re:FIBER
フラッシュたちによるSHLD襲撃から、数時間。
満身創痍の体を引きずりながら、ヒューゴは重い足取りで舗装路を踏みしめていた。激闘の爪痕は色濃く、衣服はボロボロで、全身の節々が悲鳴を上げている。だが、肉体的な痛みを遥かに凌駕していたのは、胸の底から湧き上がるイライラだった。
「……最悪だ」
低く吐き捨てた言葉に、苦々しい毒が混ざる。
フラッシュとの戦闘によりリシアの職場を拝むという目的すら、何一つ果たせぬまま帰るはめなったのだ。
踏んだり蹴ったりどころの話ではない。
重い足を取り直しながらノロノロと歩を進めるうちに、街はすでに活気のある朝に包まれていた。人々の眩しい視線を避けるように、ヒューゴは路地裏の影を辿っていく。
目指す先はただ一つ。老舗呉服屋テイラー・ブラウン。
怒りと徒労感で煮えくり返る頭を抱え、ヒューゴはこの上なく不機嫌な面持ちのまま、馴染みの扉へ向かっていた。
ガララッ
近未来なこの都市の店にしては時代遅れな手動のドアを開けヒューゴは入店する。
「よお、爺さんくたばったか?」
「お前より先には死なんぞ。」
ヒューゴはいつものように店内の椅子へどかっと腰掛けた。
老人はボロボロのヒューゴを上から下まで眺める。
「お前……今回はなにがあったんだ?」
「なにも。……強いて言うならでけえ目立ちたがり屋に振り回されたのさ」
そうヒューゴはぶっきらぼうに答えた。
「そんなことよりさあ、また新しく服を仕立ててくれよ。それはもう、うんと安くな!」
老人を大きなため息を吐いたあとヒューゴには目もくれず店の奥へと入り、ごちゃごちゃと何かを探したかと思うと戻ってきた。
「ほら、これを受け取れ。」
「?。なんだこれ爺さん?」
そう言って渡された物は一つのスーツケースだった。
「…………これは自己再生型ナノファイバー、《RE:FIBER》によって作られたお前専用の服だ」
「ハハっ、なんだよ爺さん頭イカれたのかよ?そんな近未来にありそうな言葉なんか羅列してさ」
「イカれてなんかおらんさ。とりあえず開けてみろ」
そう言われヒューゴは訝しみながらもそのスーツケースを机に置いて開錠した。
中に収められていたのは一着の黒いスーツだった。
それは、ヒューゴが普段着ているものとなんら変わりないスーツだった。派手な装飾もなければ、きらびやかな光沢もない。どこにでもある、至極ありふれた一着だ。
「……普通のスーツ……だな」
「渡してみろ」
「?」
「いいから!」
老人に急かされヒューゴは中身のスーツを手渡す。そのスーツを老人は受け取り机の上に広げた。するとどこからともなく手慣れた動きでナイフを取り出し……
ズバッッ
老人はそのスーツの袖を切断してみせた。
「おいおい!?勿体無いだろ!?」
「いいから袖を見ておけ」
有無を言わせぬ言葉にヒューゴはただ袖を見るしかなかった。
切断面から生じた異変に、ヒューゴは目を細めた。
切断された袖の断面から這い出してきたのは、黒い糸のような繊維だった。一本、二本、三本。まるで自我を持つ触手のように蠢くそれは、互いに絡み合いながら、離れ離れになった二つの布地をじわじわと引き寄せていく。
「……なんだ、これ」
不気味な光景に、ヒューゴは思わず身を乗り出した。
黒い糸は対岸の切断面へたどり着くや否や、互いの隙間を埋めるように緻密に縫い合わさっていく。ほんの数秒ののち、そこには傷ひとつない、元通りの袖が残されていた。
「………」
ヒューゴは完全に絶句した。そして、数秒後にようやく口を開いた。
「なあ、爺さん。」
「ああ、どうした?」
「俺ら長い付き合いだよな?」
「ああ、そうだな」
「あんた一体、なんでこんな物を持ってるんだ?というか何者なんだ?」
そう言うと老人はヒューゴから目をそらし遠い目で語り出した。
「私はな、昔、軍の研究開発班にいたのだ。その時だった。ついに成功したのだ」
「……成功?」
「ああ」
老人は、今しがた結合したはずの袖口を愛おしそうに指先で撫でた。
「自己再生型ナノファイバー。その名の通り、破損した繊維を自律的に修復する革新的な素材だ」
「軍が、服の研究を?」
「服に留まらないさ」
老人はどこか遠くを見る目をして、ふっと自嘲気味に笑った。
「防護服、軍用テント、車両の装甲材から医療用の人工皮膚まで。応用範囲は計り知れなかった。兵士の装備が戦場で裂けようと自動で塞がる。まさに夢の技術だった」
「へぇ……」
ヒューゴは視線を落とし、何食わぬ顔で佇むスーツを改めて見じろいだ。
「じゃあ、これも軍の放出品ってわけか?」
「いや、試作品だ」
「試作品?」
「正確には、最終試験を目前に控えていた段階のな」
老人は胸の奥から重い息を吐き出した。
「研究は実に実に順調だった。……ただひとつ、致命的な問題を残してな」
「問題?」
「製造コストだ」
老人はそっと人差し指を立ててみせた。
「一着作るだけで、最新鋭の戦闘機が数機買えるほどの予算が吹き飛ぶ。軍の上層部は首を縦に振らんかったよ。『どれほど優秀でも、補充の利かん兵衣に価値はない』とな。結局、計画は凍結され、研究班も散り散りになった」
「なるほどね……で、なんでそんな国家機密級のシロモノが、場末の仕立屋に転がってるんだ?」
ヒューゴが半信半疑の眼差しを向けると、老人は気まずそうに咳払いをひとつした。
「……解散のどさくさに紛れて、私がこっそり持ち出したのさ。技術を闇に埋もれさせるには、あまりに惜しかった。だから長年、この店の奥で個人的に改良を続けていたんだよ。コストを下げる目途はとうに諦めたがね」
老人は愛おしそうにスーツへ視線を落とし、それからポンとヒューゴの肩を叩いた。
「だが、どんなに頑丈な服も、着る人間が役立ててくれなきゃただの布切れだ。満身創痍で街を這い回るバカにこそ、お誂え向きだろう?」
「……へえ……言っとくがタダじゃなきゃ貰わねえぞ」
ヒューゴは軽口を叩きながらも、目の前の一着に手を伸ばした。ずっしりとした見た目に反して、触れた生地は羽のように軽い。これがあれば、もう二度と戦闘のたびに服を買い替える破目にはならずに済みそうだった。
「代金ならもう払ってもらっているさ。……お前が生き延びて、こうしてくだらん減らず口を叩きにくる。それだけで十分な研究データだ」
老人はニヤリと不敵に笑うと、背を向けてカウンターの奥へと戻っていった。




