表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪後の悪役令嬢も、私は推している  作者: Manabit
第三章 王都に残された空席

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/54

第15話 白百合の箱には灰麦が入っている

 王都式典局への返書を出してから、三日が過ぎた。


 返事はまだ来ない。


 来ないなら来ないで、こちらの仕事は進む。


 山間村への本隊輸送は、どうにか一便目を終えた。


 聖マルタ教会には薪と豆が届いた。


 第一区から受け入れた乾燥豆は、共同備蓄貸付として帳簿に記録された。


 北雪の灰麦菓子の第二便も、ロイ・ベルナーの商会を通じて王都へ向かった。


 灰麦粉。


 冬葡萄酒粕。


 蜂蜜をほんの少し。


 干し豆。


 塩。


 地味な材料で作られた小さな菓子が、雪の道を越えて王都へ行く。


 考えてみると、少し不思議だった。


 王都の劇場や酒場で、誰かがそれを噛む。


 硬いな、と文句を言うかもしれない。


 甘くないな、と笑うかもしれない。


 それでも、噛むほど香りが出ると思ってくれる人が、少しでもいればいい。


 そう思っていたところへ、また王都から文箱が届いた。


 今度は式典局ではなかった。


 聖女リリアナ慈善基金の封蝋。


 白百合を模した、繊細な印である。


 私はそれを見て、少しだけ姿勢を正した。


 王都からの文箱は、だいたい仕事を増やす。


 だが、この封蝋には、別の緊張があった。


 リリアナ妃殿下本人に届いたのだろうか。


 それとも、周囲の誰かが処理したのだろうか。


「開けて」


 私が言うと、ユリスが慎重に封を切った。


 中には、丁寧な礼状と、確認書が入っていた。


 礼状の筆跡は、整っているが少し柔らかい。


 公式文書の硬さとは違う。


 私はそれを読み始めて、思わず目を止めた。


 ヴァルツェン伯よりの北雪の灰麦菓子について、聖女リリアナ妃殿下より御礼申し上げる。


 冬支度の保存菓子としての意義を理解し、王都救貧院および孤児院への配布品として受領を希望する。


 礼拝堂装飾品ではなく、食料支援品として扱うこと。


 白百合意匠の包装は不要。


 私は、しばらく文面を見つめた。


 白百合意匠の包装は不要。


 そこを、何度も読んだ。


「女伯様?」


 ユリスが声をかける。


 私はゆっくり息を吐いた。


「受け取るそうです」


「灰麦菓子を、ですか」


「ええ。救貧院と孤児院への配布品として。装飾品ではなく、食料支援品として扱う、と」


 ユリスの表情が少し変わった。


 驚きと、安堵と、わずかな戸惑い。


 たぶん私も同じ顔をしている。


 リリアナ妃殿下本人に届いたのかもしれない。


 少なくとも、この文面は、飾るための言葉ではない。


 食べ物として受け取っている。


 困っている人へ渡すものとして見ている。


 私は胸の奥で、複雑なものがほどけるのを感じた。


 嬉しい。


 腹立たしい。


 ほっとした。


 悔しい。


 全部が混ざっていた。


 リリアナ妃殿下は、悪人ではない。


 それはエレノア様が言っていた。


 苦しむ者を見れば、手を差し伸べる方だと。


 今、その言葉が文面になって、ヴァルツェンへ戻ってきている。


 でも、それならなおさら思ってしまう。


 なぜ、あの時は。


 なぜ、エレノア様の言葉は届かなかったのか。


 私は喉元まで上がった問いを飲み込んだ。


 まだだ。


 まだ、その問いは早い。


「確認書は」


 私は言った。


 ユリスが別紙を読み上げる。


「配布先は王都東区救貧院、王都南区孤児院、教会施療院の三箇所。数量は少量でよい。ただし、日持ちする形で。酒粕を用いているため、幼児向けには薄い粥に砕いて使えるかの確認が入っています」


「砕いて粥に」


 私は少し考えた。


 北雪の灰麦菓子は硬い。


 そのままでは小さな子には向かない。


 でも、砕いて粥に入れるなら。


 灰麦の香りと、少しの蜂蜜。


 冬葡萄酒粕は加熱されているし、量も少ない。


 ただし、幼児向けならもっと酒粕を控えた別配合が必要だ。


「ハンナを呼んでください」


「はい」


「慈善基金向けに、酒粕を減らした配布用を作れるか確認します。小さな子にも食べやすいように、砕きやすい薄焼きに」


「通常品とは別扱いですね」


「ええ。販売品と慈善配布品を混ぜないでください。材料、数量、費用、用途を分けて記録」


 ユリスはすぐに頷いた。


「用途別表を使います」


「そうです」


 王都式典局への返書で作った表が、さっそく役に立つ。


 少し皮肉だ。


 王都の混乱から作った表で、今度は王都への食料支援を整理する。


 でも、実務とはそういうものなのかもしれない。


 腹立たしいものでも、使えるなら使う。


「費用は」


 ユリスが尋ねた。


「領内冬備えを圧迫しない範囲で。販売用第二便の利益見込みから一定額を取り分けます。ただし、ベルナー商会に負担を押しつけないこと。こちらから提案した代替品です」


「ベルナー商会への協力依頼は?」


「します。ですが、慈善名目で無償を求めない。輸送費は払います」


 善意にただ乗りしてはいけない。


 聖マルタ教会の薪が足りなくなった時、それを嫌というほど知った。


 炊き出しを頼めば、鍋を火にかける薪が減る。


 子供を預かれば、寝床と薬草が減る。


 祈りも、慈善も、人の手と燃料で動いている。


 なら、商人の馬車も同じだ。


 王都へ運ばせるなら、輸送費は払う。


 「良いことだから」で誰かの負担を帳簿の外へ押し出してはいけない。


「女伯様」


 オルドが静かに口を開いた。


「リリアナ妃殿下の礼状は、保管なさいますか」


「保管します」


 私は即答した。


「王都報とは別に」


「はい」


 王都報は、エレノア様が膝を折ったと書いた。


 だが、この礼状は、灰麦菓子を食料支援品として扱うと書いている。


 同じ王都から来た紙でも、違う。


 それを混ぜてはいけない。


 怒りのためにも、希望のためにも。


「写しを取ってください。原本は私的ではなく、領政記録へ」


「私的業務記録ではなく?」


「これは領政上のやり取りです」


 そう言いながら、私は少し笑いそうになった。


 エレノア様なら、きっとそう言う。


 いや、今のは私もそう思った。


 私的に喜ぶには、まだ早い。


 これは、領地の品が王都の救貧院へ届くという話だ。


 感情ではなく、記録にする。


 午後、ハンナが城館へ来た。


 彼女は礼状を読んで、しばらく黙った。


「王都の孤児院に、これを?」


「ええ。小さな子向けに配合を変えたいのです」


「酒粕を減らすなら、香りは落ちます」


「構いません。販売品ではなく、配布用です」


「蜂蜜を少し増やせば食べやすくなりますが、高くなります」


「増やしすぎない範囲で」


「砕いて粥に入れるなら、干し豆は細かくした方がいい」


「お願いします」


 ハンナは腕を組み、少しだけ目を細めた。


「女伯様」


「何?」


「王都の子供も、灰麦の粥を食べるんですね」


 その言い方が、少し不思議だった。


 王都とヴァルツェンは、遠い。


 食べるものも、暮らしも、噂も違う。


 でも、腹が減る子供はいる。


 寒い部屋で粥を待つ子供もいる。


「たぶん」


 私は言った。


「白い菓子を食べる子ばかりではないのでしょう」


「そりゃそうか」


 ハンナは小さく笑った。


「王都って聞くと、みんな白パン食ってる気がしてましたよ」


「私も、少しそう思っていました」


「女伯様が?」


「ええ」


 ハンナは目を丸くして、それから声を立てずに笑った。


「変な方になりましたね」


「最近よく言われます」


「悪い意味じゃありません」


「分かっています」


 たぶん。


 いや、分かっていることにしておく。


 ハンナは試作のため、城館厨房へ向かった。


 その背中を見ながら、私は礼状をもう一度見た。


 白百合意匠の包装は不要。


 この一文が、どうしても胸に残る。


 リリアナ妃殿下は、白百合の人だ。


 王都ではその象徴で飾られている。


 でも、本人は少なくともこの件では、飾りをいらないと言った。


 それは小さなことかもしれない。


 けれど、小さくない気もした。


 夕方には、配布用の試作品ができた。


 販売用より薄く、割りやすい。


 冬葡萄酒粕は控えめ。


 蜂蜜がほんの少し増えている。


 干し豆は細かく砕かれ、歯に当たりにくい。


 私は一欠片を口に入れた。


 販売用より香りは弱い。


 でも、食べやすい。


 粥に入れるなら、こちらの方がいい。


「これでいきましょう」


「名前はどうします」


 ハンナが聞いた。


「配布用に名前はいりますか?」


「王都は名前をつけたがるんじゃありませんか」


 否定できない。


 でも、変な名前にされるくらいなら、こちらで決めた方がいい。


「北雪の灰麦菓子、配布用」


「そのままですね」


「そのままでいいです」


 私は少し考えて、付け足した。


「添え文は、『温かい粥に砕いても食べられます』」


 ハンナが笑った。


「売り文句じゃなくて使い方ですね」


「慈善は地味でいいので」


「女伯様、それ気に入ってますね」


「はい」


 気に入っている。


 たぶん、とても。


 その夜、精神世界の扉の前で、私は礼状の話をした。


「リリアナ妃殿下から、礼状が来ました」


 扉の向こうは、しばらく静かだった。


「本人からですか」


「たぶん。少なくとも、文面はそうでした。灰麦菓子を礼拝堂装飾ではなく、救貧院と孤児院への食料支援品として受け取りたいと」


 返事はない。


「白百合意匠の包装は不要、とも書いてありました」


 扉の向こうで、かすかに紙の音が止まった。


 私はその沈黙を待った。


 やがて、エレノア様の声がした。


「リリアナ様らしい判断です」


 静かな声だった。


 少し遠い。


 けれど、そこに憎しみはなかった。


「やっぱり、そうなんですね」


「はい。あの方は、飾りより先に人を見る時があります」


「時があります?」


「常に、ではありません」


 その言い方が、少しだけ鋭かった。


 私は扉を見つめた。


「周りに流されることもある、という意味ですか」


「善意の方は、自分の名がどのように使われるかに無防備なことがあります」


 以前の言葉と繋がった。


 善良な方の周りには、善良さを利用する者も集まる。


 リリアナ妃殿下本人は、灰麦菓子を食料として見られる。


 でも周囲は、白百合の飾りにしたがる。


 そのずれが、きっと昔からあった。


「エレノア様は、それを止めようとしていたんですね」


「止めきれませんでした」


「でも、止めようとはした」


「結果がすべてです」


「違います」


 思わず強く言った。


 扉の向こうが静かになる。


 私は息を整えた。


「すみません。でも、違います。結果は大事です。でも、何を見ていたかまで消えるわけじゃありません」


「……あなたは、そういうことを言う」


「何度でも言います」


 少し前にも、同じようなやり取りをした気がする。


 私は何度でも言う。


 エレノア様が、自分の努力を結果だけで切り捨てようとするなら。


「リリアナ妃殿下本人に、灰麦菓子が届いたのは良かったと思います」


「なぜ」


「飾りじゃなくて、食べ物として受け取ってくれたからです」


「そうですね」


「それに」


 私は少し迷った。


「エレノア様の見ていたリリアナ様が、ちゃんと今も残っている気がしたから」


 扉の向こうが、長く静かになった。


 言い過ぎたかもしれない。


 でも、本当にそう思った。


 王都報の中の聖女王妃。


 白百合に飾られた象徴。


 慈善基金の名として使われる存在。


 その奥に、ちゃんと食べ物を食べ物として受け取る人がいる。


 エレノア様が「善良な方」と言った人が、まだいる。


「……それは」


 エレノア様の声は小さかった。


「私には、分かりません」


「はい」


「近くにいた時も、分からないことは多かった」


「はい」


「私は、あの方を理解しようとしていたのでしょうか。それとも、止めるべき対象として見ていただけでしょうか」


 胸が痛んだ。


 それは、エレノア様の後悔だった。


 リリアナ妃殿下を単純な敵にしないからこそ生まれる痛み。


 私は扉に触れないまま、少しだけ近づいた。


「今からでも、分かることはあると思います」


「王都に戻れと?」


「いいえ」


 即答した。


「戻らなくていいです。今は。あなたが戻る必要はありません」


 そこは譲らない。


 王都が困っているからといって、エレノア様がまたその空席に戻る必要はない。


「でも、手紙や記録や、こういうやり取りで、少しずつ見えるものはあると思います」


「……あなたは、楽観的です」


「はい。でも、無策ではありません」


「そこは重要です」


「エレノア様に鍛えられていますので」


「また私のせいにする」


 少しだけ、声が柔らかくなった。


 私はほっとした。


「配布用の灰麦菓子は、酒粕を減らして、粥に砕ける形にしました。販売用とは別記録にします」


「よろしい」


「慈善は地味でいい、という方針です」


「あなたらしい」


 また、あなたらしい。


 その言葉が、少しずつ私の中に積もっていく。


 エレノア様が、私を私として見ている。


 そんな気がしてしまう。


「エレノア様」


「何ですか」


「いつか、リリアナ妃殿下にも、あなたの記録を読んでほしいです」


「やめなさい」


 即答だった。


「早い」


「早い遅いではありません」


「でも」


「私的業務記録を勝手に人へ見せるものではありません」


「それはそうです」


 私は素直に引いた。


 確かにそれは駄目だ。


 推しの私的記録を勝手に公開するファン、最悪である。


「では、いつか、あなた自身の言葉で」


「玲奈」


「はい」


「今日はそこまでです」


「はい」


 止められた。


 でも、扉は閉まらなかった。


 現実に戻った私は、私的業務記録を開いた。


 聖女リリアナ慈善基金より礼状。


 北雪の灰麦菓子、王都東区救貧院、南区孤児院、教会施療院への配布品として受領希望。


 礼拝堂装飾品ではなく、食料支援品として扱うこと。


 白百合意匠の包装不要。


 幼児向けには粥に砕いて使えるか確認あり。


 対応。


 配布用の別配合を作成。


 冬葡萄酒粕を減らす。


 蜂蜜をわずかに増やす。


 干し豆を細かく砕く。


 薄焼き、砕きやすく。


 販売用と慈善配布用を用途別表で分離。


 輸送費は領側負担。ベルナー商会へ無償負担を求めない。


 添え文。


 温かい粥に砕いても食べられます。


 そこまで書いて、私はペンを止めた。


 そして、一行足した。


 白百合の箱には、灰麦が入っている。


 飾りではなく。


 食べ物として。


 それは小さなことだ。


 王都の構造を変えるほどのことではない。


 エレノア様の過去が、それだけでほどけるわけでもない。


 それでも、白百合の箱に灰麦が入る。


 王都の救貧院で、誰かがそれを粥に砕く。


 ヴァルツェンの冬支度が、王都の寒い部屋へ少しだけ届く。


 私は窓の外を見た。


 雪は、今日も降っている。


 王都でも雪が降っているだろうか。


 分からない。


 でも、寒い部屋はきっとある。


 お腹を空かせた子供もいる。


 なら、届けばいい。


 白百合の飾りではなく。


 灰麦の欠片として。


 エレノア様。


 あなたが数えてきたものは、今日、王都にも少し届きます。


 とても地味で。


 とても硬くて。


 でも、温かい粥に混ぜられる形で。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ