♨️♨️
男湯パート!
「はぁぁぁぁ……」
男湯に、気の抜けた声が響く。
「生き返るな……」
露天風呂の岩にもたれかかったヒューゴは、完全に骨抜きになっていた。今日一日の災難を思い返し、深くため息をつく。
「今日一日で寿命が何年も縮んだ気がする……」
「数年で済めばいいけどな」
隣ではメロルスが静かに肩まで湯に浸かっていた。湯気越しに、その鋭い輪郭が少しだけ和らいで見える。
「あの白鯨の話を聞く限り、お前の方がよっぽど酷い目に遭っているぞ」
「恋人に『あなた誰?』って言われるのは、流石にメンタルに堪えたわ」
「それは……」
メロルスさ苦笑を漏らした。
「きついな」
「マジできつい」
ヒューゴは夜空を見上げる。星の光が、湯気に滲んでいた。
「だから今日はもう、癒やししか求めてねぇんだ」
「そういう日もあるよな」
二人はしばらく無言で、ただ温かい湯に身を委ねた。
温泉の心地よい熱、肌を撫でる夜風、遠くから聞こえる川のせせらぎ。張り詰めていた神経が、ゆっくりとほどけていく。
「さて」
メロルスが不意に立ち上がった。
「のぼせる前に出るか」
「そうだな」
脱衣所を出ると、廊下には昔ながらの自動販売機が並んでいた。
「おっ」
ヒューゴの目が少年のように輝く。
「コーヒー牛乳じゃねぇか」
迷わず小銭を放り込み、ガラス瓶を取り出す。メロルスはその隣から、少し珍しそうにフルーツ牛乳を選んだ。
「やっぱ風呂上がりはこれに限るな」
「分かる」
カコン、と軽い音を立ててプラスチックの蓋を開ける。そして同時に、瓶を傾けた。
「ぷはぁぁぁぁ!」
「……うまいな」
思わず顔を見合わせ、笑みがこぼれる。
「日本っていい国だな」
「急にどうした」
「いや、この瓶で飲む文化が最高だと思ってさ」
「なるほどな」
二人は軽い足取りで、畳敷きの大広間へと向かった。
休憩スペースの畳は心地よく、夜も遅いため客はまばらだった。
ヒューゴは太い柱にもたれかかり、コーヒー牛乳を一気に飲み干す。
「っはぁぁ、完全復活」
「単純だな」
とメロルスは口から笑いをこぼす
「癒やしってのは大事なんだよ、メロルス」
その時だった。
低く豪快な笑い声が、静かな大広間に響いた。
「いい飲みっぷりだな、兄ちゃん」
二人が振り返ると、そこには一人の大男が座っていた。
二メートル近い巨体、衣服の上からでも分かる鍛え抜かれた筋肉。作務衣を着ているだけなのに、その存在感だけで周囲の空気がずっしりと重くなる。
鋭い眼光。しかし、浮かべている笑顔は妙に人懐っこい。
「風呂上がりのコーヒー牛乳は最高だろう?」
「分かってくれます?」
ヒューゴが親しみを込めて笑う。
「俺も昔はよく飲んだものさ」
男は豪快に笑い、「隣、いいか?」と促した。ヒューゴが「どうぞ」と答えると、巨体がどっかりと畳を揺らして腰を下ろす。
「旅行か?」
「いや、仕事帰りです」
「おぉ、それは災難だな。疲れたろう」
「めちゃくちゃ疲れましたよ」
ヒューゴは心底嫌そうな顔をして、今日一日の不運を吐き出した。
「今日一日だけ色々あったんですから」
男の太い眉が、わずかに動いた。
「ほぉ?」
「学校で金魚に潰されかけたり、水族館じゃ恋人が記憶を食われるし。今日は本当にロクな日じゃねぇですー」
「なるほど」
男は静かに頷き、ヒューゴの言葉を噛みしめるように言った。
「能力者絡みかな?」
「そうそう、全部『デッドリー』由来。しかも……知らない人だとは思いますがどれもこれも天城紫苑って女に繋がってやがる」
ヒューゴは空になった瓶を軽く振る。
男は静かに目を閉じた。
「……そうか。つまり………」
男がゆっくりと立ち上がる。その瞬間、先ほどまでの人懐っこい笑顔が完全に消え失せていた。
「お前たちは、NISIKI側の人間のようだな」
一瞬にして空気が凍りつく。メロルスの視線が、即座に刃物のような鋭さを帯びた。
「……お前……誰だ?」
男は低く、威圧的に笑った。
「失礼した。自己紹介がまだだったな」
男はぎしっと空手の構えをとる。
「俺は黒峰龍牙。『巌巌会』の用心棒だ」
その直後だった。
激しい衝撃音とともに、畳が派手に弾け飛んだ。
龍牙が一歩踏み込んだだけで、大広間全体が地震のように揺れる。
(速い──!?)
ヒューゴは目を見開いた。その巨体からは到底想像できない、圧倒的な踏み込みの速度。今まで対峙した誰よりも速い。
「下がれ、ヒューゴ!」
メロルスの鋭い叫びと同時に、龍牙の巨大な拳がヒューゴの鼻先を掠め去る。
ゴォッ!! と、凄まじい風圧だけで背後の壁紙がバリバリと裂けた。
「嘘だろ、温泉旅館でガチ喧嘩かよ!」
ヒューゴは咄嗟に後方へ飛び退く。
「悪いが」
龍牙は深く腰を落とし、静かに拳を構えた。
「お前たちはここで始末させてもらおうか……!」
メロルスが身を挺して前へ出た。その右腕の義手が、低い駆動音を響かせる。
「ヒューゴ、油断するな」
「分かってる!」
龍牙は二人を交互に見比べ、不敵に口角を上げた。
「面白い。二人まとめて、まとめてかかってこい」
龍牙から放たれる圧倒的なプレッシャーだけで、肌がピリピリと痺れる。
ヒューゴは冷や汗を流しながら、自嘲気味に苦笑した。
「温泉で極上の癒やしを得る予定だったんだけどな」
「やっぱお前、事件を引き寄せてるわ」
メロルスもまた、義手を真正面に構え直す。
直後、龍牙が足元の畳を爆散させながら、弾丸のごとき速度で突進してきた。
旅館全体を激しく揺るがす激突音とともに、静寂だった温泉宿は、一瞬にして凄惨な戦場へと変貌を遂げた。
さて、ここで決着するのでしょうか?




