錦一族
呼び出しは、同じ日の午後に、ほぼ同時に出された。
NISIKIの紋章が入った簡素な通信が、それぞれの端末に届く。差出人は錦宗玄。本文は短かった。
『本日、本邸に来い。理由は着いてから話す。』
それだけだった。
美鈴が端末を見たのは、安ホテルの薄いカーテンのそばだった。
「……NISIKIから」
レイナが後ろから覗き込む。
「行くのか?」
「行きます。お爺様が、直接呼ぶことなんて、ほとんどなかったから」
「なら私も行く」
「え」
「お前が箱に戻される訳には行かないからな……///」
美鈴は小さく頷いた。端末を握る手が、少しだけ汗ばんでいる。
そして、通信記録を、別の場所で透も見ていた。美鈴のことをネチネチと心配していた男である。
「美鈴様が、本邸へ……」
透は部屋の中を二度回り、持ち物を確認し、再度端末を開いた。
「私も行きませんと。温度管理は大丈夫か、食事は刺激物を避けられているか、移動中の疲労は……直接確認しませんと落ち着きません」
誰に言うでもなく、彼は何度も同じことを繰り返した。そして、美鈴たちの後を追うように出て行った。
雷真の元へも、同じ文面が届いた。
剛は通信を見た瞬間に、すでに荷物をまとめ始めていた。改造された体から、低い駆動音が漏れる。首筋から鎖骨にかけての継ぎ目、腕部の補強材、呼吸のたびに響く内部の共鳴。外見は以前より機械に近づいていた。
それでも剛は、雷真の顔を見て普通に口を開いた。
「行かれますか?」
「ああ。祖父上の呼び出しだ」
「なら私も行来ます」
声に抑揚はある。改造で体を削っても、主を守るという意思まで削られてはいなかった。むしろ、体が重くなった分、言葉は短く、確実になっていた。
「無理はするなよ、剛」
「大丈夫です!」
そして、駆動音を響かせ剛は、ドアを開けた。
一方、キーリオスの別区画。
後部座席でハンバーガーの袋を抱えていた宗継が、端末を見つめた。
「祖父からだ」
ヴィクトールが運転席から振り返る。
「で? 行くのか?」
「行く。呼び出しは優先事項だ。学びは中断する」
「珍しく素直じゃねぇか」
「学びの一環だ。家族の呼び出しに応じる判断も、民の感覚を知る上で必要になる」
「……お前な」
ヴィクトールはため息をつきつつ、車の進路を本邸の方へ切り替えた。宗継はハンバーガーを袋に戻し、真面目な顔で窓の外を見ている。
「回転寿司は、また今度だ」
「だから今はその話じゃねぇ」
夕刻前、NISIKI本邸の門が開いた。
別々の場所から来た者たちが、同じ庭を横切る。美鈴とレイナ。その少し後ろを、距離を保ってついてくる透。雷真と、体を改造され尽くした剛。後部座席から降りた宗継とヴィクトール。
誰も大きな声を出さない。
本邸の入り口で、使用人の一人が浅く頭を下げた。
「お揃いでございます。大広間へどうぞ」
重い扉が開く。
その先に、長いテーブルと、上座で待つ宗玄の姿があった。
大広間の照明は控えめに落とされ、皿の縁とグラスの断面だけが淡く光っていた。香木の匂いが、部屋の空気を静かに満たしている。
上座に錦宗玄。
右に宗継とヴィクトール。
左に雷真と剛。剛は雷真の斜め後ろに立ったまま、席には座らなかった。体の継ぎ目が照明を反射し、内部の駆動音が低く響く。だが彼の目は、きちんと周囲を見ていた。
下座寄りに美鈴とレイナ。
少し離れた位置に透。
宗玄が静かに口を開いた。
「久しぶりに、顔を揃えたな」
誰も即座に返事をしなかった。食器の触れ合う音だけが、短い間を埋める。
美鈴がおずおずと顔を上げる。
「お爺様……本当に、呼んでくださったんですね」
「お前が外で何を見ているか、知りたかったのでな」
宗玄の視線が、美鈴の隣に座るレイナへ移る。
そのときだった。
透が、小さい声で言った。
「ええ…いきなりですが貴方に、美鈴様が守れるのですか?」
空気がわずかに張り詰める。
レイナがゆっくりと透を見た。透は視線を合わせず、皿の上の料理を見つめている。指先が小さく震えていた。
「ねちねちと、すみません。でも、聞きたくて。美鈴様は箱の中で育った方です。外の危険を、どれだけご存知ですか。食事の温度、睡眠の時間、歩く速度……細かいことを、どこまで気にかけられますか。私は昔、それだけで一日が終わっていました」
「透」
美鈴が小さく呼びかける。透は頭を下げた。
「すみません。昔の癖で……。でも、本当に心配で。美鈴様は、放っておくとすぐに無理をされますから」
レイナは短く息を吐き、答えを返した。
「透さんのことは美鈴に伺ってます。ですが言わせてもらいます。美鈴のことは守ります……!少なくとも、箱には戻すつもりはありません!」
美鈴は嬉しそうにレイナの方を見る。透はそれ以上何も言わなかった。ただ、美鈴の方を一瞬だけ見て、すぐに視線を落とす。
そこで剛が低く、しかしはっきりとした声で言った。
「……似たようなことを、私も考えていた時期がございます」
雷真が少しだけ振り返る。剛は主の目をまっすぐに見て、続けた。
「体をどれだけ改造いたしましても、守るという気持ちまで機械になるわけではございません。そこを見誤りますと、私はただの部品になってしまいます」
短い言葉だったが、改造され尽くした男の口から出たことで、重みがあった。雷真は小さく頷いた。
宗玄が箸を置き、静かに続けた。
「今日、お前たちを集めたのは、他でもない。亡くなった者たちの話を、少しする」
テーブルの全員が、自然と上座へ意識を向ける。
「お前達の親のことだ」
宗玄の声に、感情の起伏はほとんどない。だが、その分だけ重かった。
「皆、錦の名前の下で生き、それぞれのやり方で死んだ。誰もが『正しくあろう』とした。誰もが、家族を守ろうとした。結果として、
残されたのはお前たちだ」
宗継の手が止まった。雷真も黙って祖父を見ていた。美鈴は唇を結ぶ。
「私は、お前たちを『資産』として扱ってきた。才能を測り、価値を測り、時に捨てるような判断もした。お前達の姉でもある紫苑を外へ出したのも、その一つだ」
剛が静かに口を開いた。
「それでも、こうして生きておられる方が、ここに揃っておられます」
「ああ」
宗玄は短く認めた。
「亡くなった者たちは、皆、お前たちに『生きろ』と言い残した。立派に家を継げ、とも、仇を取れ、とも言わなかった。ただ、生きろと」
美鈴の目が潤む。レイナが無言で、その手に自分の手を重ねた。
「私はもう、長くはない。この家のやり方が正しいのかどうかも、今となってはわからない。ただ、一つだけ確かなことがある。お前たちが今日ここにいることだ」
宗継が顔を上げた。真顔のまま、静かに言った。
「……学びは、まだ途中だ」
「そうだろう」
宗玄は短く頷いた。
「だから、今日は食事をする。難しい話は、これで終わりだ」
剛が雷真の方を見た。
「雷真様。どうか、お食事を。お腹が空いておられるでしょう」
「剛こそ」
「私は立っておる方が楽です。体がもうそうなっておりますゆえ」
そう言いながらも、剛の口元はわずかに緩んでいた。改造で体を削っても、主を気遣う余裕までは失っていなかった。
透は最後まで美鈴とレイナの方を見ていた。ねちねちとした心配と、もう届かない場所への未練が、混ざったまま残っている。
レイナは美鈴の肩に軽く触れた。
「せっかくだし頂こう。冷める」
「……はい」
美鈴が小さく笑った。
テーブルの上で、再び食器の音が重なる。
亡くなった者たちの話は、短い時間で閉じられた。
それでも、その余韻だけは、大広間の空気にしばらく残っていた。
窓の外では、キーリオスの夜が、変わらず灯りを揺らし続けている。




