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断罪後の悪役令嬢も、私は推している  作者: Manabit
第三章 王都に残された空席

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第16話 食べ方まで届けなければ

 北雪の灰麦菓子は、王都へ届いた。


 ロイ・ベルナーからの報告では、販売用の第二便も悪くない動きをしているらしい。


 劇場帰りの客が冬葡萄酒と一緒につまむ。


 酒場の主人が「甘くないのがよい」と追加を求める。


 硬いと文句を言いながら、もう一欠片取る客がいる。


 そういう、小さな声が書き添えられていた。


 私はその報告を読んで、少しだけほっとした。


 王都にも、噛んでくれる人はいる。


 噂だけではなく、味として受け取ってくれる人もいる。


 そう思えたからだ。


 だが、同じ日に届いた別の報告は、もう少し重かった。


 聖女リリアナ慈善基金を通じて、救貧院と孤児院へ配布された灰麦菓子についての確認書。


 封蝋は白百合ではなく、慈善基金の事務印だった。


 中身は礼状ではない。


 実務報告だった。


 私はその時点で、少し姿勢を正した。


 綺麗な礼状より、実務報告の方が重要なことは多い。


「読み上げます」


 ユリスが文書を手に取った。


「王都東区救貧院より。北雪の灰麦菓子、保存性良好。成人および年長児にはそのまま配布可能。幼児および病人には、粥へ砕き入れる方法を試行」


 よかった。


 まずは、そこまで思った。


 だが、ユリスの声は少しだけ硬くなった。


「ただし、粥へ用いるには、砕く手間と加熱時間が想定より多い。燃料の少ない施設では、通常の粥炊きに加えて扱うことが難しい場合あり」


 私は息を止めた。


 燃料。


 また、そこへ戻る。


 灰麦菓子を送った。


 食べられるものを送った。


 飾りではなく、食料として届いた。


 それで終わりではなかった。


 食べるためには、砕く手がいる。


 粥に入れるなら、火がいる。


 鍋がいる。


 水がいる。


 燃料がいる。


 王都の救貧院にも、薪は無限にあるわけではない。


「南区孤児院からは?」


 私が聞くと、ユリスは次の紙へ目を落とした。


「同様です。年長児には好評。ただし、小児には硬い。砕けば食べられるが、厨房人員が足りず、配布時に一人ずつ砕くことは難しい、と」


「施療院は」


「病人向けには、そのままでは不可。粉状にして粥へ混ぜるなら使用可。ただし、現在の形では砕く際に欠片が飛び、手間がかかるとのことです」


 私は机の上に置かれた小袋を見る。


 北雪の灰麦菓子。


 配布用。


 薄く、砕きやすくしたつもりだった。


 酒粕も減らした。


 蜂蜜も少し増やした。


 干し豆も細かくした。


 それでも、足りなかった。


 私は唇を結んだ。


 まただ。


 こちらで良いと思ったものが、現場では別の手間になる。


 善意は、形にしただけでは届かない。


 使い方まで届かなければ、支援にならない。


「女伯様」


 ユリスが、不安そうに私を見た。


「王都側からは、追加希望も来ております。ですが、同時に、幼児・病人向けには改良が必要とのことです」


「当然です」


 私は言った。


 ユリスが少し目を見開く。


「当然、でございますか」


「ええ。使いにくいものを送ったのなら、直します」


 言いながら、胸の奥に小さな痛みがあった。


 悔しい。


 正直、悔しい。


 食べ物として受け取ってもらえたことが嬉しかった分、実際には使いづらかったという報告は刺さる。


 でも、そこで落ち込んで止まっている場合ではない。


 聖マルタ教会の粥鍋もそうだった。


 炊き出しを頼めば、教会の薪が減る。


 子供を預かれば、寝床と薬草が減る。


 祈りや善意の向こうには、必ず手間と燃料がある。


 王都でも同じだ。


「ハンナを呼んでください」


「はい」


「それから厨房に、灰麦菓子を粉状にした場合の保存性を確認させて。袋詰めで湿気を吸うかどうか。冬葡萄酒粕を減らした配布用で、粉にしても香りが保てるか」


「かしこまりました」


「ユリスは用途別表に、新しい欄を追加してください。対象年齢、調理方法、必要燃料、必要人員」


「必要燃料、ですか」


「はい。食料は、調理できなければ食料になりません」


 ユリスは一瞬黙り、それから強く頷いた。


「承知しました」


 その顔に、少しだけ悔しさが見えた。


 私と同じだ。


 たぶんユリスも、送れば終わると思いたかったのだ。


 でも違った。


 届いた先で使われて、初めて意味がある。


 午後、ハンナは粉まみれの前掛けのまま城館へ来た。


「女伯様、王都から文句が来たんですって?」


「文句ではありません。実務報告です」


「似たようなもんですよ」


 ハンナは遠慮がない。


 だが、この遠慮のなさが助かる。


 彼女は配布用の灰麦菓子を手に取り、指で割った。


 ぱき、と乾いた音がする。


「年長の子ならいいです。けど小さい子や病人には、まだ硬い」


「粉にできますか」


「できます。ただ、最初から粉にするなら菓子というより、灰麦粥の素ですね」


「灰麦粥の素」


 現代日本人的には、かなり分かりやすい。


 インスタント粥、とはいかないけれど、砕く手間をこちらで済ませておくわけだ。


「焼いてから砕くのと、粉のまま乾かすのでは違いますか」


「違います。焼いてから砕いた方が香りはいい。ただ、粉が荒いと小さい子には残る。細かくしすぎると湿気やすい」


「湿気対策は」


「袋を二重にする。あるいは小分け」


「費用が増えますね」


「増えます」


 ハンナはきっぱり言った。


「でも、使う側は楽になります。鍋に入れて少し煮ればいい。硬い欠片を砕く手間はなくなる」


「燃料は」


「普通の灰麦を煮るより短くて済むはずです。先に焼いてありますから」


 それは大きい。


 王都の救貧院で燃料が足りないなら、煮る時間を減らせるだけでも意味がある。


「試作をお願いします。名前は」


「またそのままにします?」


「はい。北雪の灰麦粥用粉」


 ハンナが吹き出した。


「女伯様、名前を飾る気がないですね」


「ありません」


「王都の人は嫌がりませんか」


「嫌がる人には、白い菓子を食べてもらいましょう」


 言ってから、少しだけ我ながら雑だと思った。


 でも本音だった。


 これは見栄えのための品ではない。


 食べるための品だ。


 名前は、使い方が分かる方がいい。


「添え文は必要ですね」


 ハンナが言った。


「鍋一つに、この粉をどれだけ入れるか。何分煮るか。水が少ない時はどうするか。豆や塩を足すならどのくらいか」


「作れますか」


「女伯様、あたしは字がうまくありません」


「内容を教えてください。ユリスが書きます」


 ユリスが少し背筋を伸ばした。


「分かりやすく書きます」


「絵も必要かもしれません」


 私が言うと、二人がこちらを見た。


「絵、ですか」


「鍋の絵。粉袋の絵。水の線。煮る時間」


 現代の説明書の感覚だ。


 文字が読めない人でも、ある程度分かるようにする。


 この世界でどこまで通用するかは分からない。


 でも、救貧院や孤児院の厨房で、忙しい人が使うなら、文字だけより絵があった方がいい。


「王都の厨房係が読めないとは限りませんが、忙しい時は絵がある方が早いです」


 私は言った。


「間違えると、薄すぎたり濃すぎたりします。子供や病人向けなら、扱い方を揃えたい」


 ユリスの目が少し輝いた。


「それは、領内配布にも使えます」


「ええ」


 私も頷く。


「聖マルタ教会や山間村向けにも応用できます。食材だけではなく、使い方を一緒に配る」


 食べ方まで届ける。


 これは、たぶん大事だ。


 現代日本なら、食品の裏に調理方法が書いてある。


 袋の開け方、温め方、保存方法、アレルギー表示。


 当たり前すぎて、意識したこともなかった。


 でも、この世界では、その当たり前が抜け落ちることがある。


 品物を送る。


 あとは現場で何とかして。


 それでは、現場の手間が増える。


 善意が、忙しい人の負担になる。


 私はそれを、もう何度も見ている。


「女伯様」


 ユリスが言った。


「用途別表に、使用方法欄を追加します。配布先ごとの調理条件も記録します」


「お願いします」


「それと、絵入りの使用札ですが、領内用と王都用で分けますか」


「分けましょう。王都用は丁寧な言葉で。領内用は、短く分かりやすく」


「はい」


 ハンナが腕を組んだまま、じっと私を見ていた。


「何か?」


「いや。女伯様が、粉の袋の絵まで気にするとは思わなかったもので」


「変ですか」


「変です」


 即答。


 最近、本当にみんな遠慮が減ってきた。


「でも、悪くありません」


 ハンナはそう付け足した。


「食べ物は、作って終わりじゃないです。食べる人の口に入るまでが仕事ですから」


 その言葉が、胸に残った。


 食べる人の口に入るまでが仕事。


 きっと、統治も同じだ。


 命令書を書いて終わりではない。


 物資を出して終わりではない。


 配った先で使われるまで、仕事は終わらない。


 夕方までに、試作品ができた。


 北雪の灰麦粥用粉。


 焼いた灰麦菓子を細かく砕き、粗い粉にしたもの。


 香りは販売用より弱いが、湯に入れるとふわりと甘い匂いが立つ。


 蜂蜜は控えめ。


 干し豆の粉が少し混ざっている。


 厨房で試すと、通常の灰麦粥より早くとろみが出た。


 味は、かなり素朴だ。


 美味しいかと言われると、すごく美味しいわけではない。


 でも、温かい。


 胃に落ちる。


 病人や小さな子にとっては、たぶんそれが大事だ。


「これで、王都へ確認を出しましょう」


 私は言った。


「試供分は少量。使い方の札を同封。救貧院、孤児院、施療院それぞれから使用後の報告をもらう」


「報告を求めるのですか」


 ユリスが聞く。


「はい。食べられたか。煮る時間は長すぎないか。子供が嫌がらないか。病人に重くないか。次を作るなら、直すところを知りたい」


「王都側が、細かすぎると感じるかもしれません」


「感じるでしょうね」


 私は少し笑った。


「でも、食べ物は口に入るまでが仕事です」


 ハンナが少しだけ得意そうな顔をした。


 言葉を採用されたからだろう。


 こういう顔を見るのは、悪くない。


 その夜、精神世界の扉の前で、私は灰麦粥用粉の話をした。


「王都から、灰麦菓子が使いづらいという報告が来ました」


「使いづらい?」


「小さな子や病人にはまだ硬いそうです。粥に入れるにも、砕く手間と燃料がかかると」


 扉の向こうは、しばらく静かだった。


「妥当な報告です」


「はい」


「落ち込みましたか」


「少し」


「でしょうね」


「そこまで読まれていますか」


「あなたは、善意が空回りすると落ち込みます」


 私は言葉に詰まった。


 エレノア様が、私のことをまた少し分かっている。


 嬉しい。


 でも、少し悔しい。


「落ち込んで終わりにはしませんでした」


「それは良いことです」


「灰麦菓子を粉にして、粥用にしました。煮る時間を短くして、砕く手間を減らします。使い方の札も作ります。文字だけでなく、絵も入れます」


「絵?」


 扉の向こうの声が、少しだけ怪訝になった。


「鍋の絵とか、水の線とか、粉袋とかです。忙しい厨房で、ぱっと見て分かるように」


「……変わった発想ですね」


「私のいた世界では、よくありました」


 言ってから、少しだけ息を止めた。


 私のいた世界。


 最近、こういう言い方をしても、エレノア様は前ほど驚かなくなった。


 扉の向こうで、紙が動く音がした。


「文字が読めぬ者にも伝わりやすい」


「はい。それに、読める人でも忙しいと間違えます」


「領内でも使えますね」


「ユリスもそう言っていました」


「聖マルタ教会、山間村、騎士団の温食にも応用可能です」


「はい」


「悪くありません」


 私は少しだけ胸を押さえた。


 悪くありません。


 いつもの言葉。


 でも、今日は違う響きに聞こえた。


「エレノア様」


「何ですか」


「使い方まで届けるのって、大事ですね」


「当然です」


「当然なんですね」


「品物を送るだけでは、支援とは言えません。届いた先で扱えなければ、ただの荷です」


 ただの荷。


 その言い方は冷たい。


 でも正しい。


「昔、王都でもそういうことがありましたか」


 私が聞くと、扉の向こうが少し静かになった。


「冬布の配布で」


 エレノア様は、ゆっくりと言った。


「冬布?」


「貧民区へ厚手の布を配る計画がありました。王太子殿下は良い案だと仰り、リリアナ様も賛同なさった」


「いい案に聞こえます」


「はい。ですが、切り分けと縫製の人手が足りませんでした。厚手の布は、そのまま渡されても小さな子には使いづらい。結局、教会の女たちが夜まで縫うことになった」


「その人たちの負担は」


「最初の計画には入っていませんでした」


 胸が重くなった。


 また同じだ。


 良いこと。


 優しい案。


 でも、使える形にする人の手間が抜けている。


「エレノア様は、止めたんですか」


「修正を求めました。布と一緒に縫製費を出すこと。孤児院ごとに必要寸法を確認すること。配布日を遅らせること」


「それで?」


「冷たいと言われました」


 その一言は、とても静かだった。


「急いで配れば寒い者が助かるのに、手続きを理由に遅らせるのか、と」


 私は何も言えなかった。


 エレノア様は、手続きのために止めたのではない。


 ちゃんと使えるようにするために止めた。


 でも、王都にはそう見えなかった。


 理想を遅らせる冷たい婚約者。


 きっと、そう見えた。


「結果は?」


「一部は予定通り配られました。縫製が追いつかず、布のまま積まれたものもありました。後日、追加費用が出ました」


「……それは」


「失敗ではありません。完全な成功でもありません」


 エレノア様は淡々と言った。


「王都では、よくあることです」


 よくあること。


 その言葉が重い。


「私は」


 エレノア様の声が、少しだけ低くなった。


「いつも、遅らせる側でした」


「使える形にしようとしていた側です」


「同じように見えるのです。外からは」


「でも、同じじゃありません」


「あなたはそう言うでしょうね」


「言います」


 扉の向こうで、小さく息を吐く音がした。


 困っているのか。


 呆れているのか。


 少しだけ、安心しているのか。


 まだ分からない。


「玲奈」


「はい」


「今回の灰麦粥用粉は、良い修正です」


 私は息を止めた。


「ただし、報告を集めるなら、質問項目を絞りなさい。多すぎると返ってきません」


「確かに」


「食べられたか。煮る時間。子供や病人の反応。追加希望の有無。まずはその四つで十分です」


「はい。そうします」


「燃料についても聞きたいでしょうが、最初から細かく聞くと嫌がられます」


「聞きたいです」


「でしょうね」


「読まれている」


「分かりやすいので」


 少し傷つく。


 でも、今のやり取りは嫌ではなかった。


「では、燃料は自由記入欄にします」


「よろしい」


 よろしい。


 今日はそれで満足だ。


 現実に戻った私は、私的業務記録を開いた。


 王都慈善基金配布品、使用報告。


 北雪の灰麦菓子、成人・年長児にはそのまま配布可。


 幼児・病人には硬い。


 粥に砕くには手間あり。


 燃料・厨房人員の少ない施設では扱いに難あり。


 対応。


 北雪の灰麦粥用粉を試作。


 焼成後に粗粉化。


 冬葡萄酒粕控えめ。


 蜂蜜わずかに増。


 干し豆粉砕。


 小分け袋。


 使用札を同封予定。


 絵入り。


 鍋、水量、粉量、煮る時間。


 王都向け報告項目。


 食べられたか。


 煮る時間。


 子供・病人の反応。


 追加希望の有無。


 燃料については自由記入。


 領内配布にも応用検討。


 そこまで書いて、私はペンを止めた。


 そして、一行加える。


 食べ方まで届けなければ、食料支援ではなく荷である。


 少し硬い。


 エレノア様っぽい。


 でも、今日の実感だった。


 荷物を送るだけなら、誰でもできる。


 いや、誰でもはできないけれど。


 でも、届いた先で使える形にするのは、もう一段階違う仕事だ。


 王都の救貧院で、厨房の誰かが袋を開ける。


 絵入りの札を見る。


 鍋に水を入れる。


 粉を入れる。


 短い時間で粥にする。


 子供が、それを食べる。


 そこまで想像して、ようやく支援になる。


 私は窓の外を見た。


 雪はまだ降っている。


 ヴァルツェンの冬は、王都の紙面よりずっと重い。


 でも、王都にも寒い部屋はある。


 なら、こちらで学んだことを、少しだけ返せるかもしれない。


 エレノア様。


 あなたが昔、冷たいと言われながら見ていたものを。


 今度は、私も一緒に見ます。


 品物の向こうにある、手間と火と、人の口に入るまでの道を。

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