四十八話
一時限目の授業は厳しい先生で「雨だから遅れました。なんて、言い訳は社会では通用しませんよ。早く席について」と、私をまくし立てた。ごく自然に否定された。〝社会では通用しない〟それがただの否定だと、感じる前に気持ちが折られる。
静かな教室。先生の淡々とした声。痛む左膝。自分が何か悪いことをして、その罰で膝が痛んでいるのではないか。悪いのは私。痛みは罰。どんどんそんな気持になっていった。そのとき以来、教室の扉は苦手になり、呼吸が苦しいときもあった。
足はもう痛くはないし、教室に行くわけでもない。
もう大丈夫なんだ、私はもう大丈夫。
「大丈夫」
また、深呼吸を2回。今度は少し落ち着いて吸うことができた。
――よし、行こう。
私は〝大丈夫〟と、言い聞かせなければ足を前に運ぶことすらできない自分を嫌悪した。
今になって思えば、あの先生は規律に厳しいようで、ただ自分の授業進行を妨げた私に「社会では」という全体を使った言葉で苛々をぶつけただけではないか、とも思う。あの頃は知らなかったが、世の中、そんな自分勝手で、感情の整理もつけられない言葉を他人にぶつける人は少なくない。私が苦手に感じていたからそう思うようになったのかもしれない。
どうしても、できなかった記憶。失敗。挫折。そんな負の感情が私の行動の前に立ちはだかる。
もう、昔のこと、子供の頃の話。――それでも、私の話。
中学校へ上る坂の下でコンビニに入り、少しの休憩。缶の炭酸飲料を買って飲む。すると炭酸の刺激でお腹が鳴った。思えば今日は何も口にしていない。ただ帰るだけ。なのに、飲食に気が回らないほど緊張していたみたい。お昼前に着いたはずなのに午後のチャイムすら聞こえなかった。それほど余裕がなかった。
休憩を終え、もう一度歩き出してからは呼吸の苦しさを感じなかった。
緩い山道のような坂道を上ると一層、緑が濃くなる。県道から離れて右手に山の裾が近付く。林立する樹木の枝葉が道路の方にまで伸びて木陰ができていた。
まだ暑さを感じる季節ではないけど、快晴を歩くとリュックの紐の辺りが汗ばんだ。木陰の中、涼しさの残った風がなんだか懐かしい。
田舎の風景、むせ返るような緑と土の匂い、懐かしいはずの光景。でも、直近の記憶の想起に繋がった。
言の葉。目には見えない言葉の森。
私の体験した、日常から少し離れた世界。人が気付かない世界。
もし、あの世界なら、あのとき中学校はどんな風に見えたのだろう。あのときの校舎はどう見えたのだろう。
冷たさを押し固めたコンクリート。緊張を張りつめたガラス。無機質な四角い箱に私の居場所はなかった。……いや、上手く入れなかっただけ。私は居場所を作れなかった。ただの不出来。
あの頃、人の言葉はどれも居心地が悪いものだった。何かを否定するような言葉、誰かを否定するような言葉、そんな言葉ばかりが溢れていた気がする。
挨拶代わりに飛び交う「死ね」の言葉。雑談の中で自然に共有される「ありえない」の言葉。
たまたま自分がそうであるから、そうでないもの否定する。
今思えば、そうであるものとそうでないものを自分たちで作り出すことで、安心を得ていたのだろうと思う。
多感な時期、自分しか知らない、を自覚できない子供たちの気持ちはとても不安だろう。だから自分たち、を作ることで不安から逃れようとする。
見えない不安を目の前に子供たちはあまりにも言葉や感情を知らない。
私も自分しか知らないから、自分に向けられた言葉が上手く飲み込めなかった。暴言や中傷でなくても言葉で躓き、行動が制限されてしまう。
――「能面が笑った」……そんな言葉で笑えなくなってしまうなんて思わなかった。
今だったら、何かツッコミで返したり、笑わないキャラとか少しおいしいかも、なんて思うのかもしれない。でも、あの頃の私はそうは思えなかった。
あのとき、もしも、――なんて考えが無意味なのはわかっている。どうしても、上手くなさがいつもそう思わせるんだ。
不意に考えてしまう。〝今〟に少しでも不安があると、どこかの変化を望んでしまう。それも、変えられるものではなく、変えられない、過ぎてしまったもの。あのとき、こうすればよかった、そんな後悔。身も蓋もない考えと知っていても、……そこに行き着いてしまう。
今も昔も不安のまま、変わったようで何も変わっていない。
それでも、変わったこともある。いまだ自分のことすらままならない私だけど、自分〝だけ〟なんて考えはもうない。けして同じじゃない。けれど、違うわけでもない。人は誰しもどこかにままならなさを抱えているのだと知った。
人、それぞれの形を持つ言葉。――〝言の葉〟
葉が枝を伸ばし木になる世界。それは日常の中に隣り合わせであった。
世界が広がったとき、初めは自分だけが知っている、特別を感じて気分がよかった。でも、人の言葉を知って、自分もこの中の一つなんだと気付かされた。
今は他の誰かにも知ってほしいと思っている。すべての人が同じことを思うわけではない。でも、知ってほしい。自分が多数の中の個人であること。
自分を少数の孤人と思いたいのも、思ってしまうことも、多数である。特別なものを自分の中に見出したいのだ。
私たちは自分しか知らない。だから日常、生活、人の中で不安に感じることがある。
自分以外の存在、自分と違う存在、その違いが自分を否定する。どこか不快に感じてしまう。
だから自分を否定したくない。自分を認めたい。だから違うものを分けたい。自分は正しい方と。自分が正常なんだと。或いは特別と思いたい。身勝手な安心を得たい。
そこから紡がれる言葉はひどく冷たいものだ。
一時の衝動的な感情、傷付ける意思の有無は関係なく、出されてしまった言葉でも誰かの心に深く根を下ろす。消えない痕を残す。
自分に向けられるものでなくてもあまり耳にしたくない言葉。
ただ、知ってほしい。その感情は〝不安〟なのだと、気付いてほしい。
言葉を発してしまう前、ひと呼吸を置いて自分の気持ちに目を向けてほしい。
見えなきゃわからないなら、あの世界を見てほしい。そうすれば……。
無暗な何かを分ける言葉も少しは無くなるのではないか、と。
闇雲な不安な心もどこか、「まあ、いいや」って思えないか、と。
そんな風に思えたなら日常は少し気安いはずだから。
そう思うんだ。
いつの間にか中学校は私の視界に入っていた。通っていた頃と同じ。何かを否定するような耐震補強のバツ印。違いといえば、駐輪場が新しく整備されている気がする。
近付くにつれ子供たちの騒がしい声が大きくなる。どうやら昼休のようで、グランドや体育館、開けられた窓から廊下や教室の声がさざめいていた。
「元気だな……」
疲れで乳酸まみれの足と汗ばんだ背中のリュックを直しながら、思わず呟いてしまった。
朝から勉強して昼食後、グランドや体育館でスポーツ、午後にはまた授業で、そのあとには部活、家に帰っても宿題。今では考えただけで疲れてしまう。
外から校舎や子供たちを眺めているとあることに気付いた。
あれ、……。中学校ってこんな、感じだっけ……。
中学生ってこんな、幼かったっけ……。
あまり見たくはなかった校舎。馴染のある制服、ジャージ。知っているはずのものたちは私の中の記憶とは少し違った。
あの頃、世界の全てのように、ただ大きく、息苦しさと冷たさを感じた校舎は思っていたより大きくはなかった。
あの頃、苦手に思っていた人たちもあんなに幼かったのだろうか。そんな、子供の言葉をずっと気にしていたのだろうか。
なんだか、思っていたより、――なんともない。
あんなに私の中をごちゃごちゃにしていた風景は、思いの外なんともない。
「なんだ、……こんなもんか、……なんだ、……」
少し情けなく感じて、今だから思えることに納得して、また、なんだ、って思った。




