オレウムハーネス
「返せるわけねぇだろ。お前がここに一人で来た時点で、話は終わっているんだ」
ヘイル・ヴィークが指を弾くと、床の釘と弾殻が一斉に浮いた。錆びたビス、砕けた弾頭、誰かが落とした刃物の破片。金属片が、蛾の群れのようにゆっくり回転する。モールの天井照明が一つ弾け、火花が散る。
「油男……。そして、その洗練された白い装甲。NISIKIの犬が、スラムのゴミ置き場まで来やがった」
声が低い。笑い方だけが、調子外れに明るい。義眼の一方が赤く点滅し、もう一方は焦点が合っていない。コートの襟元から覗く首筋には、継ぎ接ぎのポートが並び、呼吸のたびに細いケーブルが皮膚の下で動いた。
「ミナを返せ」
「返す? 返すって、荷物かよ。花屋の女を、返品かよ?」
ヘイルは噴水跡の縁に足を乗せ、周囲の浮遊金属を見て楽しそうに頷いた。手下たちが後ろへ下がる。親玉の機嫌が悪い時の距離感を、体が覚えているようだ。
「あの女よお、えらい可愛い顔してるよなぁ?」
シロウズの中で何かが切れた。油が一気に分泌され、オレウムハーネスがそれを飲み、背中のユニットが熱を上げる。
「てめぇ……」
「来いよ。燃えるなら、ちゃんと見せてみろ!」
ヘイルが掌を開く。
金属の雨が、正面から落ちてきた。
シロウズは腕を交差させ、装甲で受ける。釘が胸板に突き刺さり、弾殻がバイザーを叩く。衝撃の連続。だが貫通はしない。次の瞬間、シロウズは右掌を前方へ向け、油を霧状に噴射して着火した。炎の壁が金属の雨を飲み、一部を溶かして床へ落とす。
「焼け死ね!」
「ああ、いい火だ」
ヘイルは金属の盾を磁力で作り上げ受け止めた。そして、次に浮いたのは、壊れたエスカレーターの手すりと、裏市の鉄製コンテナの扉だった。巨体がきしみ、シロウズ目がけて飛んでくる。
シロウズは噴射で横へ逃げる。白い装甲が空中で回転し、バランサーが姿勢を戻す。コンテナが噴水跡を潰し、水たまりの残滓と灰が舞った。
「逃げんなよ、主役!」
ヘイルの両腕が開く。コートの下で義体が展開し、前腕から磁極のユニットがむき出しになる。モール内の銃が、持ち主の手から引き抜かれる。手下たちが「ちょ、親玉!」と叫ぶ間に、銃群が空中で一列に並び、すべてシロウズへ向いた。
発砲。
弾幕が降る。シロウズは真正面で受けてしまった。弾が装甲に当たるたびに火花が散り、オレウムハーネスが装甲に油を循環させて衝撃を分散する。
「ミナはどこだ!」
「しーた。下だよ。冷蔵区画。花は低温の方が持ちがいいんだろ?」
ヘイルが舌を出す。金属の歯が並んでいる。
「 お前がここにいる間に、あの子はもう別の買い手の話が進んでるかもな。急げよ、油タンク」
シロウズの視界が赤い。噴射を最大に開き、一直線に突っ込んだ。炎を纏った拳がヘイルの顔面を狙う。ヘイルは磁力で床の鉄板を引き上げ、盾にする。拳が鉄板を抉り、熱で赤く染める。
「おお、近い!」
ヘイルが鉄板の裏から顔を出し、シロウズの腕を掴んだ。磁力がオレウムハーネスの関節を掴む。白い装甲が軋む。金属を持つ体は、この男の領域だ。
「NISIKIの玩具ごときが、俺の庭で吠えんじゃねえよ……」
「離せ!」
シロウズは左腕の噴射口を至近距離で開放した。油がヘイルの胸に浴びせられ、着火する。炎がコートを舐め、ポートのケーブルが弾けた。ヘイルは後ろへ飛び、床を転がって消火する。皮膚の一部が黒くただれ、それでも笑っている。
「熱っ……!」
手下の一人が震え声で叫ぶ。
「ヘ、ヘイルさん、撤退を……!」
「黙れ……」
ヘイルが指を鳴らすと、その手下の拳銃が自ら銃口を持ち主の足へ向いた。そして、発射。弾丸は手下の足を貫いた。一拍の後、空間に叫び声がこだました。
「俺はスネークボーンだ。消えねぇ。焼けても、欠けても、金属が残る限り消さねぇ」
彼は両腕を天井へ向けた。モールの骨組みが鳴る。照明の架台、換気扇の羽根、広告看板のフレーム。建物そのものが、武器になり始める。
シロウズは息を整えた。油の残量を示す表示が、ヘルメット内で黄に近づいている。感情で出しすぎた。ベネトレの警告が脳裏をよぎる。だが、ミナは下にいる。冷蔵区画。
「下を通るなら、俺を超えてみろ」
ヘイルが喉の奥で笑い声を転がす。義眼の赤が速く点滅し、口の端から血と唾が糸を引いた。狂人の親玉は、焼けたコートのまま中央に立ち、浮遊する金属の嵐を背にしていた。
「こいよ、油男!!俺のコレクションに、お前の白い殻も加えてやる」
シロウズは噴射口に油を満たし、炎を点した。
白い外骨格が、黒煙のモールで再び加速する。
ミナを取り戻す。
その一点だけが、呪いを武力に変えた少年の軌道だった。




