勇気だって、知らぬ人
僕は今日も、変わらずこの場所に来ていた。
この空間には僕一人だけ。そもそもこんな場所、普通は来ない。来ようとしなきゃ見つかることもない。
ただ——
「なぁなぁ〜、センパイ好きなおかずなんなん?」
その“一人だけ”のはずの空間には、もう一人いる。
「……お前、ほんと毎回いるな」
軽く息を吐きながら、二宮の隣に腰を下ろす。
「何を今更……そら来るやろ〜。うちらの居場所やも〜ん」
悪びれもせず、そう言って笑う。
……“うちらの”ね。勝手に入ってきた割には随分調子のいい言葉だ。
僕だって最初の方こそ縄張り意識のようなもので牽制していたがこいつにそんな物は効かないようで気がつけば諦めていた。特に何も言わずパンの袋を手に取る。
「で、なんやったっけ?好きなおかず」
「おかず?なんだろうな……」
少し考える。
こういうの、あまり深く考えたことがない。
弁当なんてほとんど持ってこないし、基本は購買のパンで済ませている。
「……ハンバーグとか、唐揚げとかか?」
無難な答えを口にする。
「……随分可愛らしいもん出してきたね〜?怖い顔してハンバーグって…」
すぐ隣から、くすくすと笑う声。
「っるっせぇ!悪かったな似合わない顔で」
「ええやんええやん!うちはそんなセンパイも好きやよ〜?」
「はいはい」
間髪入れずに返す。
……こういうのは、まともに受け取るものじゃない。
包装のビニールが小さく音を立てる。
クリームパンを取り出して、一口かじる。
甘い。いつもの味。
「……」
横から視線を感じる。
二宮が、じっとこちらを見ている。
「……なんだよ」
「別に〜?」
ぷいっと不服そうに彼女は顔を逸らす。
その顔を見ていると、なんとなく落ち着かない。
こいつの言う可愛いなんて、大した意味も含まれていないのだろう。
もしそんな言葉に勘違いなんてしたら、痛い目を見るのは僕だ。一ヶ月は馬鹿にされるに決まっている。
「……」
もう一口、パンをかじる。
だから。
「はいはい」で流すくらいが、ちょうどいい。
◇◇◇
——こんっのっ!!鈍感!!どアホ!!オタンコナス!!
思わず、心の中で叫ぶ。
今の結構頑張ったやつやで!?秋葉ちゃんの勇気の一言やで?!なのにこのアホと来たら……『はいはい』って?!『はいはい』って?!!!
隣で平然とパンを食べてる先輩の横顔を見る。
何事もなかったみたいに、普通に。
なんでこの人平然とパン食べとるん?
ちょっとくらい、こう……反応とかあってもええやん…
ドキッとするとか。
慌てふためいて言い返せなくなるとか。
そういうの、漫画とかやったらあるやん。ちょっとくらい反応してくれてもええんやないの…?
あぁもう…!
…なんで現実の先輩はこうなんよぉ〜。
「はぁ……」
さっきまでの勢いが、一気にしぼんでいく。
「もしかして……」
ふと、嫌な考えが浮かぶ。
先輩、女の子慣れしとるんやろか、それか、うちにそんな魅力感じてへんとか……?
「はぁ……」
視線を落とすと、自分の弁当が目に入る。
ネガティブが一度頭を支配すれば次から次へと雪崩れるように襲いかかる。
「うちのせい……なんかなぁ……」
小さく、隣の先輩にも聞こえないようなほど、糸より細い声で呟く。
まだ半年くらいやし、こんなん恋とすら呼べへんのとちゃうやろか?
「……」
何やってるんやろ、うち。
そうこうする内に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
無情なくらい、あっさりと。
もう終わり。
今日も、何もできんまま。
立ち上がろうとする。
そのとき——
「そうだ、二宮」
先輩に呼び止められて、鉛のようだった足は自分でも驚くほどに急に止まって反射的に振り向いた。
差し込んだ陽光が、階段の空気を少しだけ柔くする。
「あー……お前には僕以外話す相手もいないかもだけど」
———大丈夫。
きっと、うちは先輩のことが
「……」
「一応忠告しとくぞ。好きだとかそういうのは安易に言うなよ。勘違いする輩もいるからな」
自分で思う以上に
大好きなんや。
だって
「センパーイ、それセクハラ言うんやよ〜?」
「なっ?!……以後気をつける…」
こんな言葉でニヤついてしまうんだから——。
「ほんまにもう……しゃーない人なんやから…」
ちょっと焦った顔すらも様になっているように見える。ほんまにうち、どうかしてるわ。先輩の行動一つ一つで心が狂わされる。
自分で言うのもあれやけど、うちってほんまにチョロいわ。
「あ、そうだセンパイ!」
それでも今は、この気持ちにちょっとだけ素直になろう。
「明日!パン持って来んといてや〜!」
「はぁ?だとしたら昼飯はどうするんだよ!!」
「さぁ〜?それは明日の“お楽しみ”やよ~!それじゃあセンパイ!!また明日!!」
振り返らずに、階段を降りる。
足取りが少しだけ軽い。
——明日は。明日こそは。
ちゃんと。
もう少しだけ。
頑張ってみよか。
だって。
あんな風に、笑ってしまうくらいには——
「どうしようもないくらい……好きやもんなぁ」
小さく呟いて、教室へ戻った。
「お弁当……先輩のせいで食べ損ねちゃったやないの……」




