五十一話
私が感じた気持ちを誰かにも、そう思ったのかもしれない。
おやつ、ではない。他と変わりなく、対等、認められる、そんな嬉しさ。
自分を認められる心持。
小学校の中でも特に変わった夢ではなかったから、何の自覚もできないままどこかで丸まってしまっていた本当の私。――あれ、なんでこんな単純なこと忘れていたんだろ。
「いつまで居れるの?」
「あ、うん。んー、そろそろ戻ろうと思ってはいるよ」
「そ。何か話したいことがあるならちゃんと言いなさいよ」
「うん……」
「お父さんも気にしてたわよ」
「う、うん……」
「あんた、昔から言葉足らずよね。考えてばかりでも答えなんて出ないし、思ってることがあっても言わなきゃ伝わらないわよ。そうでしょ?」
「う、ん? うぅん……」
自覚はあるものの、母さんに説明不足や言葉が足りない、伝わっていないと言われると複雑な気持ちになる。
「ほら、お団子柔らかいうちに食べないともったないから。お父さん呼んできて、裏の畑にいると思うから、一服にしよって」
「はぁぁい」
母の意外さは鋭さにも適用される。他人の感情に鈍感な一方で、何かのタイミング、良くも悪くもそのタイミングを鋭く突いたりするのだ。間が悪いとも言う。
台所の勝手口から裏の畑に出ると父がきゅうりの棚支柱を作っていた。
家庭菜園にしては少し広い田舎の畑。ナス、きゅうり、トマト、これから夏にかけて収穫を迎える野菜が植えられている。
「父さん、母さんがお団子あるからお茶にしよって」
「今、何時だ?」
「3時ちょい過ぎ、かな」
「そうか、ここ終わったら上がる」
父との短いやり取り終え、家の中に入ろうとした所でスマホの着信に気付いた。
登録していた求人サイトからのメール。求人情報の提案。求人の設定を業種のみ、詳細設定は未経験者歓迎くらい。私のふわふわした条件には多数の求人情報が送られてくる。
意思や意欲が何もない訳ではない。それなりの希望も要望もある。
自信の無さや不安が自分から主張や希望をただ遠ざけてしまう。
何かを望むなら何かでなければいけない、思い込みが行動を躊躇わせる、何もできなくさせる、また、できない私ができていく。
悪循環が言葉を奪っていく。
誰かの言葉、不特定の声、ありきたりな否定。
よけいな言葉はどこからでも入ってくる。
私もそうなのかもしれない。
もっともらしい言葉で気持ちを遠ざけて、自分を抑え込んで、誰に言われた言葉でもないものに追い立てられている。
私のしたいことは―――
「ねえーー、お父さん呼んだのーー?」
居間から響く母の声がまた思考を中断させた。
既読しないままメールを削除した。居間へ向かうと母がせんべいをかじりながら二人とも遅いとぼやいている。
「呼んだよ。もうすぐ来ると思う」
「お茶冷めちゃうわよ」
「母さんはさ、自分のやりたいことなんてあったりするの?」
「何それ、いきなり。心理テスト? 謎々?」
「や、ちょっとね、考えててさ」
「やりたいことなんてそりゃいくらでもあるわよ。映画とか観に行きたいし、温泉にも行きたい、旅行もいいわね……あれ、最後に行ったのいつかしら……」
「そっか、……いっぱいあるね」
聞いて少し脱力した。
「やりたいことなんて実際大したことじゃないのよ。余裕がないとか時間がないとか、何かしらの言い訳をつけているからどんどん遠くなるの。後悔先に立たず、ってね。自分のことなのにあとから「ああしとけばよかった、こうしとけばよかった」なんて、恨み言、恥ずかしいでしょ?」
「ん? 何の話だ?」
母の意外性がまた発揮された。油断させたところから核心をついてくる。
自覚があるのかあやしい会話に乱高下させられていると父が後ろから会話に混ざってきた。
「えーと、母さんが旅行に行きたいって話?」
「違うでしょ。あんたのやりたいことの話でしょ」
本当、母は意外だ。抜け目ない。
「そういえばそういう話、まだちゃんとしてなかったな」
「うん……」
「ほら、自分でちゃんとお父さんに言いなさい」
母はお茶を入れ直すと言い台所へ行ってしまった。
父と二人、少しの気まずさが流れる。
「……お、お団子、つぶあんだって」
「うん、あとで食べる。それより、お前の口からどうしたいかとか、これからのこと、父さんはまだ何も聞いてない」
いつもの、何かをしながらする、ながら会話ではなく面と向かって話をするというのは家族であっても緊張してしまう。
「うん……そうだね……正直、就活は上手くいってなくて、自分でもどうしていいかわからくなってた。やりたいこととか、なりたいものがあって就活してたわけじゃないから、面接とか、どこかで私のそういう意思の無さ、みたいなのを見透かされたのかもしれない……」
「やりたいこと、か。ないならないでもいいんじゃないか? こっちに帰ってきて、こっちで探してもいい」
「考えたんだけど、ダメなの。……こっちに戻ってきてわかった。ここには私の〝できなかった〟がいっぱいある。その気持ちに引っ張られて動けなくなりそうになる……」
理由にはならないかもしれない。けど、私を下げていた過去や思い出、そのときの感情……それが纏わり付く。
喫茶店のご夫婦。本屋の店員さんで、女子高生で、友達になった、あやか。最近出会った人たちから貰った言葉〝ありがとう〟それを貰えたのは、結果はどうあれ私自身が行動できたから。
でも、こっちで同じことはできそうにないと思う。
〝できなかった〟私が張り付いてくる。関わりを持つことすらしなかった、と思う。
「何かができたってわけじゃないの。けど、何かをやろうとして行動はしてきた、つもり。だから……私はもう少し、ここじゃない場所でがんばりたい」
「ここでできなかったものが他所でできるようになる。なんて、父さんは思わないな。もし何か変われたのならそれは本人の努力だ、場所なんて関係ないと思う」
「違う、そうじゃないの。……本当に動けなくなるの。何を言ってるかわからないかもしれない、たぶん伝わらないと思う。それでも、聞いて。言葉がね、動けなくするんだよ。「ダメだ」って「できない」って、誰かに言われた言葉、できなかった記憶、そんなのが一つ一つ私の中で木になるの。努力とか、自分次第とか、そんなものだけじゃないんだよ……」
「……理由はどうあれ、じゃあ、お金はどうするんだ。住むにも、生活するにもお金は必要だぞ。アルバイトも今はやっていないんだろ」
父は淡々と事実を問いかけてくる。
「まだ少し、バイトの貯金もあるし……」
「そんなのはすぐになくなる。理由が「ここにいたくないから」だけじゃ今までと何も変わらないんじゃないか」
「……」
返す言葉が見つからない。明確に自分が〝どうなりたい〟か、を表す言葉が上手く見つからない。
まるで面接。嫌な記憶が甦ってくる。……わからないものをわからないと答えるのは不正解。本心でなくても、もっともらしいものが正解になる。もっともらしい回答を……居心地が悪い。
「意地悪で言ってるんじゃないのよ。今までその場しのぎのことは選べても、何かを選んだりはしてこなかったでしょ。高校だって、大学だって、何かしたいって思ったとき、できないことを理由に諦めてほしくなかったから、無理にでも勧めてきたの。選べるものだけを選んでいると後悔するわよ」
えっ……何それ、そんな話聞いたことない……。
「そ、そんなこと聞いたことなかった」
「そだっけ。言ったことはあるわよ。覚えていないだけじゃない」
母は台所から戻ると、私の澱になっていた言葉の理由をあっけらかんと言い放ち席に着いた。
「ああ、お前は昔から自分に自信がないのか、お姉ちゃんと違って自分のことはあまり話さなかったからな。自分が本当はどうしたいか、ちゃんと言えるようにならないと損をするぞ」
「別に、何かになりなさいって言ってるんじゃないの。あなた自身がどうしたいか。これから、もっと、
もっと、いろんなことを決めていかなくちゃいけなくなるの。自分のことよ。自分はどうしたいか、ちゃんと自分の気持ち言えるようにならないと、自分に恥ずかしくないようにね」
……ずっと、その言葉が私の奥にあった。世間体、人目、そんなものを気にしての言葉と思っていた。
私は〝恥ずかしい〟と。だから、自分がどうなりたいか、ではなく、何かになりたい、ならなくちゃいけない。そう、思っていた。ずっと、ずっと、不安な自分、なんかじゃない。確かな名札がある何かに。
今回のことだって、そう思っていたから憂鬱でしかたなかったんだ。
何にもなれていないのに、わがままな欲が顔を覗かせたから。
あやかと出会って、私も、何かの名札じゃなくて、自分の名前がほしくなったから。




