鋼鉄の覇者
「ハア……ハア……どうすりゃいいんだ……!」
地下の薄暗い闘技場。激しく息を荒げるメロルスの視線の先には、以前一度だけその姿を見たことがある、異形なる義体の男が立っていた。
数日前、探偵事務所。
トントン、と小気味よい音で事務所のドアが叩かれた。
「どうぞー」
ヒューゴの気の抜けた返事に応じて入ってきたのは、油と泥で汚れた整備服を着た小柄な青年だった。
「し、失礼します……」
「お席へどうぞ」
カテリナが慣れた手付きで案内し、青年はヒューゴの目の前にあるソファへ腰を下ろした。
「さて、今日はどうされました?」
ヒューゴが尋ねると、青年はすがるような目で言った。
「あ、兄が失踪してしまったんです」
「はいはい……失踪、っと」
いつものことだとばかりに、ヒューゴは気だるげにメモ帳を取り出す。
「兄は、その……『アイアンリング』っていう格闘競技に出場する選手のOGT義肢を診断、修理する整備士なんです。名前はガレス・ヴェルクといいます」
その瞬間、事務所のデスクで退屈そうにふて寝していたメロルスが、弾かれたように飛び起きた。
「ガ、ガレス・ヴェルクって、あのガレスか!?」
「は……はい……」
青年が戸惑いながら頷く。ヒューゴは不思議そうに首を傾げた。
「誰なんだそれ?」
「誰なんだじゃねえよ!」
メロルスが珍しく激しくデスクを叩いた。
「アイアンリングを知ってる奴で、あいつを知らねえ奴はいねえ!」
「そんなに有名なんですかあ?」
お茶を運びながらカテリナが聞くと、メロルスは真剣な表情で深く頷いた。
「アイアンリングはOGT義肢が命だ。試合中に壊れりゃ終わり。出力が狂っても終わり。下手すりゃ選手が死ぬ。ガレス・ヴェルクはな、その世界じゃ『生ける伝説』なんだよ!」
それを聞き、弟である青年が少し誇らしそうな顔を浮かべる。
「兄は昔から、OGT義肢をいじるのが本当に好きで……」
「好きとかそういうレベルじゃねえ!」
メロルスが図々しくも熱弁を振るって遮る。
「アイアンリングの王者の半分くらいは、あいつの整備を受けてるんだ。去年のチャンピオンも、その前のチャンピオンも、さらにその前もだ!」
「へえ、マジで?」
ヒューゴがようやく片眉を上げた。
「マジだ。あいつは選手を一目見ただけで義肢の癖を見抜く。試合映像だけで不具合箇所をピンポイントで当てる。他の整備士が一週間かける大修理をたった一晩で終わらせる。しかも料金はめちゃくちゃ良心的だ」
ヒューゴが小さく呟く。
「最後だけ急に現実的なメリットだな」
「一番重要だろ」
メロルスの目は本気だった。
青年は再び不安そうに俯く。
「でも、兄は選手じゃありません……」
「だからこそヤバいんだよ」
メロルスは声音を低くした。
「アイアンリングじゃ、選手はスターだ。だが整備士はあくまで裏方。その裏方の名前が、観客席から大歓声で叫ばれるレベルなんだぞ」
事務所に重苦しい沈黙が落ちる。
ヒューゴはニューロパフを咥え、煙を吐き出した。
「なるほどね。そんな有名人が、突然煙のように消えたと」
青年は震える声で答えた。
「続けますね?……数日前です。仕事へ向かったきり、帰ってきません。警察にも相談しました。でも……」
言葉を詰まらせる青年を見て、メロルスの顔つきが鋭くなる。
「最後に向かった場所は?」
「アイアンリングの会場です」
「やっぱりそうなのか……」
メロルスは頭を抱えた。その様子を見たヒューゴの目が、悪戯っぽく輝く。
「よし、メロルス。お前、競技選手としてあそこに潜入してこい」
「はあ!? なんでだよ! いきなり選手として出るのはおかしいだろ!」
即座に反論するメロルスに対し、ヒューゴは椅子にもたれかかりながら人指し指を一本立てた。
「まず一つ。俺、明日デート!!」
「バカかお前は!」
メロルスのツッコミが炸裂する。
「いや、大事だろ!」
「人探しより優先することか!?」
「人生には優先順位ってものがあーる」
「最低だな、お前……!」
隣でカテリナも完全に呆れ顔だ。
「最低ですねえ」
「おいおい、二対一は卑怯だろ」
ヒューゴは不満そうに口を尖らせたが、すぐに声音を真面目なトーンへと切り替えた。
「まあ、半分は冗談。アイアンリングのコミュニティは閉鎖的すぎるんだ」
ヒューゴは手元の端末をデスクに放り投げた。そこには、彼が即座にハッキングして集めた情報が表示されている。
正式名称――《アイアンリング・コロシアム》。
通称、《鋼環闘技場》。
地下深く、陽の光の届かない場所に存在する巨大な格闘リーグ。
メガコーポのスポンサー利権、莫大な賭博、最先端のOGT義肢メーカーの実験場、そして違法改造。あらゆる欲望と闇が絡み合う、混沌とした黒い世界だ。
「警察もSHLDも簡単には入れない。表向きは合法だから、強引にガサ入れすれば企業間の大問題に発展する。観客も選手も大勢いますからね」
カテリナの補足に、青年がさらに青ざめる。
「じゃあ、やっぱり兄は……」
「そこに囲い込まれている可能性は高いな」
メロルスが言い、ヒューゴも頷いた。
「ガレスほどの整備士が急に消えて、最後に向かった先がアイアンリング。偶然とは思えない。……というわけで、メロルス」
「だから、なんで俺なんだよ」
ヒューゴはニヤリと笑う。
「お前、"普通より"は強いじゃん」
「雑だな、理由が」
「あと、OGT義手持ちだ」
「お前もだろうが!」
「それに……潜入すればガレスに直接会えるかもしれない。なんなら、カテリナにもモテるぞ?」
ヒューゴが小声で囁くと、メロルスは「ぐっ……」と言葉を詰まらせた。
「よっしゃ、決まりだな! 試合の時はリシアとカテリナと一緒に見に行ってやるからよ!」
「くそ、わかったよ……!」
こうして依頼人を帰した後、事務所の一同は必死に情報を集め始めた。ヒューゴは明日のデートに仕事を持ち越さないために。
カテリナは周辺の企業関係を洗うために。
そしてメロルスは出るからにはガレスを見つけ出すために。
「……チッ」
メロルスは端末に映る過去の試合映像を睨みつけた。
出場者は義肢格闘家、軍人の崩れ、賞金稼ぎ、元兵士、凶悪犯罪者――ありとあらゆる猛者たちだ。優勝賞金は数千万リアル。当然、参加者のレベルは異常だった。
画面の中では、両腕を重機アームに換装した大男が相手を文字通り吹き飛ばしている。別の映像では、脚部をバッタのように改造した選手が壁を蹴り、空中から鋭烈な膝蹴りを叩き込んでいた。
「うわあ……」
カテリナが顔をしかめて引いている。
「怖すぎます……」
「これでもまだ上位じゃねえんだ」
メロルスは画面を切り替えた。
「本当にヤバいのは、このトップ連中の一人だ」
そこに映し出されたのは、一人の男だった。
束ねた黒髪、細身の体躯。義肢はなく、完全な生身。参加条件に義肢は必須ではないものの、画面の向こうの観客席からは激しいブーイングが飛んでいた。
『生身かよ!』『田舎へ帰れ!』『死ぬぞ!!』
だが、試合開始わずか十秒後、巨大なOGT義体格闘家が頭から床へぶちのめされていた。まさに一撃必殺。
静まり返る観客席を背に、その男は静かに一礼してリングを去っていく。
「……誰だ、こいつ」
ヒューゴの目が細くなる。
「梁 雲龍」
メロルスは険しい表情で答えた。
「今のアイアンリングで、最強候補の一人だ。全身生身、特殊能力なし、B・OT手術もなし。なのに、最先端の義体トップ連中をことごとく潰して回ってる、何十年も地下格闘技を渡り歩いてきた本物の化け物だ。年齢は五十近い」
「うっそぉ?」
ヒューゴが眉を上げ、カテリナも驚愕する。
「五十歳で現役なんですかあ?」
「現役どころか、ブッチギリの優勝候補」
メロルスは苦々しく言った。
次の日の夜、アイアンリングの受付。
「すいません、いらっしゃいますか」
無人の受付にメロルスが声をかけるが、なかなか誰も出てこない。
「いないんですかね」
「いるよ」
奥のカーテンを乱暴に開けて、気の強そうな女が現れた。
「受付ね、はいはい。アンタら新規? じゃあここにサインしな」
「あっ、はい……」
緊張でガチガチになりながら、メロルスは誓約書にサインをしていく。
受付を済ませ、重い鉄の扉を開けて地下へと降りると、そこには広大な円形闘技場が広がっていた。組み上がった鉄骨、網膜を刺す強烈な照明、そして地を震わせる歓声と怒号。
「うおおおおおお!!」
「殺せぇ!!」
「腕をもぎ取れ!!」
「……怖ぇな、ここ」
メロルスは若干引き気味に肩を回した。だが、すぐに頭を振る。
(最強の暴走能力者とも、危険な遊園地でも戦ってきたんだ。……今さら、これくらいでビビるかよ!)
――第一試合。
相手は、OGT義足に皮下シールドを搭載した、いかにも裏社会らしいカスタムの男だった。試合開始と同時に、男が超高速のタックルを仕掛けてくる。普通の新人なら一撃で肉塊にされる速度。
だが、メロルスの目には見えていた。
「遅い」
最小限の動きで横へ回避し、男の背後へ回り込む。ガチガチのOGT義手の腕を首へ回し、そのまま全体重を乗せて後頭部をコンクリートの床へ叩きつけた。
激しい衝撃音。たった一撃で勝負は決し、実況すらも「……え?」と硬直した。
第二試合。
両腕を凶悪なチェーンソー義肢へ換装した狂人が現れた。
「ウヒャハハァ!!」
チェーンソーが耳を劈く金属音を立てて唸る。だが、メロルスは恐れずに前へ踏み込んだ。
(監視所で戦ったグバヤはもっと速かった。遊園地の義体男はもっと危険だった!)
唸る刃の軌道を紙一重で潜り抜け、無防備な懐へと飛び込む。
腹へ、一発目
悶絶する肋骨へ、二発目
跳ね上がる顎へ、三発目
流れるような三連撃で男は崩れ落ち、試合は終了した。
電撃義肢、火炎放射、伸縮式ワイヤー。次々と異形の刺客が現れるが、メロルスは勝って、勝って、勝ち続けた。途中で自身の戦闘効率を上げるため、手に入れた賞金で自らの肉体に皮下シールドを実装し、さらに防御を強化する。
格闘技の教科書から見れば、メロルスの戦い方は間違いだらけだったかもしれない。だが、彼は泥臭く「生き残る方法」だけは誰よりも知っていた。
観客席がにわかにざわつき始める。
「あの新人、何者だ?」
「いや、データにねえぞ!」
「異常だろ、あの強さ……!」
数日後、メロルスは瞬く間にトップランクへと到達していた。ここから先は、優勝候補のトップランカーにも挑戦できる領域だ。
精神的にも肉体的にも摩耗しきっていたが、ガレスの情報を掴むため、メロルスは次なる対戦相手が待つリングへと向かう。
ドォォォン……! と地響きが鳴り響き、観客席のボルテージが爆発した。
「来たァァァ!!」
「重機王だ!!」
「粉砕しろ!!」
「ぶっ殺せぇ!!」
鉄格子の向こうから現れたのは、身長二メートル半を超える巨漢だった。いや、その異常な体躯は、両腕に換装された歪な巨大ショベルカーのアーム。建設現場で使われる本物の重機パーツのせいだ。
「嘘だろ……」
メロルスが呆然と呟く中、実況の絶叫が響き渡る。
『アイアンリング重量級ランキング第五位ィ!! 鉄塊の破壊王!! ギガント・ブルドーザーぁぁぁ!!』
あまりの圧倒的な威圧感に、会場の歓声が爆発する。
「新人ン」
スピーカーを通したような、油圧混じりの重苦しい声が響く。
「ここまで来たのは褒めてやる。だが、お前はここで『It's over』だ」
メロルスの額から冷たい汗が流れた。今までの有象無象とは格が違う。
審判が鋭く手を振り上げた。
『試合開始!!』
凄まじい駆動音と共に、巨大なショベルアームが容赦なく振り下ろされた。闘技場の床が派手に削られ、コンクリートの破片が爆風のように吹き飛ぶ。メロルスは死に物狂いで床を転がり、間一髪で回避した。
「なんだよそれ!?」
ショベル男は攻撃の手を緩めない。右、左、上、下。まるで工事現場の破壊作業さながらの猛攻がメロルスを襲う。
数分後――。
メロルスの全身は傷だらけになっていた。肩を裂かれ、脇腹を強打され、太腿からは血が流れている。実装したばかりの皮下シールドはすでに過負荷でボロボロ、呼吸も完全に限界を迎えていた。
対する「重機王」は、ほぼ無傷だ。
「ハア……ハア……」
床にメロルスの汗が滴り落ちる。巨大な影が、ゆっくりと、確実に距離を詰めてくる。
「終わりか?」
無慈悲に持ち上げられるショベルアーム。勝利を確信した観客席が最高潮に沸き立つ。
その絶望の淵で、メロルスの脳裏に数々の記憶が蘇っていた。
監視所で死にかけたあの日。
遊園地で義体男と命を削り合ったあの日。
雨あられと銃弾が飛び交った凄惨な現場。
――そして、いつも自分に理不尽な無茶を押し付けてくる、あのニヤケ面の探偵の顔。
「……チッ」
メロルスは痛む身体を無理やり奮い立たせ、苦しくも力強く立ち上がった。
「こんなところで負けちまったら……あいつに一生バカにされ続けるじゃねえか……!」
巨大な鉄の塊が迫り来る中、メロルスはしっかりと腰を落として拳を構え、その目に見事なまでの「覚悟」の光を宿した。




