妹とペット
連絡が来たのは、昼過ぎだった。
カテリナは端末の画面を見て、指を止めた。差出人の名前を見た瞬間、胸の奥がざわりと音を立てる。事務所の新入り――まだ名前のないふわふわした生き物が、机の上で小さく頭を擡げた。
「……ちょっと行ってきますねぇ」
「うん?どこに」
メロルスが顔を上げる。カテリナは少しだけ迷ってから、正直に言った。
「妹です。今、キーリオスに来てるみたいでぇ」
ヒューゴはソファから身を起こし、「気をつけろよ」と短く呟いただけだった。カテリナは心細さ故か小さなバッグにペットを入れ、事務所を出た。
約束のカフェは、大通りから一本入った静かな場所だった。
妹はすでに席に座っていた。以前より髪を短くし、表情もどこか大人びている。カテリナを見つけた瞬間、妹は立ち上がり、そして少しだけ躊躇してから、ぎこちなく手を挙げた。
「……お姉ちゃん」
「ひ、久しぶりぃ」
席に着くと、しばらくお互いに言葉が続かなかった。カップの縁を指でなぞる音だけが立つ。ペットはバッグの隙間から水色の瞳だけを覗かせ、静かに丸まっている。
「キーリオスに、いたんだ……」
「うん。自分で決めて」
妹は視線を落とした。
「実はね、昔のこと、謝りたくて。お母さんが怖くて、お父さんが怖くて……お姉ちゃんが酷い扱いをされてる時も、何も言えなかった。むしろ、一緒になって距離を取ってた。あの時の私、最低だと思う」
カテリナは小さく息を吸った。雨の日にメロルスへ話した傷が、静かに表面へ戻ってくる。
「……あなたも、被害者だったと思うよ」
「それでも、お姉ちゃんを傷つけてた。だから、今度は変えたくて。
ねえ、一緒に、別の街で暮らそう。キーリオスは危険でしょ。お姉ちゃんを守りたいの!」
その提案は、以前の妹からは出なかった言葉だった。カテリナはバッグの中のふわふわに、気づかれないよう指先を添える。温かい。ここにいる実感があった。
「ありがとう。でも、だめ」
妹の肩が、わずかにすくむ。
「嫌いだからじゃない。私、もうここに大事なものができたの。仕事も、仲間も……大事な人も」
「大事な人?」
悲しむかと思った反応は、違った。妹の目が、急に興味で輝く。
「誰? どんな人?」
カテリナは顔を赤くしながら、カップを両手で持った。
「メロルスさんっていうの。事務所の……仲間。出会った頃、私、すごく痩せてて。ストレスで食事も喉を通らなくて。その時、一番先に心配してくれたの。『ちゃんと食えよぉ』って、不器用にぃ」
「……いい人じゃん」
「うん。いい人」
妹は少しだけ笑って、それから本気の顔に戻る。
「わかった。無理には言わない。でも、また会おうね!」
「うん……!」
円満にカフェを出た。別れ際、妹はカテリナの袖を短く握った。
「お姉ちゃんが元気そうで、よかった!」
「あなたも」
そう言って、二人は一度背を向けた。
問題が起きたのは、その直後だった。
路地の入口で、男が妹に声をかける。身なりは普通だが、目つきが悪い。パノプティコンの脱走者に多い、どこか焦った光があった。
「ねえ、ちょっと話しよ……」
「結構です!」
妹が断ると、男の顔が歪む。袖からナイフが滑り出た。
「選り好みすんなよ、なぁ……!?」
カテリナが駆け寄る。
「やめて! 離れて!」
男が振り向き、刃を向ける。カテリナは妹を背に庇ったが、戦闘の経験などない。男の腕が振り下ろされる瞬間、彼女は自分の無力さを思い知った。
その時だった。
バッグがはじけ、ふわふわしたペットが飛び出す。水色の瞳が光り、小さな体が男のナイフへ吸い寄せられるように触れた。
次の瞬間、刃が消えた。
「……は?」
男の顔から血の気が引く。ペットが短く「みゅ」と鳴くと、男はナイフの消えた手を見下ろし、そのまま後ろへよろけて逃げ出した。
路地に残ったのは、荒い息と、カテリナと妹と、ふわふわした新入りだけだった。
「……お姉ちゃん、今の」
「わ、わからない。……でも、助けてくれた」
カテリナは震える手で、ペットを抱き上げる。丸い体は、さっきまでと変わらず温かい。水色の瞳が、彼女の顔をまっすぐ見ていた。
妹が、ほっとしたように息を吐く。
「名前、まだなの?」
「……うん。ずっと、付けられなくてぇ」
カテリナはペットの頭に額を寄せた。刃を消し、場を守り、危ない瞬間を飲み込んだ小さな体。
「……『ナイフロスト』は変だよねぇ」
「変!」
「じゃあ……」
彼女は少し考えて、小さく笑った。
「『ミマモリ』。今日から、そう呼ぶことする」
ペットは、その名前を理解したわけでもないのに、満足そうに喉を鳴らした。
妹はそんな姉の横顔を見て、ようやく本当の意味で安堵したように目を細めた。
キーリオスの夕方は、いつもより少しだけ穏やかで、それでも危険を含んだ風が、二人の髪を揺らしていた。
カテリナは帰って二人にミマモリという名前をつけたことを言うと少し、変な顔をした。まるで「自分も考えてたのに」という顔だった。




