ヘイル
シロウズは空を飛んでいた。いや、“噴射飛行”をしていた。
背中でオレウムハーネスのユニットが低い音を上げ、体表から回収された油が噴射口へ回る。白い装甲の継ぎ目が熱を帯び、夜のキーリオスを斜めに切りながら進む。下界のネオンが流れる帯に見える。風圧が頬を打ち、以前ならただの「漏れる呪い」でしかなかった油が、今は推進力になっていた。
最初から上手くいったわけではない。
装着直後、内装が体へ吸着した瞬間に息が詰まった。油を吸う孔が皮膚に密着し、分泌のたびに機械が飲む。装甲は重く、膝が沈んだ。数分して電源が入っていないことに気づき、ベネトレに怒鳴られた。起動音が走り、バランサーが体幹を支える。歩行は、驚くほど普通だった。次に噴射。足元の油に着火し、強制的に上へ押し上げられる感覚。転びそうになって、またバランサーが姿勢を戻す。テスト動作を一通り終えた頃には、シロウズの頭の中に残っていた目的は一つだけだった。
ミナ。
スネークボーンの本拠地は潰れた巨大ショッピングモール。表では何年も前に閉業となっているが内部では裏市となっている。盗品、薬、腕、情報。スラムの汚泥が、屋根の下に集まっている場所だ。
ミナがいるなら、あそこだ。
正面玄関は、砂袋と鉄柵で塞がれている。シロウズはそのまま地面を蹴って真正面へ突っ込んだ。白い外骨格が明かりに映り、見張りが声を上げる。
「なんだありゃ――!」
スネークボーンは即座に各々の銃を構え、発砲した。
弾が胸板と肩に当たる。乾いた金属音。衝撃は来る。だが、貫通しない。シロウズは腕で顔を庇うこともせず、弾を真正面で受けた。油が装甲の溝を伝い、着弾点で薄く光る。
「邪魔なんだよ」
右腕を振り上げる。
掌の噴射口が開き、高圧の油が霧のように散った次の瞬間、
"着火した"
短い炎の槍が、カウンターのように前方へ伸びる。銃声の方向が、一気に熱に飲まれる。男たちが後ろへ飛び、シャツに火が移り、悲鳴がモールの天井に跳ねた。
「焼け消えろォ!」
言葉は短い。シロウズは歩を止めない。左腕からも炎を吐く。床に撒かれた油が火の筋になり、バリケードを舐めて上がる。裏市の看板が黒く縮み、誰かが消火器を探して走る音がした。
「撃っても死なねぇぞ!」
「ヘイルさんを呼べ!」
シロウズは奥へ進む。噴射で一段飛び、壊れたエスカレーターを無視して上の階へ出る。弾がまた背中に当たる。衝撃が少し痛い。だが、前に自分を燃やした時の痛みに比べれば、些事だ。
モールの中央、かつての噴水跡に人だかりが割れる。
重い足音と、金属の擦れる音。
現れた男は、大柄だった。コートの下から義体の光が覗き、指先で古い手すりを叩くと、周囲の鉄柵が小さく震えた。
「……油男か」
低い声。
ヘイル・ヴィーク。
スネークボーンを束ねる男が、焦げる空気の中で顔を上げた。目は、燃えるシロウズを値踏みするように細められている。
「ミナを返してもらうぞ……」
シロウズの声が、ヘルメット内で響く。油がまた分泌され、オイルマンがそれを吸って、次の噴射を待つ。
ヘイルは、短く笑った。
「返せるわけねぇだろ。お前がここに一人で来た時点で、話は終わってるんだ」
すると、次々と床の釘や弾殻をゆっくりと浮かせ始める。
白い外骨格と、金属を従える男。
潰れたモールの裏市が、戦場に変わった。




