フラグ回収はコーヒーの後に
「そういえば知ってます、ヒューゴさん?」
静寂が心地よい喫茶店の片隅で、店員のリオンがトレイを片手に話しか
けてきた。
「なにが?」
「ほら、これですよ」
差し出されたスマートフォンの画面を、ヒューゴは手元のコーヒーを啜りながら覗き込む。
画面の中では、煌々とスポットライトに照らされた巨大なステージが映し出されていた。観客席を埋め尽くすのは、いかにも業界人といった風体の記者や投資家たち。
背後の巨大なスクリーンには、大手企業『NISIKI』の洗練されたロゴが鎮座している。
「へえ、新製品の発表会か?」
「ええ。今、ネットでものすごい話題なんですよ」
ステージの中央へ向かって、一人の男が自信に満ちた足取りで歩み出てくる。仕立てのいい黒いスーツを完璧に着こなし、カメラに向けて洗練された微笑みを向けるその男は――NISIKIの開発統括プロデューサー、東堂蓮だった。
割れんばかりの拍手が会場を包み込む中、東堂は両手を広げて大衆の歓声を受け止める。
『皆様、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます』
東堂の声に合わせて、背後のスクリーンが次々と切り替わった。
過酷な建設現場、粉塵の舞う災害救助の最前線、巨大な物流倉庫、そして精密機械が並ぶ工場。そこにある共通点は、黙々と働く「人型機械」の姿だった。観客席からどよめきが漏れる。
『労働者不足、危険作業、そして長時間労働……。現代社会が抱えるこれら全ての課題を、一挙に解決する存在。それが――』
言葉の途中で、会場の照明が完全に落とされた。
直後、ステージの奥から重苦しい金属足音が響き渡る。闇の中から現れた巨大なシルエットに、観客の息が止まった。
スクリーンに映っていた従来のものとは一線を画す、全高二メートルを超える威容。
白磁のような装甲に覆われた強固なボディと、その中央で冷徹に輝く無機質な赤いセンサーアイ。
東堂が誇らしげに声を張り上げる。
『次世代多目的労働支援機――《WALKER》!』
凄まじい拍手が巻き起こる中、ウォーカーは静かに歩みを進めた。その一歩一歩が、見る者に強い衝撃を与える。
これまでの人型ロボットは、姿勢制御の限界や運動性能を確保する都合上、どうしても前傾姿勢の「半直立」になるものがほとんどだった。しかし、このウォーカーは違った。人間と見紛うほどに自然な直立姿勢を保ったまま、滑らかに、そして力強く床を踏みしめている。
『建設、災害救助、重量物運搬、危険区域作業。その全てを、この一台が完璧にこなします』
紹介映像へと切り替わり、数トンの鉄骨を軽々と持ち上げる姿や、崩落現場の瓦礫を瞬時に撤去する様子、さらには猛烈な火炎が渦巻く火災現場へ突入していくウォーカーが映し出される。客席からは感嘆の声が漏れ聞こえた。
『さらに、最新型の自律思考AIを搭載。もちろん、人間との自然な会話も可能です』
東堂がふと振り返り、傍らの巨体に問いかけた。
『ウォーカー、今日の日付は?』
『2138年7月12日です』
返ってきたのは、驚くほど滑らかで、知性を感じさせる音声だった。合成音特有の硬さは微塵もない。
再び会場が沸き立ち、フラッシュの光が嵐のように瞬く。東堂は満足そうに深く頷いた。
『そして、皆様お待ちかねの正式発売日は――』
スクリーンに巨大な数字が躍る。
《10月1日》
地鳴りのような歓声と拍手が巻き起こり、配信のコメント欄はまたたく間に称賛の言葉で埋め尽くされていく。東堂は完璧な笑みを浮かべ、プレゼンテーションを締めくくった。
『未来は、もう始まっています。NISIKIは人と機械の新たな共存を実現します』
「すごいですよねぇ……本当にSFの世界ですよ」
リオンが感心しきった声を上げる。
ヒューゴは残ったコーヒーを最後の一滴まで飲み干し、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「んー……」
「あれ、興味ないんですか?」
「いや、ないわけじゃないが」
画面の中で赤く光るウォーカーのセンサーアイを見つめながら、ヒューゴは顎をさする。
「だってよ、こんな大大々的な発表があったら、普通は『フラグ』だと思わないか?」
「ふらぐ、ですか?」
突飛な単語に、リオンはパチクリと目を丸くした。
「考えてもみろ。俺は普段から変な事件や厄介事にばかり巻き込まれる性質だぞ? こんな超高性能なデカブツが世に放たれるなんて、何かの事故で大暴走でもする前振りにしか見えねえよ」
「ああ……確かに。ヒューゴさんの引きの強さを考えると、妙に説得力がありますね」
リオンは苦笑しながら、得心のいった様子でスマートフォンをスリープモードにした。バックライトが消え、暗くなった液晶画面に、いつもの静かな喫茶店の照明が映り込む。
「その『フラグ』、本当に回収されなきゃいいんですけど」
「実際、あんなパワーのある機械が街中を歩くようになるんだ。もしAIがバグったとか、悪質なハッカーにハッキングされたとか、そういうベタな展開になったら真っ先に俺の前に降ってきそうだ」
ヒューゴは空になったカップをソーサーに戻し、椅子の背もたれに深く体を預けた。
「まあ、うちはただの路地裏の喫茶店ですし、あんな最先端の高級ロボットがこんな場所にやってくるわけないですよ。都市伝説じゃあるまいし、大丈夫ですって」
「そうだといいんだがな……」
ヒューゴが窓の外へ視線を向けると、そこにはいつもと変わらない、穏やかで退屈な街並みが広がっていた。しかし、長年の経験で培われた胸の奥の妙な胸騒ぎだけは、どうしても消し去ることができなかった。




