あたためられた剣
グバヤの妻知りたくない?ウォウウォウ
スレイノホテル事件から数週間後。
夕暮れのスラム街を、グバヤ=ングルは大きな紙袋を片手に歩いていた。中には野菜、肉、パン、それと安い酒が一本。細い路地には油と鉄の臭いが漂い、違法改造屋のネオンがチカチカと瞬いている。
「……チッ、最近なんでも高ぇな」
ぼやきながら歩くその姿は、昔なら考えられなかった。血塗れの路地を歩く方が似合っていた男が、今は夕飯の買い出しをしている。グバヤは古びたアパートの階段を上がり、錆びた鉄扉を開けた。
「グバヤ!」
奥からぱたぱたと足音。飛び出してきた小柄な女が、そのまま彼へ抱きつく。ナディアだった。黒髪を後ろで束ねた、柔らかい目をした女。
「おかえりなさい」
「おう」
グバヤは少しだけ目を逸らしながら答える。
「今日は早かったのね」
「仕事が片付いた」
ナディアは紙袋を受け取ると、中を覗き込んだ。
「あ、またお酒買ってる!」
「まあ一本ぐらい良いだろ」
「一本で終わらないから言ってるの!」
「……ぐっ」
図星だった。ナディアはくすっと笑い、そのままキッチンへ向かう。
狭い部屋だった。
古いソファ。
傷だらけのテーブル。
窓際の小さな観葉植物。
だが妙に落ち着く。
部屋の棚には、一枚の写真が飾られていた。ズィバが笑っている。グバヤは何となくその写真を見た。
「……」
ナディアが鍋を混ぜながら振り返る。
「スープ、もうできるよ」
「おう」
湯気が立ち上る。肉と香草の匂いが部屋へ広がっていく。グバヤはソファへ腰を下ろし、重そうに息を吐いた。外ではスラム街の喧騒が鳴り続けている。
怒鳴り声、バイク音、遠くの銃声。それでも、この部屋だけは静かだった。
「はい」
ナディアがスープを差し出し、グバヤは無言で受け取った。一口飲む。熱い。だが落ち着く
「どう?」
「うまい」
「ふふ、よかった」
ナディアは向かいへ座って笑う。グバヤは鼻を鳴らしながら酒瓶を開けた。
「飲みすぎ禁止ね」
「うるせぇな」
「昨日もそう言って三本飲んだでしょう」
「覚えてねぇ」
「覚えてないのが問題なの!」
ナディアが呆れたように笑う。グバヤも少しだけ口元を緩めた。それから二人は、他愛もない話をした。
近所の八百屋がぼったくりだとか。隣の部屋の住人がまた壁を壊したとか。そんな、どうでもいい話。けれどグバヤは、その時間が嫌いじゃなかった。
夜。
風呂上がりのナディアがソファへ座ったまま寝ようとしていた。髪からは石鹸の匂いがする。
「寝るならベッド行けよ」
「んー……」
眠そうな返事。
そのままナディアはグバヤの肩へ寄りかかる。
「……今日ね」
「おう」
「あなたの足音聞こえた時、すっごく安心した」
グバヤは少し黙った。ナディアは目を閉じたまま、小さく笑う。
「だから、また帰ってきてね」
グバヤは天井を見上げる。狭い部屋。薄暗い照明。
寄りかかる体温。静かな生活。
「……ああ」
短く答える。ナディアは安心したみたいに、そのまま眠り始めた。グバヤは肩を貸したまま、酒を一口飲む。窓の外では、スラム街のネオンが滲んでいた。それでもこの部屋だけは、不思議なくらい暖かかった。
泣けるっしょ




