四十九話
記憶や感情が鮮明に残っている。つもり、だった。
嫌な記憶だったから、忘れたい記憶だったから、何度も繰り返し思い出した。
私の世界をずっと暗くしていた消えない残滓。
何度も何度も、結びついては甦って、その度に苦しくなって、ダメな理由を宛がうためにまた思い出して。
実際の記憶は置き換えられたり、変質させたりして事実とは異なる形で記憶として残るのかもしれない。事実、ではなく印象だけが強く残ってしまって、記憶と思い込む。覚えているのは完全な記憶じゃなくて感情に歪曲された思い込み。
私もそうだったんだ。自分で作り出した記憶をずっと引きずっていたんだ。
それでもまだ、切り捨てられる言葉にはならない。ただ。
なんだ……。こんなもんか……。なんだ……。と。
――プッ、プッ――
少し呆けているとクラクションの音に現実に戻された。
道を塞いでいたのだと我に返り、キャリーを左手に持ち替え、左端に寄って道を空けた。後ろを振り返ると、そこには見覚えのある赤い車。母の車があった。
車は私に並ぶと助手席の窓を開けた。
「早く乗りな!」
「え、なんでいるの? いいって言ったのに……」
「ほら、早く! 後ろから車来ちゃうから!」
「う、うん……」
「荷物は後ろね!」
急かされるまま車に乗せられ、まくし立てられる。
「なんで連絡しないの! 駅着いたら連絡しなさいって言ったでしょ! 何回電話しても出ないし」
「いや、来なくていいって言ったよ。電話は……気付かなかった」
「何キロあると思ってんの、歩いてなんて来れるわけないでしょ。そんな荷物持って。それになんでこんな遠回りしてんのよ」
「ちょっとね。っていうか、なんでここってわかったの?」
「わかんないわよ。わかんないからあちこち探してたの」
「そ。……ちょっと、考えたいことがあって」
「大変だった。駅で待ってても来ないし、電話にも出ない、家までの道探してもいない、また駅に戻ってからこっちの道に来たの」
「ごめん……」
「うん。……おかえり」
「……ただいま」
少し不貞腐れながら、お互い思う所もありながら、最後はこの言葉に行き着いた。
◇
実家に戻ってからはあっという間だった。元々、三日くらいの滞在予定だったはずが、気付けば一週間が過ぎ去ろうとしている。
思考と生活とを行ったり来たり。
まとまらない断片的思考、慣れない懐かしい生活。
実家の居心地がよくて長居しているわけではない。ただ、追い立てられるような気持ちから少し解放され、そこに居ても許容される場所があった、だけ。
それにしても何もしないというは長いようで、あっという間に過ぎてしまう。どこかに出かけるにしてもコンビニすら近隣にはない。自転車を使ってようやくコンビニやスーパー、個人商店などが候補に挙がるくらい。そこまでして行く理由は今の私には見つからない。家の周りは田んぼや雑木林、隣家はあっても向こう三軒両隣を数えるには東京ドームが入ってしまうくらい、ただ何もない。
外に出るのは日課となった朝晩の犬の散歩くらいだ。
地元の友達に会おうにも、今の身の上ではどこか会いづらく……帰ってきていることすら伝えられていない。
何もないと言いながら、予定を超えて長居しているには訳がある。帰省した目的の〝自分との折り合い〟とは、何も中学生時代のコンプレックスだけじゃないのだ。
私の中の言葉の澱……。それは、言って後悔したもの、言われて不快になったもの、どれもこれも一つじゃない。全部をどうにかしたいわけではない、でも、できる限りは折り合いたいと思う、思ったからここへきた。
〝家族〟それは言葉の始まりとも言っていい存在。人は生まれてから多くの言葉を耳にしながら育っていく、その大半は生活を共にする家族から受け取る言葉。私の心の澱も、多くがそこから生まれた気がする。
少し上に姉が一人いる。私を最初に言葉で傷付けた人。
幼い記憶。私には目元、首元、胸元に小さなホクロが幾つかあった。それに気付いた姉は「ねぇなんであの子は虫さんが付いてるの?」と母や周りに尋ねた。私に直接ではなく、周囲に問いかけたのだ。私がどこか違うものであるように、そして「気持ち悪いね」と、笑った。なんでもない子供の無邪気や無知だった、と思う。だが、そんな言葉をずっと覚えている。
そんな彼女は常に自分が中心、上手を取れなければ死ぬのではないかというほど、いつも自分を立てた話をした。
小学生のとき、鉛筆を貸してと言ったら、聞いてもいない新しい文房具や髪飾りの自慢をされた。洋服もそう、私はおさがりで姉が新しい洋服の自慢をする。自慢だけならまだしも、私のできないこと、そうでなものをいちいち引き合いに出すのだ。話の内容はいつも〝自分が、自分が〟と、そればかり。はじめは純粋にすごい、とか、羨ましいと思っていた。でも、次第にその自慢に私が踏まれることに気付いたんだ。姉、本人に自覚があったかどうかは知らない。
今も変わらないまま、数年前に結婚した姉は事ある毎に「なんで結婚しないの?」と言い、それがゴールや正解のような話をする。
〝そうであるもの〟と〝そうでないもの〟それらをいたずらに刺激したり、勝ち誇ったり、暗に自慢することを《マウント》というのだろうか。そんな言葉に踏まれ続けると、人はどこかで下を向くようになってしまう。
下を向いたまま、心もどんどん歪んでしまう、何でもないものを嫌悪するようになったり、目を向けられなくなったり、世界に対して過剰な圧迫感を感じるようになってしまう。
そして〝自分はそうではない〟という思い込みが深く根を張ると、すべての可能性や行動を遠ざけて、動けなくなってしまうのだ。
……心も体も、全部。
今、家に姉はいない。結婚と同時に県内の別の市で暮らしている。姉がいないというのも帰省を決めた理由の一つ。
悪意や暴力的な言葉だけが心を曇らせるわけじゃない。
それは私自身にも言えることであって例外ではない。
中学、高校と自分のことや周りのことに精一杯で、身近な人、家族に対して粗雑な態度をとってしまったことがある。中にはひどい言葉を向けたこともある。心の余裕の無さ、気持ちのままならなさ、そ んな理由にもならない自分勝手で周りに棘を立てていた。
あるとき、母と激しい言い合いになった。発端は私のアルバイト。私は中学校を不登校のまま卒業したあと、このままではいけないと思い、高校へは行かずにスーパーでアルバイトをしていた時期がある。
スーパーといってもレジや品出しなどではなく、お惣菜のコーナー。人から見られることへの恐怖があった私にとって、マスクが制服の一部のスーパーでのアルバイトは少し気が楽だった。なにより、自分がどこかに必要とされている、何かを行動している、というのは塞ぎ込んだままの気持ちをいくばくか楽にさせてくれた。
顔の知れた人が多い小さな町、そんな地域で高校へ行かずに人目のある場所でアルバイトなんてすれば、すぐさまどこかの噂になる。田舎ほど個人が目立ってしまう。
母とは、アルバイトや将来のことで少し揉めたあと、……。
「恥ずかしいからやめて」と言われた。
不登校で高校にも行かない私は〝恥ずかしい〟と。人目が恥ずかしいからアルバイトをやめてくれ、と。
噂で誰かに何かを言われた、とか、私にはわからない。アルバイトにも慣れた頃、パートのおばさんから「仕事が早いね」、なんて褒めてもらえた日のことだった。
抜け出せないものから足掻いて、足掻いて、やっと、自分の何かを認めてもらえる言葉をもらえたと思ったら、また、否定される。
耐えきれず激昂して、自分の思っていたことや悩んでいたことなんかを手当たり次第にぶつけた。言葉の刃をむき出しにした。
自分の全てを否定されたようで、悲しくて、どうしようもなくて、寄る辺もなくて、「なんで産んだの」とか「産まなきゃよかったじゃん」とか「産まれなきゃよかった」なんて、母や自分の存在を否定する言葉を意図して探して繰り返して。
私なんていなくなればいい、って、消えてしまいたい、って、……思った。
あんなに声を荒げたのはおそらく初めて。あんなに感情を表に出したのは初めて。私はそのまま家を飛び出すと、雨の中宛てもなくもなくただ歩いた。どこかへ消えてしまいたくてただ歩いた。それしかできなかった。
自分の存在を否定されたくない、自分の努力、足掻きを否定されたくない、そんな気持ちが言葉を溢れさせた。あの言葉は今までのどんな言葉より深く刺さった。私の言った言葉も、深く残った。
結局、そのときは折り合いがつかず、しばらく平行線のまま無言の喧嘩状態が続き、通信制の高校へ通うことでその話は落ち着いたのだ。
今になって思えば、私の将来を心配しての言葉だったとも思える。それが周りや人目、世間体を気にした言葉であっても、大学まで進学させてもらえたわけだから文句は言えない。けれど、あの日以来、母の人目を気にする言葉が不快に感じるようになった。
元々、母の口癖だったもの。何かにつけは「みっともない」「笑われる」「恥ずかしい」と、自分自身や家族に対してよく使っていたと思う。それまでは気にも留めなかったが、食事中のマナーから服装、庭の雑草にまでその言葉をよく使っていたのだとあとから知った。
母の言葉は私の大きな影になった。それでも、人から言われた言葉、自分で言ってしまった言葉、どんな言葉であれ、言ってはいけないものがあることを私は知っている。例え自分を否定されるような言葉を向けられたとしても、同等、それ以上の否定の言葉を自分も相手に向けてもいい理由にはならない。形は無くても、言葉は残ってしまうと、傷を付けてしまうと、私は知っている。




