箱入り娘と運び屋 その三
三日後のスラム地区、廃倉庫街。レイナと美鈴は、路地裏の屋台で焼き串を食べていた。
「美味しいです!」
「三本目だぞ、お前」
「幸せです!」
「安上がりな奴だな」
あまりの美鈴の可愛さに、レイナはなんだかんだと言いながら、ずっとポケットマネーで彼女の面倒を見ていた。
その時、レイナの端末が短く震えた。
反射的に画面を確認する。裏社会で懇意にしている情報屋からの連絡だった。
文面は、一言だけ。
『逃げろ』
「……は?」
怪訝に思うレイナの元へ、続けざまにメッセージが届く。
『ヒューゴ・ヴァレンタインが動いた』
その名を目にした瞬間、レイナの顔色が変わった。
ヒューゴ・ヴァレンタイン。
表向きは探偵兼便利屋、実態は厄介なトラブルメーカー。
そして、このスラムの裏社会には、彼を呼ぶ別の名があった。
“追跡者”と。
その数分前。寂れた探偵事務所。
「五百万リアル」
提示された金額に、ヒューゴは思わず聞き返した。
「はい?」
『NISIKI』の秘書が冷徹に頷く。
「成功報酬です」
ヒューゴの思考が一瞬、固まった。
「五十万じゃなくて……?」
「五百万です」
「……!」
「ただし、美鈴様を無事に保護していただければ、ですが」
ヒューゴは勢いよく椅子から立ち上がった。
「今すぐ行きます!」
「即決ですか?」
「五百万ですから!」
「レイナさん?」
突然押し黙ったレイナを見て、美鈴が不思議そうに首を傾げる。
レイナは焼き串を放り出し、弾かれたように立ち上がった。
「行くぞ!」
「え?」
「今すぐだ!」
「どうしてですか?」
「いいから来い!」
珍しく切迫したレイナの声に、美鈴は息を呑んだ。
数時間後――。
レイナは美鈴の手を引き、必死に逃走を続けていた。
スラムの複雑な路地、入り組んだ地下道、知る人ぞ知る抜け道を網羅し、追跡を振り切ろうとする。
だが、言いようのない違和感がレイナの背筋を伝っていた。
「おかしい……!」
「レイナさん……?」
「なんで、先回りされてるんだ……!?」
どれだけ不規則にルートを変えても、網の目を狭めるように“追跡者”の影が迫ってくる。
ついに逃げ込んだ先の古い廃工場で、レイナは絶望と共に足を止めた。
「……嘘だろ」
そこに、ヒューゴがいた。
工場の中央、ぽつんと置かれたパイプ椅子に腰掛け、缶コーヒーを優雅に飲んでいる。
「おっす」
ヒューゴは、まるで待ち合わせでもしていたかのように気楽に手を振った。
彼がスラム中に張り巡らされた監視カメラの映像をハックし、すべての動線を完全に掌握していることなど、レイナは知る由もない。
「なんで場所がわかったんだ……?」
レイナが鋭く睨みつけるが、ヒューゴは平然と缶コーヒーを啜るだけだ。
「悪いんだけどさ、その子、返してくんね?」
気怠げな声に、美鈴は怯えるようにレイナの背中へと隠れた。
そして、きっぱりと言い放つ。
「嫌です!」
即答だった。
ヒューゴが少し意外そうに、片方の眉を上げた。
「へぇ」
「帰りません!」
「なんでさ?」
「レイナさんと、一緒にいたいからです!」
真っ直ぐなその言葉に、レイナの心臓が激しく跳ねる。
ヒューゴは二人を見比べ、少しだけ困ったように頭を掻いた。
「面倒だなぁ……」
次の瞬間、工場内の空気が爆発的に張り詰めた。レイナの野生の勘が、目の前の男の変化を捉える。さっきまでのダラけた雰囲気は霧散し、底の知れないプロの眼光が二人を射抜いていた。
「最後に聞くけどさ」
ヒューゴのトーンが一段下がる。
「本当に、帰らない?」
美鈴はレイナのシャツをぎゅっと握りしめ、強く首を振った。
「帰りません!」
「そう……。他人の恋路の邪魔なんて、したくないんだけどねぇ」
ヒューゴは深くため息を吐くと、右腕を水平に構えた。その視線の先で、金属質の義手に仕込まれたワイヤー射出口が、冷たい鈍色に光る。
レイナの背中を、一筋の冷たい汗が伝い落ちた。
違う視点から見た主人公っていいよね




