刺青の男
一方その頃、メロルスは。
定番の使いっ走りをしていた。
「ヒューゴのやつ、昨日から全然電話に出ないな」
ヒューゴは昨日、警察に捕まりSHLDへ引き渡されたことによりスマホの電源は切られていた。
端末の履歴を睨みながら、メロルスは小さく舌打ちした。昨日の夕方あたりから完全に圏外だ。既読もつかない。電源が切られているのか、それともまたどこかで厄介ごとに巻き込まれているのか。
(どうせまた変な依頼受けて、勝手に動いてるんだろ)
そう思いつつも、胸の奥に小さな引っかかりが残る。この街は、能力者絡みの騒ぎが多い。安心できる材料が、ほとんどない。
メロルスは端末をしまった。今日の用事は、カテリナ用の事務所の備品補充と、ヒューゴが以前から欲しがっていたニューロパフの買い出しだ。面倒だが、誰かがやらなければ回らない。
「あいつが戻ってきたら文句言ってやる」
そう呟いて、メロルスは朝の市場へ足を向けた。
スラムの市場は、昼とは違う活気を帯びていた。油の匂いに肉の焼ける音、値切り交渉の声。雑多な人の流れを縫うように進む。義肢の重みを意識しながらも、足取りは意外と軽い。
そのときだった。
「もしや……メロルスではないか?」
振り向くとそこには見覚えがある顔があった。
「リャン・ユンロン……?」
以前、アイアンリングで本気で殴り合った男だ。完全な生身でありながら、改造人間を次々と沈めていた「絶対なる静寂」。
梁 雲龍だった。
メロルスは自然と義肢に力を込めた。警戒というより、身体が覚えている反応だった。
ユンロンは以前と変わらず、無駄のない佇まいでそこに立っている。五十近くに見える年齢を感じさせない静かな目。ただし、以前リングで相対したときのような、澄んだ闘志は薄く、どこか疲れた影が差し込んでいるように見えた。
「なんとも奇遇だな。いつぶりだろうな?」
「……リング以来だ」
メロルスは依然として緊張を保っている。
「なあ、何の用だ。まさか喧嘩売りに来たとかじゃないだろうな?」
「まさか」
「じゃ、じゃあ何のようだ?」
「なあに、私は弟妹達のためのただの買い物だ」
「……そうか」
そこでメロルスはようやく肩、いやOGT義手の肩の力を抜いた。だが、メロルスは一つのことを思い出し聞いてみることにした。
「なあ、ユンロン。」
「ほう。何だ?」
「アイアンリングであんたにただ一撃を与えただけで降参したんだ?」
ユンロンは少しの思案の後にこう答えた。
「歳だよ。歳」
「え?歳?」
その返答にメロルスはほんの少し面食らった。
「私ももう、50だ。早めに決着をつけないと大怪我を負い、弟妹達を心配させる。そのために早めに降参したのだ」
メロルスは一瞬、言葉に詰まった。
「……そうかよ」
素っ気なく返したが、胸の奥で何かが少しだけ引っかかる。リングの上ではあれほど圧倒的だった男が、弟妹のことを最優先に考えていたという事実が、妙に生々しかった。
ユンロンは静かにメロルスを見据えたまま、続けた。
「キミのあの一撃は、確かに私の想定を超えていた。力を返す技術……素晴らしい芸当だ。認めよう」
「褒められても何もねえよ」
その時だった。突如、メロルスの端末へと電話が掛かって来た。
メロルスはとっさに相手を確認した。
それはずっと連絡の取れないヒューゴだった。
「アイツっ!やっと連絡が繋がった!」
メロルスは端末を耳に当てる。向こうから聞こえてきたのは、激しい衝撃音と、ヒューゴの荒い息遣いだった。
「おいメロルス!聞こえてるか!」
「ああ、聞こえてる!お前、どこで何して――」
「聞いてくれ!今、俺のとこに刺客が来てる!お前のとこにもカテリナのところにも向かってるはずだ!」
「はあ?何言って――」
ここで一段メロルスの声が低くなる。
「アルレルナって女だ!能力者を無理やり作って、俺らを消そうとしてる!気をつけろ!」
電話の向こうで、何かが大きく壊れる音がした。ヒューゴの声が遠くなり、すぐにまた近づく。
「とにかく警戒しろ!切るぞ!」
「おい、ヒューゴ!」
通信は一方的に切れた。
メロルスが端末を下ろし、呆然と画面を見つめる。それをユンロンは弟妹を相手するように心配した。
メロルスからわずかに離れた位置。ひとりの男が荒い息で肩を大きくゆらし、スマホとメロルスを何度も見比べる。深々と被ったパーカーが顔を覆い隠し、その不気味な佇まいは、今にも懐から銃を取り出そうとする強盗を思わせた。
そして、男が1番肩を大きく揺らした瞬間、パーカーをバッと脱いだ。
上半身は裸で露出した肌にはところせましと
『刺青』が彫られていた。
そのまま男はメロルスの背中へ向かって突進した。
メロルスが気配に気づいて振り返るよりも早く、男の背中で刺青が鮮やかな緑の光を帯びる。光はうねり、盛り上がり、次の瞬間、男の両手に二振りのナタが収まっていた。刺青の中から、直接引き抜いたように。
ナタの刃が、朝の光を切ってメロルスの背中を目がけて振り下ろされようとしていた。




