五十話
久々の実家での暮らしはどこか落ち着かないことが多い。一人暮らしに慣れていたせいで、生活空間に誰かがいることがどうしても不自然で落ち着かない。
予定が無くても朝早くに起こされ、下に降りると朝食が用意されている。
ご飯に具の多い味噌汁、父の弁当用に焼いた鮭と玉子焼き、晩の残りの煮物。はじめは「朝は食べられないから」と拒否していたが次の日には匂いに負けて食べるようになった。今までは一日に一食、食べるか食べないかの生活だったのに、今では一日二食、ないしは三食しっかり食事を摂っている。
……少し太ったかもしれない。
洗濯物も朝に行ない外に干すから昼頃には乾いている。夜にはお湯の張った湯船がある。小さなことだけど、一人暮らしではなかなかできないことだらけ。
どれも習慣に溶け込んでしまっていた私の好きが少しだけ戻った気がする。
久しぶりにお風呂に浸かったときには思わず声が出た。
私の家族はあまり言葉が多くない。会話が少ない訳でも険悪な訳でもなく、ただ、説明する言葉、相手に伝えようとする言葉、理解しようとする言葉、それらの言葉が絶望的に少ないのだ。
昨日の夕食での父と母の会話を例に挙げると――
『遠藤さんがね――あたしと加藤さん間違えて話すもんだから――笑っちゃったのよ』
『そうか、……ふぅん』
母がパート先であった騒動を父に話すと、父は小さく気の抜けた相槌で返す。よくあるやり取り。無理もない、母の会話はいつも唐突で、どこの遠藤さんで、どこの加藤さんなのを話さずに始めるのだ。そしてどういう状況で、どんな会話が面白かったのかを伝えずに、自分が笑ったことのみを強調して伝えるものだから、聞いてる方は当然話に置いてかれてしまう。
『それでね――あ、肉じゃがどう?ちゃんと味染みてる?』
『うん……』
母の話がよく飛ぶことは置いておいて、聞かれたことに対して『うん』と、相手に見向きもせず、どっち付かずな返事だけを返すのも誠実ではないと思う。
これは私にも言えること。実家に帰ってきたあと、父からあらたまって『今後どうするか考えているのか?』『帰ってくるのか?』と話を振られたとき、私はバツの悪さから『ちゃんと考えてるよ』と、向き合いもせずに曖昧なままに返して、その場を離れてしまった。
自分の中にはちゃんと言葉はあった。ただ説明する言葉や気持ちの準備がまだで咄嗟に距離を取ってしまった。『もう少しまって、あとでちゃんと話すから』と、言うのが誠実な返し方だったはず。本当、私を含め、絶望的に言葉が足りない。
言葉や会話、コミュニケーションはよくキャッチボールやボールのパスに例えられる。話し手がボールを持つ人。受け手がボールを待つ人。ボールは言葉そのものに置き換えられる。見えない〝言葉〟というものをボールに置き換えれば、自分の会話やコミュニケーションがちゃんとできているか、どう思われるのかを想像しやすいと思う。
まず、相手にボールを受け取ってほしいなら、できるだけ相手の方向を向く。距離が届かなそうなら自分から近付けばいいし、声を掛けて近付いてもらえばいい。そして、相手が取りやすいようにボールを放る。
受け手も同じだ。ボールを受け取るなら、ボールだけではなく相手をしっかり見る。距離があれば自分から近付けばいいし、もしもボールが自分から逸れてしまっても、送り手の故意や悪意によるものでなければ取りに行く努力はすべきだと思う。そのためにも相手をしっかり見ることが重要になる。
よく言葉だけに翻弄されるが、会話は相手を思って成立するものというのを忘れてはいけない。
実家に戻ってきてから気付かされることが多い。今になって気付くことが本当に多い。身近な存在、相手が自分を理解しているという思い込みから言葉やコミュニケーションが疎かになっているということ。習慣や慣れは目には見えない言葉から削られていくということ。
伝えたつもりでも、伝わらないことはたくさんある。理解したつもりでも、汲み取れないことばかりだ。誤解や嫌な気持ちになることも少なくない。それでも、伝える努力や理解する姿勢は疎かにしてはいけない。何より、言葉にする責任を忘れてはならない。見えなくともその枝葉はどこかに傷を付けている。その根はどこかを捉えて動けなくしてしまう。
言葉にするというのは相応の責任や自覚が必要になる。
また、考える。私ってなんだろ、何がしたいんだろ、と。
……私の夢、やりたいことってなんだろ、と。
自分がわからない、を抱えているのは私だけじゃなかった。あやかだってそう、でもあやかと私のわからないは違った。同じ、でも、違う。
私の夢にはまだ芽がない、芽が見つかっていない。
やりたいことを隠してしまっていたあやかとは違う。
物心がついてからの最初に抱いた夢はなんだろう。
印象の薄い小学校の『将来の夢』とかそんな名前の課題とか作文発表だった気がする。
多くの夢は、スポーツ選手、お菓子屋さん、大きい乗り物の運転手、楽しかったこと、嬉しかったこと、好奇心、興味が最大の動機。
私の夢は甘いお菓子屋さんだったかな、理由はなんだっけ――
「ねえーー、ちょっと来てーー」
母の声が一階から二階へと大きく響き渡る。思考はまた生活に戻される。
一階に降りていくと玄関先で買い物袋を両手に下げた母がいた。
「なーにー、どうしたの?」
「あんた、これ好きでしょ? 買ってきたわよ」
母から白い綺麗な花の描かれた紙袋を手渡され、ドヤ顔を向けられる。
「え、梔子屋のお団子? やった! あん団子はある?」
「つぶあんとみたらし。あんたとお父さんはあんこでしょ? 母さんはみたらしね」
「う、うん……私、こしあん派なんだけど……まぁつぶあんもおいしいけどさ」
「あれ? そだっけ、つぶあんが好きなのはお父さんかー。お父さんとしおりは甘いもの好きよね。母さんは甘いのよりしょっぱいのが好きだわー」
「みたらしも甘くない?」
「んー、そうかもね」
母さんの話は唐突な話や自分の話が多いけど、意外にも人の話をちゃんと聞いていたり、人の好きなもの、好みなんかをよく覚えていたりするから驚かされる。
梔子屋。近所にある古い建物の和菓子屋さん。近所と言ってもサンダルで出かけられるほど近くはない。
昔、お茶菓子のお使いやおすそ分けのお使いに行かされることがよくあった。
着物を着たお店の人がとても大人に見えたのを覚えている。お店の人は小さい私に対しても他のお客さんや大人たちと変わりない言葉使いで「ありがとうごさいます」と言ってくれた。それが何だか嬉しくて、少し恥ずかしくて「ありがとうございます」を小声でオウム返ししていた。
幼心に、対等に扱われる、それがものすごく嬉しかった。
だが、おやつは別。
その特権は私にだけ許されていた。品物を包んでもらっているいる間、小さい私だけのサービスとしてお団子と飲み物のセットをお店の小上がりで食べさせてもらった。
そこで出会うことになる、あのおいしさに。初めて食べたとき「幸せの味だ」と表現したらしい。そんな子供の壮大な感嘆にお店の人はとても喜んでくれた。大きくなったあとも私がお店に行く度にお団子と飲み物を用意してくれるのだ。
あ、だからか――私の夢がお菓子屋さんだったのは。




