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断罪後の悪役令嬢も、私は推している  作者: Manabit
第四章 雪解け前の名前

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第24話 山の言葉を聞く

 翌朝、ラッケ村は白い息の中にあった。


 夜の冷えで雪は硬く締まり、村長宅の戸を開けると、外の空気が頬を刺した。


 煙突から上がる煙は細く、真っ直ぐではない。


 山から吹き下ろす風に押されて、少し斜めに流れている。


 村の朝は、城館より早い。


 井戸の周りにはもう人影があり、家畜小屋の前では若い男が凍った桶を割っていた。


 私が外へ出ると、何人かがこちらを見た。


 昨日と同じ視線。


 警戒。


 沈黙。


 ただ、その中にほんの少しだけ違うものが混じっていた。


 私たちが持ってきた薪は、昨夜メルカ婆の家で火になった。


 それが弔いになったかは分からない。


 でも、湿った薪ではなかった。


 それだけは、村の中で伝わったのかもしれない。


「女伯様」


 セリアが厚手の外套を着込み、薬草箱を抱えて現れた。


 今日は、昨日よりもさらに顔が厳しい。


 いや、いつも厳しいけれど、薬草の話を聞く日の厳しさは格が違う。


「用意は」


「できています」


 セリアは短く答えた。


 薬草箱の中には、薬草庫で使っているラッケ草の油練り、乾燥葉、記録用の紙、細い木札、そして小さな壺が入っている。


 ユリスも同行している。


 本来なら城館で記録を整理する側だが、今回は現地で聞いた言葉を逃さないために連れてきた。


 彼は昨夜から少し緊張している。


 山の薬草と村の怒りを同時に相手にするのだから、無理もない。


「記録は、私とセリア殿で分けます」


 ユリスが言った。


「私は聞き取り内容と発言者を。セリア殿は薬草の扱いを」


「お願いします」


「ただ」


 ユリスは少し言いにくそうに続けた。


「村の言葉を、どこまでそのまま残すべきか」


「意味を変えない範囲で、できるだけそのまま」


 私は答えた。


「こちらの言葉に直しすぎると、また山の言葉が消えます」


 ユリスは静かに頷いた。


「承知しました」


 メルカ婆の家へ向かうと、戸は開いていた。


 招かれている、というほど柔らかいものではない。


 ただ、閉め出されてはいない。


 それだけだった。


「遅い」


 中から声がした。


 まだ約束の時刻より前である。


 けれど、そこを言い返すほど私は愚かではない。


「お待たせしました」


 そう答えて入ると、メルカ婆は炉のそばに座っていた。


 昨日と同じ椅子。


 同じ白髪。


 同じ鋭い目。


 ただ、炉の火は昨日より少し強かった。


 私たちが持ってきた薪の一部が、脇に置かれている。


 割られた断面は乾いていた。


「乾いていた」


 メルカ婆が言った。


「はい」


「そこだけは褒めてやる」


「ありがとうございます」


「勘違いするんじゃないよ」


「しません」


 セリアが薬草箱を置いた。


 メルカ婆の目が、すぐに箱へ向かう。


 薬草を扱う者の目だ。


 怒りだけでなく、知識を見る目。


 それを見て、私は少しだけ息を整えた。


「今日は、ラッケ草の外用法について聞きに来ました」


「聞いてどうする」


「薬草庫の正式記録に入れます」


「紙の中に閉じ込めるんじゃないだろうね」


「使うために残します」


 私が答えると、メルカ婆は鼻を鳴らした。


「なら、まず城館のやり方を見せな」


 セリアが無言で壺を開けた。


 中には、ラッケ草を油で練った軟膏が入っている。


 濃い緑と灰色の間のような色で、少し苦い匂いがした。


 メルカ婆はそれを指先にほんの少し取り、鼻先へ近づけた。


 匂いを嗅ぐ。


 指の腹で伸ばす。


 爪の端に薄くつけて、光へ透かす。


 その動きは、年老いた人のものではなかった。


 迷いがない。


「悪くない」


 メルカ婆は言った。


 セリアの眉が、かすかに動いた。


「ただ、硬い」


「硬い?」


「冬の巡回兵にはよかろうよ。男の手は厚い。だが、子供のひび割れには強すぎる。産後の女の手にもね」


「産後の女には内服禁止ですが、外用は」


「手に塗るくらいなら使える。ただし薄く。火のそばで温めすぎた油は駄目だ」


 セリアがすぐに書き始めた。


 ユリスも手を動かす。


 メルカ婆はそれを横目で見て、ふんと鼻を鳴らした。


「書くのが早いね」


「逃すと困りますので」


 セリアが答える。


「間違えたら?」


「確認します」


「ならいい」


 短いやり取りだった。


 けれど、昨日より少しだけ会話になっている。


「ラッケ草は」


 メルカ婆は、壁に吊るされた草束を一本取った。


 乾いた葉は、細長く、裏側に白い毛がある。


「雪が緩み始める前に見る。早すぎれば痩せている。遅すぎれば水を吸いすぎる」


「採取時期は、雪解け直前」


 セリアが言うと、メルカ婆が鋭く見た。


「直前、なんて言葉じゃ足りない。朝に踏んだ雪が昼に少しだけ沈む頃だ。夜にまた締まるうちは、まだいい。昼も夜も沈むようになったら遅い」


 セリアの手が止まった。


 私もユリスも、少し黙った。


 雪解け直前。


 それでは足りない。


 山の言葉は、もっと具体的だった。


 朝に踏んだ雪。


 昼に沈む雪。


 夜に締まる雪。


 その違いを知っている人だけが、採る時期を見極める。


「……記録します」


 セリアが言った。


「採取時期。朝に踏んだ雪が、昼に指一本分沈む頃。夜に再び締まるうち」


「指一本とは誰の指だい」


 メルカ婆が言う。


 セリアは一瞬だけ黙った。


「……成人の親指幅で確認します」


「ならよし」


 強い。


 メルカ婆も、セリアも、薬草の前では妥協しない。


 私はそのやり取りを見ながら、胸の奥に小さな痛みを感じていた。


 これだ。


 これが、二年前に記録へ戻せなかったものだ。


 ただの迷信ではない。


 数字だけでもない。


 山の雪と、指の幅と、匂いと、油の硬さ。


 そういうものが、ラッケ草の知識だった。


「乾燥は」


 セリアが尋ねる。


「炉の上は駄目だ」


「早く乾きますが」


「早く乾くから駄目なんだよ。葉が割れる。裏の白い毛が落ちたら効きが落ちる」


「吊るす場所は」


「煙が少し当たるところ。だが燻しすぎるな。肉じゃない」


 ユリスが、真面目な顔で「肉ではない」と書きかけた。


 私は慌てて小さく首を横に振った。


 そこは書かなくていい。


 いや、意味としては大事なのかもしれないけれど、正式記録に「肉ではない」は少し強い。


 ユリスは咳払いをして、書き直した。


 こうして聞いていくと、ラッケ草の扱いは思ったより細かかった。


 葉は摘む時に根を抜かない。


 根を抜くと翌年減る。


 乾いた葉は、油に入れる前に手で揉みすぎない。


 粉にすると強く出すぎる。


 油は獣脂だけでは重く、植物油だけでは弱い。


 混ぜる。


 冬用と春先用で、油の割合を変える。


 傷が開いて血が出ているところには塗らない。


 黒く変色した凍傷にも塗らない。


 その場合は、薬草庫か施療院へ送る。


 私は、途中から何度も息を呑んだ。


 これは、単なる村の言い伝えではない。


 長い冬の中で、失敗しながら残った技術だ。


 もちろん、危険もある。


 メルカ婆たちは、内服の危険を十分に分けられていなかった。


 助かった例があるから、使ってしまった。


 その結果、ニナは死んだ。


 でも、だからといって、ラッケ村の知識すべてを危険物として扱うのは違う。


 そこを、エレノア様は二年前に戻しきれなかった。


 そして今、私たちは聞いている。


「内服について」


 セリアが言った時、部屋の空気が変わった。


 メルカ婆の顔から、わずかに表情が消える。


「飲ませるなと言いたいんだろう」


「はい」


 セリアは逃げなかった。


「ラッケ草の内服は、今後も禁止です」


「分かっている」


 メルカ婆の声が低くなった。


「耳にたこができるほど聞いた」


「記録に理由を残します」


 セリアが言った。


「ただ禁じるのではなく、なぜ禁じるのかを」


 メルカ婆は黙った。


「熱が下がったように見えることがあります。汗をかく。体が冷える。ですが、それは治ったのではありません。弱った者には危険です」


「……ニナは」


 メルカ婆が小さく言った。


「汗をかいた」


 誰も動かなかった。


「熱が下がったと思った。手も少し冷たくなって、息も静かになった。楽になったんだと思った」


 メルカ婆の手が、膝の布を掴む。


「違った」


 その声は、昨日よりも小さかった。


 私は口を開きかけて、閉じた。


 ここで、そうです、とは言えない。


 違います、とも言えない。


 慰めも、説明も、まだ早い。


 セリアが静かに言った。


「その記録も、残します」


 メルカ婆が顔を上げる。


「何を」


「汗をかき、手足が冷え、呼吸が静かになった時、それを回復と誤らないこと。危険な兆候として記録します」


 メルカ婆は、しばらく何も言わなかった。


 やがて、しわだらけの指で炉の縁を叩いた。


「……それなら、書け」


 ユリスのペンが動く。


 私はその音を聞いていた。


 紙に閉じ込めるのではない。


 次に同じ間違いをしないために書く。


 その違いは、たぶん細い。


 けれど、確かにある。


「女伯様」


 それまで私にはほとんど目を向けていなかったメルカ婆が、不意に呼んだ。


「はい」


「あんたは、今もラッケ草を飲ませるなと言うんだね」


「はい」


「ニナが死んだからかい」


「ニナの死も、理由の一つです」


「他には」


「次に誰かを死なせないためです」


 メルカ婆の目が鋭くなる。


 私は続けた。


「でも、それだけでは足りませんでした。飲ませるな、とだけ言えば、あなた方の知識も誇りも、危険なものとして切り捨てたように聞こえる。実際、そう聞こえた」


「そうだよ」


「だから、外に塗る使い方を記録します。あなたの言葉で。薬草庫の確認と合わせて」


「わしの言葉で?」


「はい」


「城館の言葉に直すんじゃなく?」


 私は少し考えた。


「両方残します」


 メルカ婆が眉を上げた。


「村で使うための言葉と、薬草庫で照合するための言葉。片方だけでは、また伝わりません」


 セリアがこちらを見た。


 反対するかと思った。


 けれど、セリアは静かに頷いた。


「必要です。村用の札と、薬草庫用の帳簿は分けるべきです」


「また札か」


 私は内心で少しだけ笑いそうになった。


 灰麦粥用粉でも、薬草袋でも、結局そこに戻る。


 分かる形にする。


 使う人に届く形にする。


 文字を読める人だけで作らない。


 今度は、山の言葉と城館の言葉を混ぜずに残す。


「メルカ殿」


 私は言った。


「村用の札を作る時、あなたに確認してもらえますか」


「命令かい」


「お願いです」


「女伯がお願いねえ」


「命令にしたくありません」


 メルカ婆は、しばらく私を見た。


「……見てやるだけだ」


「ありがとうございます」


「直すかどうかは、見てから決める」


「はい」


「気に入らなければ破る」


「できれば、破る前に理由を教えてください」


 セリアが小さく咳をした。


 笑いを堪えたのかもしれない。


 いや、まさか。


 セリアに限って。


 でも、少しだけ部屋の空気が緩んだ。


 完全な和解ではない。


 許しでもない。


 ただ、作業が始まった。


 それだけで、昨日よりは進んでいる。


 聞き取りは昼過ぎまで続いた。


 途中、メルカ婆の娘らしい女性が薄い粥を運んできた。


 私を見る目は硬かったが、椀は人数分あった。


 セリアは粥の中身を一瞬確認し、メルカ婆に睨まれた。


「毒は入ってないよ」


「薬草が入っていないか見ただけです」


「同じことだ」


「違います」


 この二人、相性が悪いのか良いのか分からない。


 けれど、薬草の話になると噛み合う。


 そこは確かだった。


 午後になり、私たちは一度村長宅へ戻った。


 ユリスの手はインクで少し汚れている。


 セリアは薬草箱の中に、メルカ婆から預かった乾燥葉を慎重にしまっていた。


「どう見ますか」


 私はセリアに聞いた。


「ラッケ草の外用法は、記録に入れる価値があります」


 セリアはすぐ答えた。


「ただし、メルカ婆の言葉をそのまま運用するのは危険です。村で分かる言葉と、薬草庫で確認できる基準を照合する必要があります」


「内服禁止は」


「継続です」


「はい」


「ただし、理由の記載を改めます。汗をかくこと、手足が冷えること、呼吸が静かになることを、回復ではなく危険の兆候として明記します」


 私は頷いた。


「ユリス」


「はい」


「村用の札と、薬草庫用の帳簿を分けましょう。村用は、メルカ婆の言葉を残す。薬草庫用は、セリアの確認基準を入れる」


「承知しました」


「それから、ラッケ草を返済労役に入れる話は、まだ出しません」


 ユリスが顔を上げる。


「まだですか」


「まだです」


 私は言った。


「今日、知識を聞いたばかりです。すぐに採取量の話をすれば、やっぱり取りに来ただけだと思われます」


「では、いつ」


「外用法の草案を作り、メルカ婆に確認してもらってからです。その上で、村側から納入可能な範囲を聞く」


「命令ではなく」


「協議として」


 ユリスは少し考え込んだ。


「返済案全体の調整が必要になります」


「必要なら調整します」


「はい」


 その返事には、以前ほどの戸惑いはなかった。


 ユリスも分かってきている。


 表は現実を押し込むためのものではない。


 現実に合わせて、直すためのものだ。


 その夜、村長宅の一室で、私は私的業務記録を開いた。


 ラッケ草聞き取り一日目。


 メルカより、外用法の詳細を聴取。


 採取時期。


 朝に踏んだ雪が昼に沈み、夜に再び締まる頃。


 乾燥。


 炉上不可。煙は少量。裏の白毛を落とさないこと。


 油練り。


 冬用、春先用で比率を変える必要あり。


 禁忌。


 開いた傷、黒変した凍傷、深い裂傷には使用不可。薬草庫または施療院へ送る。


 内服。


 禁止継続。


 汗、手足の冷え、呼吸低下を回復と誤らないこと。


 村用札と薬草庫用帳簿を分ける。


 メルカ確認後、運用案作成。


 返済労役への組み込みは保留。


 そこまで書いて、私はペンを止めた。


 そして、最後に一行を加えた。


 山の言葉を、城館の言葉で潰さないこと。


 書いた後、しばらくその一行を見つめた。


 王都では、善意が白い言葉にまとめられた。


 ここでは、山の知識が危険という言葉にまとめられかけていた。


 まとめることは、時に便利だ。


 でも、便利な言葉は、手触りを消す。


 灰麦の粉も。


 薪の乾きも。


 ラッケ草の裏の白い毛も。


 そこに残っている人の手を、消してしまう。


 明日、草案を作る。


 それをメルカ婆に見せる。


 破られるかもしれない。


 怒鳴られるかもしれない。


 それでも、今日よりは少し進んだ。


 許しではない。


 和解でもない。


 ただ、山の言葉を一つ、聞いた。


 それだけでも、止まっていた話は動き始めている。


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