三文
取材の女は、駅の明かりの下でようやく足を止めた。
息がまだ少し上がっている。振り返ると、路地の奥はもう暗くて何も見えなかった。ただ、風の切れ目に、細い金属音がした気がした。
「……大丈夫、ですか」
後ろから声がした。透だった。いつの間にか、こちらまで来ている。額に薄い汗を浮かべたまま、少し離れた位置で立ち止まった。
「怪我はしてないですか。血は出てないですか。服は破れてないですか。あと、端末は無事ですか。録音データは……」
「大丈夫です。本当に」
女が答えると、透は何度も頷いた。
「よかった。本当によかった。あの人たち、しばらく動けないと思います。糸を多めに張っておいたので。でも、念のため今日はタクシーで帰ってください。夜道は危ないです。あと、今日のことはあまり人に話さない方がいいです。僕のことも、出さないでください。お願いします」
ねちねちと続く注意に、女は思わず苦笑した。
「あなた、本当に気弱なんですか?」
「はい。気弱です。だからああやって、見えないところでやるしかなくて……すみません」
透は深く頭を下げた。そのまま、女がタクシーに乗り込むまで、少し離れた場所から何度も確認するように見ていた。
そして、キーリオスを少し離れた高速道路。
黒い車の車内は、妙に静かだった。
ヒューゴが運転席に座り、片手でハンドルを握っている。助手席のリシアは窓の外を見たままだ。後部座席ではメロルスが腕を組み、カテリナが小さく膝を抱えていた。
「……はあ」
ヒューゴが溜息をついた。
「全部知ってやがったのかよ、あのジジイ」
「またそれか」
メロルスが呆れた声を出す。
「いいだろ。言わせろ。何年も泳がせといて、最後に『守りたかった』とか言われてもな」
「気持ちはわかるけどよ。もう終わった話だろ」
カテリナがおずおずと口を開いた。
「龍牙さん、本当に……何も覚えてないんでしょうか」
「ああ。あの感じだと、かなり綺麗に飛んでる」
ヒューゴが短く答える。リシアが初めて横を向いた。
「紫苑は、残るって決めたわね」
「おう」
「……あの人、これからどうするつもりなのかしら」
誰も即答しなかった。車内に流れるのは、エンジン音と、遠くの都市の光だけだった。
ヒューゴがしばらくして、ぼそりと言った。
「まあ、俺たちには関係ねぇよ。帰って、いつも通り仕事するだけだ」
「それでいいんですかあ?」
カテリナが聞く。
「いいんだよ。探偵だぞ、俺たち」
メロルスが鼻を鳴らした。
「いつも通り、か。お前が言うと不安になるな」
「うるせぇ」
リシアが小さく息を吐き、窓に額を寄せた。彼女の目には、まだ少しだけ、紫苑が涙を流した時の顔が残っていた。
車は、キーリオスの夜を後ろに置き去りにして、走り続けていた。




