鋼鉄の覇者 その五
新章閉幕します!
「ハハハ! 待っていたぞメロルス! 俺の新しい身体を、お前の拳でどこまで壊せるか試してくれよ!」
狂ったように笑うゼノの駆動音が、地下闘技場に不気味に響き渡る。
メロルスは己の目を疑っていた。
目の前にいる男のフォルム。異様に肥大化した金属の四肢、鈍く光る装甲の質感、そして殺戮のためだけに最適化されたその禍々しいシルエット。
それは、かつてあの危険な遊園地で、ヒューゴと二人がかりで死力を尽くし、ようやくの思いでスクラップに変えたはずの「あの怪物」と、あまりにもそっくりだった。
(嘘だろ……なんでアイツがここにいるんだ……!?)
一瞬にして脳裏をよぎるあの日の悪夢。背中を駆け抜ける冷たい戦慄。
あまりの衝撃に、メロルスの思考は完全にフリーズしかけていた。
だが、審判は容赦なく右手を振り下ろす。
「決勝戦、試合開始!!」
その合図と同時に、ゼノの巨体が爆発的な速度で突進してきた。遊園地の悪夢がそのまま現実になったかのような、圧倒的な質量の暴力がメロルスに迫る。
「ハア……ハア……どうすりゃいいんだ……!」
「おいおい、どうした新人! 防戦一方じゃつまらねえなぁ!」
ゼノの超高出力の拳が、メロルスの顔面の紙一重をかすめて背後のコンクリート壁を粉砕する。
メロルスは必死に距離を取りながら、激しく脈打つ心臓を抑えて相手を睨みつけた。
確かに姿形はあの怪物と同じだ。だが、何かが決定的に違う。
遊園地の怪物は、ただ命令に従うだけの冷徹なマシーンのようだった。しかし、目の前の男の瞳の奥にあるのは、自らの命すら燃料にするような、ギラギラとした純粋な狂気。格闘への、強者への異常な執着だ。
(違う……! こいつはあの時の奴じゃねえ。……中身は別の人間だ!)
「おい、お前……!」
メロルスはステップを踏みながら叫んだ。
「お前がゼノか! ガレス・ヴェルクはどこにいる!」
その名前を聞いた瞬間、ゼノの動きが一瞬だけピタリと止まった。
そして、バイザーの奥の目を三日月のように歪め、腹の底から湧き上がるような歪んだ笑い声を上げた。
「ハハ……ハハハハ! ガレスだと? 面白いことを聞くじゃねえか。そんな奴はもう、この世界のどこにもいねえよ!」
ゼノは自身の金属の胸板を乱暴に叩いてみせる。
「優れた盾を作っても、戦う奴がゴミなら誰も救えねえ! だから俺は、俺自身を『最強の矛』に作り替えたんだよ! 脳みそ以外の96%をなァ!!」
その言葉に、メロルスは息を呑んだ。
信じたくない最悪の仮説が、確信へと変わる。
「……お前が、ガレスなのか……?」
「そうだと言ったらどうする? 泣いて帰るか? それとも、この俺を救ってみせるとでも言うのかよォ!!」
かつては誰もが慕う心優しい天才整備士だった男。彼が悪に堕ちした理由は、あまりにも深く、そして切ない絶望だった。どれだけ完璧に他人の義肢を直しても、乗る側の人間が弱ければリングの上でゴミのように壊され、命を落としていく。その無力感に耐えかねたガレスは、裏社会の闇データから「かつて探偵ヒューゴとメロルスを最も追い詰めた最強の戦闘用義体の設計図」をハッキングして盗み出し、自らの肉体を捨てて怪物へと変貌を遂げたのだ。
かつて弟を養うために泥水をすすったユンロンが、リングの底からメロルスを見つめている。
観客席では、カテリナが祈るように手を握りしめ、ヒューゴが「……チッ、あいつめ」と苦々しく煙草を咥え直していた。
哀しき戦闘狂と化したガレスの猛攻が、再びメロルスを襲う。
しかし、メロルスの目から怯えは消えていた。ユンロンとの死闘で掴みかけた『相手の力を利用する感覚』を研ぎ澄まし、OGT義手を強く構える。
「救うとか、絶望とか……そんな難しいことは知らねえよ……!」
メロルスは地を蹴り、自ら怪物の懐へと飛び込んでいく。
「だけどな……お前の帰りを信じて待ってる弟が、あそこで泣いてんだよ! だからお前をぶん殴って、意地でも連れ戻す!!」
二人の拳が、地下闘技場の中心で激しく激突した。
互いの金属の拳が正面から激突し、凄まじい火花が二人の顔を照らし出した。
ガレスの放つ一撃は、かつて遊園地で戦ったあのマシーンを遥かに凌駕する重さと、何より「殺意」を超えた「執念」が乗っていた。機械の出力だけではない、彼自身の魂が削り出されるような暴力だ。
「ハハハ! いいぞ、メロルス! それだ、その拳だ!!」
ガレスは狂ったように笑いながら、すぐさまもう一本のショベル状のアームを横薙ぎに振るってくる。メロルスは先ほどユンロンとの戦いで掴んだ感覚を必死に手繰り寄せた。正面から受け止めれば、今のボロボロの肉体ごと消し飛びかねない。
(力を合わせるんじゃねえ、流れを掴むんだ……!)
メロルスは迫り来るアームの軌道に対し、あえて自らの義手を滑らせるように接触させた。強烈な横へのエネルギーを、円の動きで自身の背後へと受け流す。
ズガァァァン!!!と、メロルスのすぐ横を通り抜けたガレスのアームが、リングの鉄柵を紙屑のように引きちぎった。
「ほう、受け流したか! だが、俺の身体には『限界』なんてねえんだよ!!」
ガレスの全身の排気口から、過負荷を示す赤い蒸気が噴き出す。90%以上を機械に変えたその肉体は、人間の痛覚も、恐怖も、肉体的な限界をも無視して動き続けることができる。彼が次の突撃のために深く腰を落としたその瞬間、メロルスは叫んだ。
「限界がねえだと!? 嘘言ってんじゃねえよ!!」
「何だと……!?」
「お前のその身体のパーツ、誰が一番よく知ってると思ってんだ! ガレス・ヴェルク!!」
メロルスは激しく息を荒げながら、ガレスの駆動シリンダーの「繋ぎ目」を睨みつけた。
どれだけ強力な軍用設計図をハッキングして使おうとも、それを組み上げたのは、他ならぬガレス自身だ。そして彼は、かつて弟が誇らしげに語っていた通りの男だった。
『料金は、めちゃくちゃ良心的だ』
『他の整備士が一週間かける大修理を、たった一晩で終わらせる』
(あいつの弟は言ってた……あいつは昔から義肢をいじるのが、本当に好きだったってな)
どれだけ絶望し、どれだけ戦闘狂を気取っていようとも、ガレスの根底にあるのは「完璧な整備士」としての魂だ。彼が組み上げたこの戦闘用義体には、一箇所の無駄も、一箇所の不合理もない。
だからこそ、完璧すぎるがゆえに、整備士としての「癖」がその構造に100%現れている。
「お前は、乗る奴が弱いから誰も救えないって言ったな……。だけどな、お前が直した義肢で、命を救われた奴だって数え切れないほどいるはずだ! お前がやってきたことは、絶対にゴミなんかじゃねえ!!」
「黙れぇぇぇ!!!」
ガレスの瞳の奥の光が、激しい動揺とともに乱れる。
排気音を轟かせながら、ガレスが肉迫する。そのスピードは、先ほどまでのどれよりも速い。
だが、メロルスはもう怯まなかった。
ガレスが放つ完璧なストレート。その一撃が放たれる直前、肩の装甲がわずかに数ミリ、冷却のために開く「癖」を、メロルスは見逃さなかった。
(そこが、お前の弱点だ……!)
メロルスはユンロンから学んだ、相手の踏み込んでくる力を利用する体捌きで、ガレスの拳のわずかな外側へと滑り込んだ。ガレス自身の凄まじい突進力が、メロルスのカウンターの威力を何倍にも跳ね上げる。
「戻ってこい、ガレス!! お前の帰りを待ってる、あの場所へ!!!」
限界を超えてキィィィンと絶叫する義手を、メロルスはガレスの剥き出しになった肩の駆動部に、寸分の狂いもなく叩き込んだ。
闘技場全体に鋭い金属音が響き渡った。
メロルスの狙い澄ましたカウンターが、ガレスの肩の駆動部に完璧なタイミングで直撃した。ガレス自身が持っていた凄まじい前進エネルギーが、その衝撃を何倍にも膨らませて自らの身体へと跳ね返る。
「ガ、あ……ッ!?」
過負荷を起こしたガレスの右腕から激しい火花が散り、システムエラーを示す赤い光がバイザーに点滅した。強固だったはずの巨体が、その一撃の衝撃で大きくよろめく。
「ハア……ハア……!」
メロルスは追撃の手を止め、拳を握りしめたままガレスを真っ直ぐに見
据えた。
「おい、ガレス! これでもまだ、自分の作ってきたものが全部無駄だったって言い張るつもりか!」
ガレスは壊れた右腕をだらりと下げたまま、信じられないものを見るかのようにメロルスを見返した。自分が完璧に組み上げたはずの理論が、その整備の「癖」を見抜かれたことで打ち破られたのだ。バイザーの奥の瞳から、先ほどまでの血走った狂気が、少しずつ消え失せていく。
「なぜだ……。俺の設計に、狂いはなかったはずだ……」
「狂いがないから、分かったんだよ。お前がどれだけ丁寧に、その腕を組み立てたか。お前はどれだけ絶望したって言ったって、心の底から『
壊すためのマシーン』にはなりきれてねえんだ」
メロルスは一歩、また一歩と近付いていく。
「もう終わりにしよう。お前の技術を、お前の帰りを待ってる弟のために使ってやれよ」
その言葉が、地下闘技場の静寂に深く染み渡っていった。ガレスは静かに天を仰ぎ、残された左腕をゆっくりと下ろした。
ガレスは深くため息を吐くと、全身の駆動音を完全に停止させた。バイザーの光が静かに消え、そこにはただ、憑き物が落ちたような一人の男の顔があった。
「……俺の、負けだ」
その言葉と同時に、審判のホイッスルが鳴り響く。
『勝者、メロルスーーー!!! アイアンリング、新王者の誕生だぁぁぁ!!!』
割れんばかりの歓声が地下闘技場を包み込む中、メロルスはその場にへたり込んだ。全身の痛みが一気に押し寄せてくる。
数日後。スラムの片隅にある、いつもの探偵事務所。
ガレスは弟の手によって最低限の修復を受け、人間の服を上から羽織ってソファに座っていた。その隣には、涙を拭いながら兄の義体の手を握りしめる弟の姿がある。
「本当に、ありがとうございました」
弟が何度もメロルスとヒューゴに頭を下げる。
「気にするな。……それより、これからどうするんだよ」
メロルスが包帯だらけの体で尋ねると、ガレスは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「もう一度、裏方からやり直すよ。これからは壊すためじゃなく、誰も壊されないような……そんな、あいつらを本当に守れる義肢を作るために、この腕を使う」
「そりゃいい。今度俺の義手もタダで見てくれよな」
メロルスが笑うと、ガレスも「少しは色を付けてやるよ」と微笑み返した。
二人が事務所を去っていった後、ヒューゴがソファに深くもたれかかりながら、ニヤニヤとメロルスを見つめる。
「いやー、大活躍だったねえ、新王者。お陰で俺の賭け金も大化けして、今夜のデートは最高級の店を予約できたよ」
「結局それかよ! お前なあ、少しは俺の心配しろ!」
「心配してたさあ。カテリナなんて、うちわを振り回しすぎて肩壊したって言ってるぞ?」
「本当に痛いですぅ、メロルスさん湿布貼ってくださいぃ」
賑やかさを取り戻した事務所の窓の外には、いつもの汚れたスラムの景色が広がっていた。だが、メロルスの胸のうちは、どこかこれまでよりも少しだけ晴れやかだった。
ここに閉幕!




