四十七話
神社での騒動から、ひと月余りが過ぎた頃。
私は、実家に帰る決心をした。
人口より狐狸の数の方が多く、居住地域より田畑の方が何倍も広い田舎。
一時的な帰省。自分との折り合いをつけるため。と、自分に建前をつけて、ようやくできた、帰る決心。
内情は再三にわたる実家からの連絡を無視してきたつけ。今後の方針などを両親に説明しなければならない。
今まで帰省することなく、大学の卒業報告も電話先の簡単な一言で済ませた私に、ついに経済的な制裁を切り出されたのだ。
実家に帰るのは大学に入ってから初めて、4年ぶりになる。
アルバイトが忙しい、レポート課題が忙しい、卒業論文が忙しい、就職活動が忙しい、と、そのときの手近な理由を付けてはお盆も正月も帰らなかった。
生まれてから高校までを過ごした場所。
多くの時間を過ごしたはずなのに、どうしても楽しさより、嫌な気持ちが足を引っ張ってしまう場所。
自分との折り合いをつけるため。と、いう理由もけして嘘ではない。
あと付けではあるが、自分自身と向き合うためには嫌な気持ちの原因、凝ってしまった記憶があるこの場所に来なければいけないと思っていた。
朝、アパートを出て、電車、新幹線、電車を乗り継いで4時間少々。お昼の少し前には実家の最寄り駅に着くことができた。
最寄り駅は無人駅。高校の頃に利用していた姿のまま、平屋の小さな待合室と券売機、外に品揃えの悪い自販機があるだけの駅。今は侵入阻止のない簡素な一本足の電子改札が置かれるようになっていた。
変わったようで、何も変わってないような風景。
駅から実家まで、早歩きでも2時間以上はかかりそうな距離だったが、それでも家族には「迎えに来なくていいよ」と、断りを入れた。
少し見てみたかったから、昔見ていた日常が今、どう見えるのか。
たった数年で何が変わったかなんて高が知れているけど、私はあの頃とは違う。だから、確認しておきたかったんだ。
私は自宅へ帰るには少し遠回りになるが、昔通った中学校の方角へ歩を進めた。
駅から歩き出すと、駅が豆粒になった辺りですぐに後悔した。小さなキャリーに普段使いのリュック、荷物はそれほど詰めてはこなかった。しかし、都会を歩くのと田舎を歩くのではまるで違うことを思い知らされる。
就活や慣れた徒歩生活で体力には自信があったはずなのに、全然先に進んでいる実感がない。
目に見える景色は遠くに白んだ山の峰々と見渡す限りの青田。
風に乗って聞こえる国道からの車やバイク音を聞きながら電柱を追い越し、また電柱を目指す、それだけ。変わらない風景が向かう先に本当に付くのだろうか、と、不安にさせた。
「あーー失敗した! せめて荷物だけでも郵送にすればよかった!」
誰もいないのをいいことに声に出して不平を言ってみたりした。
田舎の道は舗装されていても大きな駅や駅前のような歩き易さはなく、アスファルトがヒビ割れていたり、草が押し返していたり、重機や農工機の落とした土や泥の乾いた塊があり、キャリーがその都度
引っかかって歩き難い。
しばらく田園を歩き、高速下のトンネルを抜けたら風景も変わり、民家や小さな個人商店が目に入るようになる。道も少し歩き易くなった。
私が少し通った中学校も見えてきた。小高い山の麓に建っていて、たくさんの木々を迎えるように、山に向かって校門があった校舎。
あの頃の私には、あの校舎が世界の全て。とても大きなものだった。
中学校の校舎を見ようと歩くことを自分で選択したのに、いまさら、もし、誰か知っている人に会ってしまったら、という不安が湧いてくる。
昔のような〝見られたくない〟という気持ちが甦ってくる。気まずさや後ろめたさが次々と押し寄せ、どうせ誰も覚えてないよ。という、か細い楽観はかき消されていく。
「大丈夫。――大丈夫。もう、大丈夫」
声に出して言い聞かせる。
深く、深く、呼吸を2回してから、中学校の方へ歩みを進める。
さっきより明らかに足が重い。何もない風景なのに、通り過ぎる車や近くで農作業する人、犬の散歩をする人、物や景色じゃない〝人〟に気を取られて目がものすごく疲れる。頭が痛い。
息が苦しい。人ごみにいるわけでも、閉所にいるわけでもないのに、ただの吸って吐き出す行為が上手くできない。
ああ、――昔、似たようなことがあった。
中学校の登校時間。校門前や校舎口の込み合いが嫌いだった私はいつも少し早く教室に入るようにしていた。
その日は雨。予報を見ていなかった私は雨ガッパの支度に手間取ってしまい出発が遅れた。
雨の中、憂鬱さと眠気を引きずりながらも自転車を漕いで学校へと急いだ、そのとき車線のない道路を対向から減速しないで走る車に水しぶきをかけられ、反動で転んでしまった。
倒れた自転車を起こすとチェーンが外れていて、ぶつけた膝も力を入れると痛かった。
カッパの隙間からは水が入り、髪やジャージがぐっしょり濡れた。漕げない自転車を押しながら家に帰ろうかと考えたが、そのときの私には学校が日常で、学校が全てで、その考えはすぐに消えてしまったのだ。
行かなきゃ、遅刻しちゃう。それだけが頭の中を埋めていた。
歩いて学校に着いた頃。一時間目はもう半ばを過ぎていて、静かな廊下を急ぎ足で教室に向かった。
ガラガラと、静かな教室に後ろ扉の音は大きく響き、制服姿のクラスのみんなが振り返った。「すいません、遅れました」と、一人ジャージ姿でびしょ濡れな私が大勢に注目される、すぐ戻る視線であっても恥ずかしかった。
すごく、恥ずかしかった。




