第38話 夜道
駅前の賑わいを背に、二人は静かな住宅街へと入っていった。 時刻はもうすぐ七時。街灯が等間隔にオレンジ色の光を落とし、二人の影が伸びては縮むのを繰り返している。
先ほどまでの
「送る、送らない」
のやり取りの名残で、二人の間にはまだ少し、こそばゆいような沈黙が流れていた。
(……ラノベだったら、ここで何か気の利いたセリフを言う流れだよな)
優は内心でそんなことを考えながら、隣を歩く最川さんの様子を伺った。 彼女は少しうつむき加減で、自分のサンダルの先を見つめながら歩いている。いつもならマシンガントークが炸裂するはずなのに、今は驚くほど静かだ。
「ありがとね、やっぱ水瀬くん優しいよね」
夜道、最川さんが唐突にそう言った。
「あ、うん。そんなことないと思うけど……。普通だよ、普通」 「ふふ、その『普通』ができるのが優しいってことだよ」
そんな何気ない会話をしながらしばらく歩くと、彼女が足を止めた。 「ここが私の家」
街灯の光に照らされたのは、築40年ほどだろうか、年季の入った二階建てのアパートだった。
「ここが……」
思わず声が出た。学校での華やかな彼女からは想像もつかない、生活感の滲むその建物に、優は言葉を失う。 「あはは、驚いた?」
最川さんが茶目っ気たっぷりに笑う。優は慌てて首を振った。
「いや、そういうことじゃなくて……! その、静かそうな場所だなと思って」
焦って言葉を探す優に、最川さんはどこか遠くを見るような、穏やかな目でアパートを見上げた。
「私ん家ね、パパが一人で育ててくれたんだ。だから、そこまでお金はないんだけど……。でも、ここ、結構気に入ってるんだよね」
さらりと打ち明けられた事実に、優は胸の奥が締め付けられるような感覚になった。彼女がいつも明るく、みんなを笑わせていた理由が、少しだけ分かった気がしたからだ。
するとその時、二階のベランダの窓がガラッと開いた。
「あ、お姉ちゃん!」
幼い少年の声が夜の静寂に響く。最川さんの弟くんのようだ。 最川さんはパッと表情を輝かせ、大きく手を振った。
「ただいま! 今すぐ上がるからね!」
弟の声に、彼女はいつもの「元気な最川さん」に戻っていた。彼女は優の方を向き、いたずらっぽく、けれど心からの親愛を込めて微笑む。
「じゃあ、またね。水瀬くん、本当にありがとう」
「……うん、また。おやすみ、最川さん」
彼女は軽やかな足取りで、錆びた鉄の階段をトントンと駆け上がっていった。 優は、二階の通路で弟と再会して笑い合う彼女の声を背中に聞きながら、ゆっくりと歩
き出した。
(……俺、何も知らなかったんだな)
ラノベのヒロインには、誰にも言えない事情があることが多い。 けれど、目の前で笑っていた最川さんの「現実」は、どんな物語よりも力強く、優の心に深く刻まれた。 帰り道、手のひらに残る潮風の匂いと、彼女の言葉を反芻しながら、優は自分の「優しさ」について、少しだけ考えを巡らせた。




