最初は失敗を記録に入れる方がいい。
「女伯様」
リナ殿が静かに言った。
「一つ、よろしいですか」
「はい」
「そのお金は、母だけに渡さないでください」
メルカ婆が少し顔を動かした。
「リナ」
「母だけが受け取れば、また村の目が母に集まります」
リナ殿の声は低い。
「三年前の時もそうでした。紙が来て、皆が母を見た。今度は金が来て、また皆が母を見る。それは嫌です」
私は息を止めた。
そこまで考えていなかった。
まただ。
私はすぐ、個人に返そうとする。
でも、村の中では、それが別の視線を生む。
「では、どうすればよいと思いますか」
私が聞くと、リナ殿は少し驚いたように私を見た。
「私に聞くのですか」
「はい」
「分かりません」
「では、一緒に考えます」
リナ殿は少しだけ視線を落とした。
メルカ婆は何も言わない。
村長が、ゆっくり口を開いた。
「採取人組として受ける形なら、角は立ちにくいでしょう」
「採取人組」
「ラッケ村では、山へ入る者たちの寄り合いがあります。正式な組ではありませんが、誰がどの斜面へ入るかを決めています」
「それを、正式に記録しましょう」
ユリスが言った。
「ラッケ草採取組として、今年限りの登録。代表はメルカ殿。ただし、指導料の一部は組へ。一部は実際に山へ入った者へ。村用札の確認に関わった者も記録する」
「今年限り?」
村長が聞く。
「はい」
私は答えた。
「今年は試験運用です。うまくいけば、来年改めて正式化します。うまくいかなければ、直します」
「直す」
リナ殿が小さく言った。
「命令ではなく?」
「命令も必要な時はあります」
私は正直に言った。
「ですが、今回については、最初から直せる形にします」
リナ殿は、少しだけ黙った。
「母が怒ったら?」
「聞きます」
「村が文句を言ったら?」
「内容によります」
「全部聞くとは言わないのですね」
「言えば、嘘になります」
リナ殿は、ほんの少しだけ口元を動かした。
昨日と同じ。
笑いではない。
でも、怒りだけではない表情。
「少しはましです」
またそれだ。
でも、今はその言葉がありがたかった。
広間で決まったことは、すぐに記録された。
今年のラッケ草納入は試験運用。
採取量は乾燥葉で中袋十まで。
採取人組を臨時登録。
採取指導と山入りには対価を支払う。
薬草買い取りは品質別。
使えない草は初回のみ罰せず、理由を記録する。
村用札はメルカ婆と採取人が確認。
城館で勝手に改変しない。
共同備蓄返済とは分ける。
書き上げてみると、ただの薬草一つにずいぶん多くの条件がついた。
面倒だ。
でも、面倒でいい。
面倒なところを省いたから、前は傷になったのだ。
「女伯様」
メルカ婆が言った。
「はい」
「今年は十だ」
「はい」
「来年、薬草庫が困っても、山が薄ければ増やさない」
「その時は、また確認します」
「確認じゃない。山を見るんだ」
私は頷いた。
「山を見ます」
「自分で登れないなら、登れる者の目を借りな」
「はい」
メルカ婆は採取札を指で叩いた。
「この札が使えるなら、若い衆にも山の見方を教えられる。だが、札だけで山を分かった気になるな」
「分かりました」
「本当に分かったのかい」
「たぶん、まだ分かっていません」
メルカ婆は鼻を鳴らした。
「ならいい」
それでいいのか。
いや、たぶん、分かったふりをしないことが大事なのだろう。
その日の午後、私たちは村を離れる準備を始めた。
すぐに薬草を積んで帰るわけではない。
採取は、村側が天候と山の状態を見て決める。
城館は日を指定しない。
まず、修正した採取札を村に残す。
薬草庫用帳簿は、城館へ戻ってからセリアが整える。
買い取り価格と指導料は、ユリスが予算表を引き直す。
私の仕事は、戻ってからまだ山ほどある。
でも、不思議と嫌ではなかった。
ややこしい。
面倒くさい。
でも、前に進んでいる。
村を出る前、リナ殿が私の前に来た。
「女伯様」
「はい」
「母は、たぶん張り切ります」
「そうなのですか」
「はい。山のことになると、怒っている時よりよく喋ります」
それは、昨日から少し分かっている。
「無理はさせないようにします」
「無理を止めても、聞かないと思います」
「では、セリアに止めてもらいます」
リナ殿は少しだけ考え、それから言った。
「止められるでしょうか」
「薬草に関しては、あの人も譲りません」
「なら、少し安心です」
小さな言葉だった。
少し安心。
少しはまし。
この村で得られる言葉は、どれも少しずつだ。
でも、その少しが、今は重い。
「リナ殿」
私は言った。
「ニナのことは、業務記録には書きませんでした」
リナ殿の目が、こちらを見る。
「ですが、忘れません」
「……そうですか」
「はい」
「忘れたら、怒ります」
「はい」
「覚えているふりをしても、怒ります」
「はい」
「母の前で、簡単にニナの話をしないでください」
「分かりました」
リナ殿は頷かなかった。
でも、深く礼をした。
昨日より、少しだけ浅い礼だった。
形式としては、昨日の方が正しい。
けれど、今日の礼の方が、ずっと人らしく見えた。
橇馬車が動き出す。
村の人々は、やはり大きく手を振ったりはしなかった。
ただ、見る。
その中に、若い採取人の一人がいた。
彼は、修正した採取札を手にしている。
止まる手の絵が大きく描き直された札。
根を残す絵。
煙三本。
その札は、まだ不格好だ。
でも、山へ戻るためのものだ。
草を奪うためではなく。
草の扱いを、村の手に戻すためのもの。
山道に入ると、ラッケ村はすぐに木々の向こうへ隠れた。
私は橇馬車の小さな窓から、白い斜面を見ていた。
冬は遠くなる。
ガルドの言葉を思い出す。
距離だけなら、そこまでではない。
けれど、冬は遠くなる。
人の心も、たぶん同じだ。
たった一枚の命令書で遠くなることがある。
一度訪れても、戻りきれなければ遠いままになることがある。
では、近づくにはどうすればいいのか。
きっと、一度では足りない。
話を聞き。
札を直し。
値段をつけきれないものに、それでも対価を払い。
記録しないものを、胸に置く。
そういう小さなことを、何度も重ねるしかない。
城館へ戻った夜、私は私的業務記録を開いた。
ラッケ草試験運用。
乾燥葉、中袋十まで。
共同備蓄返済とは分ける。
採取人組を臨時登録。
採取指導と山入りには対価を支払う。
村用札は村側確認なしに改変しない。
今年は、山を見て決めること。
そこまで書いて、私はペンを止めた。
最後に、一行だけ追記する。
知識を受け取る時、対価を払わなければ、奪ったことになる。
書いた文字を、しばらく見つめた。
お金で全てが済むわけではない。
値段をつければ、傷が消えるわけでもない。
でも、何も払わずに受け取れば、また奪う。
ラッケ草は、薬草庫へ戻る。
けれど、それは城館が村から取り上げるという意味ではない。
そうならないように、これからも直し続けなければならない。
札を。
帳簿を。
命令を。
そして、私自身を。
窓の外には、城館の灯りがあった。
王都の灯りではない。
ラッケ村の炉の火でもない。
その間にある、小さな灯り。
私はその灯りの下で、もう一度だけ記録を見た。
中袋十。
採取人組。
対価。
村側確認。
どれも地味な言葉ばかりだ。
けれど、そこに人の手が戻り始めている。
それなら、今はそれでいい。
冷血伯と呼ばれた名前が、すぐに変わるわけではない。
でも、ラッケ村には、今日、少しだけ別の言葉が残った。
草を奪いに来たのではない。
値段を払いに来た。
それが正しい評価になるかどうかは、まだ分からない。
けれど、少なくとも、次に村へ行く理由はできた。
命令ではなく。
確認のために。
山を見るために。




