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浮世にまじりて神は舞う  作者: 名称未定


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その1



 とある街の、地元商店が多く賑わう商店街の一角に、一件の内科医院がある。地域住民のかかりつけ医として一次診療を担い、懇切丁寧な対応で評判の良い医院で、時には商店街の催事に参加したりと、地域貢献も欠かさない。利用者のみならず、地域住民から広く親しまれている医院だ。


上代(かみしろ)君、(いぬい)君、ちょっといいかな?」


 午前の診察が終わり、最後の患者を見送った後、白衣を着た男性――この医院の院長である山田(やまだ)は、2つの名を呼んだ。そのうちの1人である、出入口の施錠を行っていた長身細身の青年、上代は、医院で働く看護師だ。上代は振り向いて「閉めたらすぐ行きます」と返事をした。

 もう1人の、受付内でカルテ類の整理を行っている体格の良い青年、乾は、同じく医院で働く事務員だ。「わかりました」と静かに返事をし、手を止めて山田の方へ向かう。


「ごめんね、作業中に。診察室で話そうか」


 診察室のドアを開け、院長は自分の椅子に腰掛けた。普段は患者や付き添いの家族が座る椅子を乾にすすめ、遅れて診察室に入ってきた上代も、空いていた椅子に腰掛ける。


「ご依頼があってね、2人にお願いしたくて」


 そう言いながら山田は、普段から診察で使用するパソコンの操作を始めた。


「あかね市にある私立の高校なんだけど、そこの生徒さん数人が、急に不登校になったそうでね」


 読んでもらった方が早いかも、と、山田はメールボックスの中の1通のメールを開く。目の前の2人が見やすいように、山田はキャスター付きの椅子を後ろに引いた。

 2人が少し身を乗り出して、モニターに映されたメールの内容に目をやると、丁寧な挨拶から始まる文章には、まるでミステリー小説のような出来事が綴られていた。


 ――5月下旬から5名の生徒が不登校となっており、うち2名は精神科へ入院中です。いずれの生徒も同学年で、仲の良い友人グループだそうです。

 ――5名全員が共通して“黒い影が見える”という症状を訴えており、ひどく怯えている状態で、1人では自室または自宅から出られません。

 ――特に幻覚症状の重い生徒2名に関しては、自傷行為もみられることから、治療と本人の安全確保のため入院措置となっております。

 ――当初は、スクールカウンセラー、養護教諭により、当該生徒および家族へのケアや聞き取りを行っておりましたが、現状、学校側では対応困難となっており、各家庭で病院に受診していただいて、投薬治療で経過観察をしている状態です。また、脳神経などの異常はないと、家族より報告を受けております。

 ――校内アンケートを実施したところ、当該生徒たちが、ある1人の生徒に対して悪口や嫌がらせを行っていたという複数の証言がありました。嫌がらせを受けていたとみられる生徒にヒアリングするも、本人は知らない、心当たりがないと否定しています。事実確認が取れていない状況であり、また今回の件と関係があるか不明です。



「ざっと読めたかな?」


 姿勢を戻して頷いた2人に、山田は話を進めた。


久我(くが)さんからの仲介依頼だから、原因が()()()の方の可能性が高いということなんだけど、頼めそうかな?」


 “あちら”という抽象的な言葉の意味を、2人は理解しているようだった。乾は上代の方を見て、「大丈夫そうですか?」と尋ねる。


「僕は大丈夫です、いけます」

「私も、大丈夫です」


 それを聞いて、山田はにこりと笑った。


「ありがとう、無理はしなくていいからね。久我さんには私の方から連絡しておくから、日程がわかったら君たちに伝えるよ」


 じゃあ一旦話は終わり、と山田は椅子から立ち上がった。乾と上代も立ち上がり、各々が座っていた椅子を定位置に戻す。

 診察室を出て、上代が乾に話しかけた。


「乾さん、何か事務作業、手伝えることありますか?」

「いえ、もう少しで終わるので大丈夫ですよ。ありがとう、先に休憩入ってください」

「じゃあ、お先にいただきます」


 上代はぺこりと頭を下げ、休憩室の方へ歩いて行った。乾は受付内に戻り、中断していた作業を再開する。


『章成』


 章成(あきなり)――乾の下の名を呼ぶ声が聞こえたその時、受付内の何もない空間にぽっかりと黒い穴が開いた。それはまるで空間に掛けられた絵のようで、厚みはなく、黒以外何も見えない。輪郭はぼやけているが、直径1m程の大きさがある。その穴から、輪っかを通り抜けるように何かがぬるりと姿を現した。

 それは、黒色や黄褐色、灰色がまだらになった毛並みと、鋭い目、鋭い牙を持つ、犬や狼に似た獣だった。そして、180cmを超え、筋肉質である乾にも劣らない体の大きさである。

 目の前の獣は、まるで地面があるかのように空中で伏せの姿勢を取った。乾はその非現実的な光景に驚く様子はなく、顔を上げてその獣を見た。


『何かありました?』


 声に出さず頭の中で、乾は目の前の獣に問いかけた。すぐに乾の言葉が届いたのだろう、低く厚みのある獣の声が、乾の耳に聞こえてくる。その風格のある佇まいや声とは反対に、聞こえてきた言葉の内容は何とも可愛らしいものであった。


『今日の供えは肉が良い、帰りに買ってきてくれないか』

『調理の仕方は何がいいですか?』

『カツで頼む。肉はなんでも良い』


 『じゃあ任せたぞ』と、獣は立ち上がって再び空間の穴に飛び込んでいく。獣が通り抜けた後すぐに、穴は中心に向かって縮小していき、何事もなかったかのように消え去った。

 そして乾も、何事もなかったかのように作業を再開するのだった。





「ちょっと、シロ、家にご飯置いてるんだから、そっち食べてよ~。味しなくなるでしょ」

『いっしょにたべたい、おうちひま』

「気持ちは嬉しいんだけどね~、味がさ~」


 一方、休憩室で昼食を摂っていた上代は、独り言、ではなく、自身の肩に乗る、手のひらサイズの白くて丸い物体と会話していた。

 上代がシロと呼ぶその物体は、丸い胴体であろう部分から伸びる4本の触手のような物――位置や太さから、人間の手足を想像する――のうち1本を、上代が持つ弁当箱の中の卵焼きに伸ばしている。


『うまい、おいしい』

「それは良かった。卵焼きだけにしてね」

『うん』


 シロは卵焼きに伸ばしていた手であろうものをすすすっと引っ込めて、上代の肩に座った。どうやら手足は伸縮自在らしく、それらを丁度良い長さにして、ぱたぱたと足を揺らしている。

 上代はシロが手を伸ばしていた卵焼きを箸で持ち上げた。見た目はいつもと変わらない卵焼きだ。しかし、口に含んでも咀嚼しても、全く味がしない。口の中に食物の塊があって、その食感ははっきりとわかるのに、味だけがしないのだ。

 シロが食べると、その食物自体は存在するのに味だけが無くなってしまう。原理はわからないが、シロの存在そのものが特殊なものだからと、上代は深く考えないようにしている。

 ただ味のない食物は美味しくないので不満ではあった。



 シロは上代が物心ついたときから傍にいた。その姿は上代にしか見えず、家族や周囲の人間にシロのことを話しても、子どもの1人遊びにおける空想の生き物、という認識であった。そんな経験から、どうせ信じてもらえない、子どもながらにそう思った上代は、その存在を公言したり、誰かに打ち明けたりすることをやめた。


 上代が成長するにつれて、シロは人間の言葉を話せるようになっていった。少しずつコミュニケーションが取れるようになってからは、小さな友達、小さな弟(妹かもしれない)、そんな風に思いながら共に成長した。

 ある出来事があってからは、上代のシロに対する認識は一変するのだが、結局は情が芽生えてしまっていて、何だかんだで現在も一緒にいる。また、離れられない事情もあるのだが。


 昼食の弁当も残りわずかとなったところ、休憩室の扉がノックされ、乾が扉を開けて入ってきた。上代は「お疲れさまです」とそちらに視線をやる。続いてシロも「おつかれー」と声をかけた。

 乾はシロの声とその姿を見つけて、とくに驚く様子もなく話し始める。


「お疲れさまです。さっきは姿が見えませんでしたが、シロさん、こんにちは」

『こんにちは、アキナリ』

「昼ごはん食べようとしたらこっちに来ました」


 乾はシロの存在を認知しており、その姿を見ることができる数少ない人間の1人である。また乾も、上代と境遇は違うが、そのような存在が身近にいる人間であった。その存在というのが、先ほど受付内に突然現れた獣である。

 あの獣は犬神と呼ばれ、乾の家系に守り神として祀られている神だ。上代もその存在は知っていて、乾同様にその姿を見ることができ、会話もできる。


 そんな2人はこの医院で働きながら、超常現象的・超自然的要因によるトラブルに関して相談を受けていた。先ほどの、山田から持ちかけられていた話はこれらに関するもので、不定期にある依頼であった。

 2人への依頼の窓口は院長である山田で、依頼主との間に、仲介役の久我という者もいる。

 久我は同じ商店街で駄菓子屋を経営する女性だ。詳しいことは上代も乾も知らないが、そのような情報が集まる繋がりを持っているようで、2人の希望に沿った依頼を出してくれる。

 そして山田も久我もシロや犬神の存在は知っていて、2人の事情を理解した上で、共に協力し合う仲であった。


「こらシロ、だめだぞ」


 テーブルへ昼食の弁当を広げた乾に、シロは上代の肩からひらりと飛び降りて、てくてくと乾の弁当近くまで歩いていく。上代は、つまみ食いをするのではないかと危惧して注意するが、シロは「みてるだけー」と、のらりくらりと返事をした。


「ひとつ食べます?」

『いいのー?』

「乾さん、甘やかしちゃだめですよ」


 上代はひょいっとシロを持ち上げて捕獲する。

 『わああー』と緊張感のない声を出しながら上代の手に拘束されているシロに、乾は小動物を愛でるような気持ちを感じながら、こんなにも可愛らしい姿かたちをしているのに、()()()の、身の毛もよだつその姿や感覚が嘘のようだと思った。



「失礼するよ」


 休憩室の扉がノックされ、山田が入ってくる。


「休憩中ごめんね。久我さんからすぐに返事が来てね、可能なら…今日の仕事が終わってからでも、生徒さんの自宅訪問に行けないかって」

「僕は行けます」

「私も大丈夫です」


 2人の返事を聞いてホッとした表情を浮かべた山田は、手に持っていたスマートフォンを見ながら話を続けた。


「じゃあ、18時に赤根(あかね)駅の中央改札に待ち合わせで、スクールカウンセラーの今井(いまい)さんという方が迎えに来てくれるそうだから同行してもらってね」


 上代は捕まえていたシロを離し、「電車の時間、調べておきますね」と、自身のスマートフォンを操作し始めた。

 解放されたシロは、ふわふわと浮かび上がって上代の肩に掴まり、スマートフォンの画面を覗き込んでいる。

 乾は上代に礼を言い、山田の方を見た。


「こちらから準備したほうが良いものなどはありますか?」

「それはとくにないけど、交通費とか掛かったお金は記録しておいてね。仕事続きで申し訳ないけど、無理はしないで」


 邪魔したね、と山田は話を終えて休憩室から出て行った。


「乗り換えのスクショ、送っておきますね」

「ありがとう、助かります」


 シンプルで短い受信音が鳴る。乾はスマートフォンを操作し、上代が送信したスクリーンショットの画像を確認した。


「スムーズに解決できたらいいですね」

「ええ。それに、未成年者が関わっているとなると、ますますそう思います」


 今まで受けた依頼の数は多くはないが、同時に5人もの人数がトラブルに巻き込まれているかもしれないケースは初めてであった。それに、2人がシロや犬神の力を借りたとしても、解決できることなのかもわからない。


『きょう、シロつよくなれる?』


 いつの間にか上代の肩からテーブルの上に移動していたシロが、上代の顔を見上げて言った。


「どうなるかまだわかんないけど、一緒にがんばろうな」


 シロの小さな手を指で摘まんで握手する上代に、シロは『がんばろー』と、もう片方の手を上げる。

 微笑ましいやり取りに乾は穏やかな気持ちになりながら、とりあえず午後の業務を無事に終わらせなければと、目の前の昼食を食べ始めた。


(おっと、いつの間に)


 プチトマトを口に含み噛んだ瞬間、乾は全く味がしないことに気付く。声には出さず、ちらりとシロを見遣れば、視線に気付いて、フワフワと上代の後ろに隠れてしまった。後ろめたいという気持ちがあるらしい。乾は思わず笑ってしまった。


「えっ、どうしたんですか?…まさか、シロ、つまみ食いした?!」

『いちごだとおもったけど、トマトだったー』

「こらーーーー!」


 上代は「乾さんすみません!」と謝罪して、背中に手を回しシロを捕獲しようとするが、姿が見えない上にちょろちょろと移動していて掴めず、素早く上体ごと振り向いても、それに合わせてシロも背中側に移動するため、なかなか捕まえられない。


「大丈夫ですよ、ひとつ食べるか聞きましたし」

「いやそれでも黙って食べるのはだめですから!ちゃんといただきますって言いなさい!」

『いただきました、ごめんね、ありがとアキナリ』


 どういたしまして、と乾がシロに返事をしたところで、上代にこれ以上怒られるのが嫌なのだろう、シロは『おうちにいるねー』と帰ってしまった。

 気配の消えたシロに上代は軽く溜め息をつき、しゅんとした様子で「すみません…」と再度謝罪する。


「大丈夫ですよ。シロくんには今回の依頼も頑張ってもらいましょう」


 そう言って、全く気にしていない様子の乾は食事を再開するのだった。



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